2018/03/21

ポール・オースター『内面からの報告書』(2013)

内面からの報告書
柴田元幸訳、新潮社(2017)

 いくぶん潔癖症の気があるわたしは、これまであらゆるハンドクリームの類を「手がベトベトするのが気持悪いから」の一点張りで遠ざけ続けてきたのだったが、この冬の気候が去年までと何か違ったせいなのか、あるいはたんに加齢のせいなのか、1月の終わりには左右両方の手荒れが半端なく、詳述は避けるもののiPhoneの指紋認証がさっぱり利かなくなるなど生活に不都合をきたすまでになった。
 それで仕方なくドラッグストアで買い求めたクリームを平たい缶からひとすくい両手で手の平に伸ばし、手の甲に広げて指先にも塗り込んでいると、あれ、この感じ…とにわかにおかしな気分が生じ、神経を集中すること数秒、そうだ、こんな自分も幼稚園のころには毎日こうやってクリームを塗っていた……という記憶がよみがえり、あわせて当時のクリームが入っていた小さな容器の緑と黄緑でできた模様を思い出し、そばにあった居間のストーブの匂いが立ちのぼり、こたつには茶筒が載せられているのが見えて――と、頭と手の両方からいろんなものが忙しくあふれ出て、周囲の音が遠くなった。買ってきたクリームを前に、椅子に座ったいまの自分は、そこにいながらそこにいなかった。ベトついた両手で頭の中をかき回しているようだった。わたしはわざわざ声に出して「いったん落ち着こう」と言った。音が戻り、わたしも戻って来た。
 そんなことすっかり忘れていた。
 でも、クリームを塗るという動作と、手のベトつきという感触がきっかけになって思い出したんだから、頭の中にはあった。本当に忘れるというのは、頭の中からも消えて無くなることだろう。本当には消えておらず、忘れていなかった物事を指してわたしたちは「忘れていた」と言う。

(1)おぼえており、自分でもおぼえているとわかっているもの
(2)忘れたが、頭の中にはまだあるもの(じつはおぼえており、思い出せる)
(3)忘れて、完全に消えたもの(思い出せない)

 写真や録音録画そのほか、外部の記憶媒体は頼らずに自力で自分の過去を思い出す場合に限ると、「忘れていた!」と思い出さない限り、(2)は(3)と区別がつかない。でも、区別がつかない、という書き方にもウソがあるように思う。
 忘れている時点での(2)は(3)と似ているが、きっかけ次第で「思い出せる」以上、(3)とはぜんぜん違うものである。似ているのに違うと思うから区別を考えたくなるわけだが、でも、(1)だったものがやがて(2)になり、さらに、きっかけになるはずだったものによっても意識に浮上してこなくなったのが(3)である。(3)が(2)に戻る(忘れ去ったものが再び思い出される)ことはありえなくて、それはたんに、まだ(3)になっていなかった(2)だ。もはや自分ではどうやっても捉えられなくなって(2)は(3)になる。(3)になるというか、(3)は消える。
 (3)は(2)とどのように区別されるかされないかではなく、区別の俎上にあげることもできないのじゃないだろうか。(1)(2)(3)と並べたところから間違いで、頭の中には(1)と(2)しかない。もう無い(3)をまだある(1)(2)と比較するのは無理だ。
 だから本当に不思議な区別は(1)と(2)の間にあることになるような気がする。どうして、いったんは意識の吃水線より下に沈んだものを「思い出せる」のか。
 いや。いったん落ち着こう。そもそも、(1)を「おぼえており、自分でもおぼえているとわかっているもの」なんて書いたが、思い出さないことには「おぼえていた」ともわからないのだから、思い出す前から(1)と(2)を区別する、つまり「おぼえているとわかっているもの」と「おぼえているとわかっていない(忘れていると思っている)もの」を区別するのも、じつは無理だった気がしてきた。だが、(1)のつもりでいたものと、思い出してから(2)と判明するもののどちらも同じものである、とするのには強い抵抗をおぼえる。抵抗の方が実感に基づくウソなのか。そして、「忘れていたことを思い出す」のと、「“忘れていたこと”として、じつは起きていないことを思い出す(=記憶を捏造する)」の違いはどこにあるのか、ないのか。エトセトラ。
 こういうことについて書かれた脳科学や生理学の本は、自分でもついていけるものならもちろん面白いけれども、そういったものとはまた別の種類の言葉と文章で考える本も読みたいと、誤解をおそれながらわたしは思っている。というか、脳科学や生理学とはまた別の種類の言葉と文章で考えることの意味を考える本を、読みたいと思っている。

 ポール・オースターの『内面からの報告書』を読んだ。これはこないだ読んだ『冬の日誌』(2012)とセットになった回想録である。
《孤立した断片、つかのまの認識の閃きが、ランダムに、予期せず湧き上がってくる――大人の日々のいま・ここにある何かの匂い、何かに触った感触、光が何かに降り注ぐさまに刺激されて。少なくとも自分では思い出せるつもり、覚えている気でいるが、もしかしたら全然、思い出しているのではないのかもしれない。もしかしたら、いまやほとんど失われた遠い時間に自分が考えたと思うことをあとになって思い出したのを思い出しているだけかもしれない。》pp7-8

 最後の一文、《もしかしたら、いまやほとんど失われた遠い時間に自分が考えたと思うことをあとになって思い出したのを思い出しているだけかもしれない》。この疑いが、回想録にはぜったい必要だと思う。書く側だけでなく読む側も、握っておくべき杖みたいなもの。
 それはともかく、『冬の日誌』が自分の身体にまつわる思い出を綴っていった本だったのに対し、こちらでは自分のに焦点を当て、強く印象に残っている物事を回想する。それで内面からの報告。
 とはいえこの「身体/心」という分け方はそんなにはっきりしたものではない。記憶も回想も身体と連動した心の働きだろうから、『冬の日誌』のほうにも心の記述はたっぷりあった。“自分の心に衝撃を与えたけれども、そのとき身体はそんなに関係していなかったので『冬の日誌』には収められなかった思い出”を、あらためて記憶のなかから拾い集め、そのような作業についての考察も含めて文章にしたのがこの本、ということになる。
 徹頭徹尾パーソナルな書きものでありながら、自分のことを「君は」の二人称で書いていくのは『冬の日誌』から続いている。徹頭徹尾パーソナルな書きものだからこそ、外に開くためにそういうスタイルが選ばれたという事情もきっと共通しているだろう。
 全体は4つの章に分かれている。まずざっと並べると、いま上で書いたような、心が衝撃を受けた出来事を列挙する「内面からの報告書」(本の題と同じ)が1章め。2章めは「脳天に二発」といって、オースターに心底ショックを与えた2本の映画が細かく説明される。3章め「タイムカプセル」では、二十歳前後の数年間に書いて出した手紙がかなり珍しい経緯で返ってきたので、それを自分でセレクトして陳列する。4章めは「アルバム」と題され、文字通り、前の3章までに出てきた物事にまつわる写真やイラスト、記事などを集めた章になっている。以下、感想を順に書く。

 1章めの「内面からの報告書」は、十二歳までの思い出に限られる。発明王エジソンとの意外なつながり。野球。エドガー・アラン・ポーを九歳で読み、言葉の響きに魅了された(!)。それにまた、『冬の日誌』では幼いころにオシッコを漏らしたことについての記述があったが、こちらでは、少年オースターがサマーキャンプで寝て起きたらおねしょをしていたのに気付くという、想像するだに胃の縮こまる事件の顛末が語られたりもする。
 こういった回想の中核には「自分はよそ者である」という感覚があり、これは「自分はユダヤ人である」という深い認識ともつながっている――みたいな読みすじが「訳者あとがき」でさらりと触れられていた。なるほど、その目でもう一度読み直してみようかという気になる(柴田元幸の訳者あとがきはいつもそうなるのですごい。加えて、「それが正解ってわけじゃ全然ないからね」との念押しも行き届いている)。
 でもそのような、社会における自分のズレよりも、もっと個人的に、自分が自分からズレる・心が身体からはみ出る体験を詳細に描写している部分があって、これが面白かった。
《時おり、見たところ何の理由もなく、突然自分という存在の流れを見失うことがあった。それはあたかも、君の体の中に棲む人間が偽物に変わってしまったような、もっと厳密に言えば誰でもない存在に変わってしまったような感覚であり、自分というものが体から滴[したた]り出ていくのを感じながら君は呆然と解離状態で歩きまわり、いまが昨日なのか明日なのかもわからず、目の前の世界が現実なのか誰か他人の想像の産物なのかも定かでなかった。こうしたことが子供のころたびたび起きたので、君はこうした精神的遁走状態に名前を与えるまでに至っていた。放心[デイズ]だ、と君は胸の内で言ったものだった。僕は放心してるんだ[アイム・イン・ザ・デイズ]。そうした夢のような幕間はあくまで一時的なものであり、三、四分以上続くことはめったになかったが、自分がぽっかりくり抜かれたような奇妙な感覚はその後何時間も消えなかった。快い感情ではなかったが、さりとて怯えたり動転したりもしなかったし、君から見るかぎり特定可能な原因は何もなかった。たとえば疲労とか体を酷使したとかいったこともなく、発作の始まりや終わりにも何らパターンはなく、一人でいても他人と一緒でも起きるときには起きた。目を開けたまま眠りに落ちたかのような不気味な感覚だが、同時に全面的に目覚めていることも自覚していて、自分がどこにいるかも意識していたのに、なぜか君は全然そこにいなくて、自分の外を漂い、重さも実質もない亡霊になっていた。肉と骨で出来た誰も棲んでいない殻、人間ならざる人物。「放心」は子供時代を通してずっと続き、思春期に入ってからもしばらくは一、二か月に一度くらい――時にはもう少し頻繁に、時にはもう少し低い頻度で――訪れ、さらにはいまも、これほど年を取ったいまでも、四年か五年ごとにその感覚が戻ってきては、ほんの十五秒、二十秒程度持続する。自分が自分の意識から消えてしまうというこの性癖を、君は完全に卒業してはいないのだ。神秘的で、説明不能な、あのころの君の欠かせぬ一部分でありいまでも時おり一部分となる何か。あたかも別の次元に横滑りするかのように、時間と空間が新しく配列し直されたかのように、君はうつろな、無関心な目で自分の生を眺める。それとも君は、自分がいなくなったときに何が起きるかを学び、自分の死を予習しているのか。》pp40-1

 あるある。というか、あったあった。こういう意識のバグにわたしもけっこう見舞われた。心に受けた強い衝撃をおさらいするというコンセプトの回想録で、理不尽な叱責を受けた悲しみや、世間から不条理のパンチを喰らったいきさつだけでなく、この感覚のことも拾いあげるオースターは、変な言い方だが、とても頼もしい。
(もっとも、引用の最後でこの感覚を“死の予習”なんてものになぞらえてしまうのは強引すぎるというか、意味を与えすぎじゃないだろうか。でも、このような回想録を試みる動機が“年齢”だったのを考えると、そういうことも言いたくなるのかなとは思った)

 意識についてはもうひとつ、印象的な回想がある。
《六歳。ある土曜の朝、自分の部屋に立った君は、たったいま服も着て靴紐も結び終え(もう君は一人前、何でも自分でできる男の子だ)、さあ下に降りていって一日を始めるぞと張りきっていた。そして、早春の朝の光を浴びながら立っていると、幸福感に、何ものにも束縛されぬ恍惚感に君は浸され、次の瞬間胸の内で君は言っている、六歳であることほど素晴らしいことなんてない、どんな年齢より断然六歳の方がいいんだ、と。そう考えたということを、現在の君は、三秒前に考えたことと同じくらいはっきり覚えている。あの朝から五十九年経ったいまも、それは君の中で煌々と光を放っていて、くっきりした輪郭は少しもぼやけておらず、これまで貯えてきた数千、数百万、数千万の記憶のどれにも劣らず明るく光っている。いったい何が、これほどの圧倒的な思いをもたらしたのか? 答えは知る由もないが、おそらくは自意識の発生ということと関係があるのではないかと君は思っている。六歳前後に、子供の身に起きる、内なる声が目覚める瞬間。ある思いを思考し、その思いをいま自分は思考しているのだと自分に告げる能力の誕生。人生はその時点で新しい次元に入る。その瞬間を境に、人は己の物語を自らに向かって語る能力を獲得し、死ぬまで途切れなく続く物語を語り出すのだ。その朝まで、君はただいるだけだった。その朝、自分がいるということを君は知った。》pp15-6*下線は引用者

 さっきの、自分の意識が自分からズレて感じられるというのとはまた違い、いま2本引いた下線部の2本めのほうで思い出されているのは、自分がみずからを対象化できる段階に達した瞬間である。そのとき考えた内容(「どんな年齢より断然六歳の方がいいんだ」)をおぼえているだけでなく、そんな内容を自分が考えたということじたいをいまでもおぼえている、というのが1本めのほうの下線部だ。
 いつどこでどんなことを考えたかを、はっきりおぼえている――そういうことはよくある。無数といってもいいくらいある。ところで、それよりはずっと少ないかもしれないが、わたしが次に書くような、もう一段階まわりくどい形をした記憶もあると思う。こうだ:

・過去に何かを考えているときに、あわせて「いまの自分がこんなふうに考えたのを、何年か何十年か先の自分は『あのときあんなふうに考えたよな』と思い出すだろうな」と考えていたのを、いまでもおぼえている

 もうちょっとまとめるとこうなる:

・過去のあるときに「未来の自分はいまこのときのことをときどき思い出すだろうな」と考えていたのを、いまの自分がおぼえている

 このような記憶のあり方と思い出し方は、オースターが書いているような自意識の誕生と同じもの(側面のひとつ)なのだろうか。それとも、別の(次の?)段階なのだろうか。この微妙な疑問は微妙なままおぼえておきたいのでここにメモしておく。
(自分が自分からズレるとか、何かを考えている自分を自分が意識する、という話になると必ず思い出す漫画があって、それは榎本俊二の『ムーたち』だ。「唐突に“自分のことを外側から見ている自分”に気がつく」という複雑なはずの事態をおそろしく簡単な絵で描いてみせたこの漫画について、あとこの漫画から連想したことについて、わたしは10年も前にいろいろ書いていたのをおぼえている。しつこいわりに進歩がない)

『内面からの報告書』に戻り、2章め「脳天に二発」。
 オースターが最も衝撃を受けた映画とは、十歳のときに映画館で観た「縮みゆく人間」(1957)と、十四歳のときにテレビで観た「仮面の米国」(1932)の2本である。
 これ、この章を書くにあたって2本とも観直したのは間違いないだろうが、それにしたってこの人の、映画を文章で記述する技量に目を見張った。
 わたしはどちらも未見で、あんまり面白そうなのでそのうちぜひ観てみようという気になったけれども、近所のレンタル屋なり図書館のAVコーナーなりでそれらの実物を借りてきて再生したとして、しかしこの章で語られているほど面白い映画が始まりはしないだろうということもほとんど確信している。ストーリーだけでなく登場人物のふるまいや表情からうかがえる心の動きといった内面を報告する的確な文章の能力以前に、“映画にショックを受ける力”が思春期のオースターは卓越している。それがあってこその文章力なんだろう。
 映画でも本でも、自分が真に面白いと思った作品を、もしかしたら実物よりも面白く他人に語れるのは、当の作品にとっても当人にとってもいいことに違いない。

 そして3章め「タイムカプセル」。これがすごい。こんな章が書かれ、印刷されて広く公開されていることに目まいがする。
 もともとオースターの小説作品の熱心な読者でもないわたしが、それでもこの人を気にしているのは、記憶についていろいろ書いているから、ということのほかにもうひとつ、リディア・デイヴィスの元夫だからである。ゴシップ趣味と言われたら反論はできないかもしれない。
 前作『冬の日誌』を書きあげ、まさしくこの本に取りかかっている最中、そのリディア・デイヴィスから電話がかかってきた、とオースターは書く。作家であり翻訳家である彼女は、最近、自分の手元にあるさまざまな文書を後代の研究者のための資料として図書館に引き渡し、管理を任せることにした。で、その文書の中には若いころのオースターが恋人だった彼女に宛てて書いた手紙が、100通・500枚以上もあったという。書かれた言葉の“所有権”を持つあなたが公開を望まないものがあれば必要な手続きをするから目を通してほしいとリディア・デイヴィスは頼み、かくして、
《事務用の封筒が定期的に届くようになり、一度に二、三十枚手紙が入っていた。君がまだ十九歳だった一九六六年夏までさかのぼり、その後何年も、七〇年代後半に君たちの結婚が終わりを告げたあともまだ続いていた。というわけで、この本に取り組み、自分の少年時代の精神風景を探索するのと並行して、若者だった君自身の許を君は訪れ、ずっと昔に自分が書いた、ほとんど他人のもののように読める言葉を読みつづけた。》p154

 ということになって、ふつうありえない「40年以上前に自分が出した膨大な手紙の再読」という作業の結果、オースターは1966年から69年までの《初期の手紙が君には一番興味深い。》と判断し、以下、何通も何通も引用していくのである。その冷静さはいったい何なんだ。
《君には一番興味深い。》の「君」とは、上述の通り工夫された人称なのでオースターじしんのことだが、この瞬間は読んでいるこちらを指差されているようでどきりとした。コップ1杯のゴシップを求めてこっそりページをめくっていたら、向こうから洪水がやって来たみたいなもんである。それ、わたしなんかが読んじゃってよいのでしょうかとおそれながら押し流される。
《8月10日 君から手紙が届いて凄く嬉しかった――今朝8時半頃、階下の小さなカフェで朝のコーヒーを飲んでいたら宿の女将が、未だ目も開いていない僕の前に現れ、顎の下に手紙を突き付けて(顎の毛が逆立った)、音楽的とは言い難い声で「これを[ヴワラ]、ムッシュー。貴方宛です[プール・ヴ]」。本当に嬉しかった……》pp170-1

 もちろん、オースターはゴシップのつもりで書いてなどいない。「タイムカプセル」とは、パリとニューヨークのあいだで(またはニューヨークとロンドンのあいだで)取り交わされた、甘かったり苦かったりする恋愛模様のドキュメントではない。だいたい、リディア・デイヴィスからの返事がここにはないのだ。
 一方的な発信としてここに選ばれているのは、思春期後半から大人になりたての若者が書きつけた喜怒哀楽と焦りのないまぜになった生々しい声であり、一通一通のうしろにある当時の自分の状況や時代背景について、現時点のオースターは細かく説明するコメントを挟みながら、唯一残された《君の過去に直接通じる扉》として、《同じ一人の人物に、やがて君の最初の妻となる若い女性に宛てて書かれた数千数万の言葉》の一部を、読者のこちらと共同作業で点検のテーブルに載せるように紹介していくのである。
 ひとりで自省するより、だれか他人に、それもとくべつ親しい他人に向けて書いたもののほうが正直な告白になるという逆転があるのだろう、手紙の中のオースターは文学的な野心にあふれ、自分の創作プラン(長篇小説、詩の翻訳、シナリオ…)を語っては進捗具合を報告する。いくばくかの自信を示しながらその数倍の不安を打ち明ける。騒々しく冗談を連発した次の行で悩みを吐き出す。出会った人びと、遭遇した出来事。ベトナム戦争と徴兵について。社会を論じ、身のまわりの物事に憤る。自分たちの将来。そしてまた執筆を続ける。神経が弱って潰れかける。執筆を続ける。
『冬の日誌』には簡単な年譜として読める部分があった。その中の、こちらの時代に対応する記述と重ね合わせながら生の手紙とコメントを読んでいくと、青年オースターの姿がより立体的に浮かび上がるし、そうなればなるほど、見えないカウンターパートとしてのリディア・デイヴィスの存在も、見えないままでいっそう際立ってくる。
 だから、心理的にも距離的にも近づいたり離れたりを繰り返していたはずの関係を具体的にはほとんど書いていないこの「タイムカプセル」という章には、それでもやっぱり、甘かったり苦かったりする若い二人の姿がありありと焼き付けられていることになる。
《3月2日 君からの最新の手紙……もう一度君に言う、僕の事は心配しないで。僕は大丈夫だから、本当に。僕との関係において、君が自分を疑うには及ばない。現時点で解決しようが無いと判っている問題についてあれこれ思い悩むのはよそう。今はただ、君の生活が何から成り立っているにせよ、それを抱えて精一杯良く生きるよう努める事だ。人間は現在の中で生きる事によって最も永遠の感覚に近付けるのだと僕は思う……》p203

 手紙の引用が1969年8月のもので最後になるのは、おそらく次の月から二人はマンハッタンにあるキッチンのついた二部屋のアパートで同棲を始めるからで(『冬の日誌』による推測)、いっしょに暮らせば手紙を出す必要がなくなるという当然の事実の到来にもなんだか感じ入ってしまった。
 すべての手紙の先頭に律儀に記されていた日付よりずっと未来の世界において、本来の宛先だった自分が本来の書き手である元恋人・元夫に返送したばっかりに、私信であることを越えてあたらしく広い陽の目を浴びることになった過去の手紙のこんな“活用”法について、リディア・デイヴィスはどう思っているのか感想を聞いてみたい。
 オースターより十歳年長のトマス・ピンチョンは、若いころの自分が書いたものを見るなんて小切手のサインひとつでもまっぴらだと書いていたのを思い出すにつけ(『スロー・ラーナー』の序文)、作家というのは、書く作品だけでなく本人の性格もほんといろいろである。
 キャッチーな部分ばかり引用してしまったが、こういうことを書いていたオースターとは横から割り込んで握手できそうに思った。
《本当に上等の、深々とした笑いが望みなら、フラン・オブライエンの『スウィム・トゥー・バーズにて』を読み給え。自信を持って勧める。》p202

 最後にもうひとつ。1967年6月8日の日付がある手紙で、二十歳のオースターは十九歳のリディア・デイヴィスに、ペンギン社から出ている『フランス詩集』を、19世紀編と20世紀編の両方とも買うように勧めている。
《「[…] 20世紀編の方ではヴァレリー、ジャコブ、アポリネール、ルヴェルディ、エリュアール、ブルトン、アラゴン、ポンジュ、ミショー、デスノス、シャネール、ボンヌフォア。僕の意見ではフランス文学は小説よりも詩に貢献している――フロベールとプルーストは別だが」》p167

 この部分に、現在時点から次のような後日談が書き添えられている。事実を簡潔に記しているだけだが、ここには、やがて破局を迎えることになる二人がそんなことは知らずに二人でいた時代に胚胎し、それからの変化の中でも持ち続けられた意志によってなされ、二人の関係が終わったずっとあとに完成してからは二人の一生よりも長いあいた揺るぎなく残るに違いないそれぞれの仕事を、一人ながら二人ぶんとも誇らしく感じている気持がしっかり書き込まれていると思った。
大人になったリディアはフロベールの『ボヴァリー夫人』とプルーストの『スワン家の方へ』を翻訳するに至り、大人になったポールは二十世紀フランス詩アンソロジーを編纂するに至り、その中でリディアは翻訳者の一人として登場する。p167*太字は引用者

 あなたたちは、すごいよ。
 なお、これも「訳者あとがき」に書いてあることだけど、この手紙の時代(1966-69年)にオースターが取り組んでいて、何度となくリディア・デイヴィスにも進み具合を伝えていた散文作品の切れ端が、「MONKEY」vol.1 特集 青春のポール・オースター(2013)でいくつか訳出されている(「草稿と断片」)。それだけで読むと「こんなに思い詰めて書いていたら、そりゃ完成しないよな」と納得してしまう暗さと密度の連作群なのだが、「タイムカプセル」の手紙のうしろに置いてみると、たいへん場所を得た感じが生まれて、オースター像だけでなくそれらの作品も立体的になる。日本におけるオースターはとても恵まれていると思う。

 最後の4章め「アルバム」は、先述の通り(しかしわたし以外のだれがそれをおぼえているのか)これまでの1-3章で触れられた事物の写真だったり絵だったり新聞記事だったりが、短いコメントといっしょにまとめられている。好きだったアニメの画とか、野球選手の肖像、事件報道、映画のスチール写真(脳天に二発)などなど。
 個人的な写真類は1枚もなく、言ってみれば公的な資料がずらずら続くのだが、ひたすら個人的な回想と私信を読んできたあとでそれらを見ると、オースターの思い出が額縁になって、公的なものまで個人的なものに変わって映るのが面白かった。「思い出す」というのは、公さえも私にすることなのかもしれない。

『孤独の発明』(1982)『冬の日誌』(2012)、この『内面からの報告書』(2013)と、記憶と回想にまつわるポール・オースターの本を続けて読んできた。この人はほかにも同じようなコンセプトのものを書いているのだろうか。そして、似たようなことをやっている作家にはほかにどんな人がいるのだろうか。まずは積ん読本の中から探してみる。
2018/02/05

ポール・オースター『冬の日誌』(2012)

冬の日誌
柴田元幸訳、新潮社(2017)

《何といっても時間は終わりに近づいている。もしかしたらここは、 いつもの物語は脇へ置いて、生きていたことを思い出せる最初の日からいまこの日まで、この肉体の中で生きるのがどんな感じだったか、吟味してみるのも悪くないんじゃないか。》p3

 そんなこと言わないで! あ、いや、急すぎた。やり直す。
 せんじつ読んだ『孤独の発明』(1982)は、本格的に小説に向かう前のオースターが過去をふり返り、過去をふり返る行為についてあれこれ考えることでもって自分の足場を確かめようとする思弁的な本だった。それから30年後の『冬の日誌』では、60代の半ばにさしかかったこの作家がふたたび過去をふり返る。エッセイとしては長尺で、自伝としてはカジュアルなつくり。
 この2冊を続けて読むのはまったくオースターのあずかり知らないわたしのほうのめぐり合わせだが、せっかくなので比較すると、『孤独の発明』のとくに第二部「記憶の書」では、「実際に体験した自分の過去の話」と「それをもとに展開する思索」の分量の比が3:7くらいに感じられたのが、『冬の日誌』では9:1ぐらいになっている(どちらも体感)。この違いに、最初に引用した年齢からくる動機が直接反映していると言われたら、つい納得しかねない。
 エピソード重視であることと、わたしがオースターの熱心な読者ではぜんぜんないことを併せると、本書は“そんなに知らない作家が自分の半生を具体的に綴った文章の束”ということになる。それって面白く読めるのかハードルが高い気もするものの、かく言うわたしはSNS全盛の時代より前のブログ全盛の時代よりさらに前のウェブ日記全盛の時代から、夜な夜な、知り合いでもなんでもない赤の他人の日記を探してきては半年分まとめて読みふける数時間に無上の楽しみをおぼえていた人間なので、そんなハードルは下をくぐって通過していた。どなたかの参考になればと思う。
 半生のエピソードといっても時系列ではない。たとえば体に受けた傷の話であれば、子供のときからこんな怪我をした、こんな事故に遭ったなどの経験が、一見、思い出すままに語られる。選ばれる話題は雑多だが、いま例に挙げたような肉体的ダメージ・体にまつわる事柄が大まかな主題になっている。もちろん、体とはこの自分の体だから、体を語ることを通してみずからを語っていくのである。
《これこそ君の人生の物語である。道が二叉に分かれたところへ来るたびに、体が故障する。君の体は心が知らないことを知っているのであり、故障の仕方をどう選ぶにせよ(単核症、胃炎、パニック発作)、君の恐怖と内的葛藤の痛みをつねに体が引き受けてきたのであり、心が立ち向かえない――立ち向かおうとしない――殴打を体が受けてきたのだ。》pp63-4

 加えて、いまの引用に見られる通り、本書では語り手が「君は」の二人称で自分を指すスタイルが採られている。このことを、『孤独の発明』の第一部が「私は」の一人称、第二部が「彼は」の三人称を選んでいたことと考え合わせると面白い。
 自分を「君は」と呼べば、「私は」と呼ぶより距離ができるのでもっと詳しく“点検する”立場を取れるし、それでいて「彼は」と呼ぶより過去の自分を親密な態度で扱うこともできる。さらに同時に、「君は」「君は」と語られるたび、それはあくまでオースターのことだとわかっていても、読んでいるわたしがオースターから呼びかけられているような印象も毎回ほんの少しずつ残るため、積み重なるうち次第にこっちがオースター(語り手であり、語られる対象でもある)のほうに寄せられていく効果も感知された。100パーセント個人的な自分の話を他人に聞かせる・読ませるうえで、この人称遣いはとてもうまい。
 そんな巧みな語り口に乗せて、喧嘩のことや、スポーツのことなどなどが書かれていく。というか、思い出されていく。セクシャルな事柄も、初体験までのいきさつとか、いつどこでどんな娼婦を買ったかとか、かなり率直に綴っていくので「ほう」と思いながらついチラチラとGoogleで画像検索する誘惑に駆られるいっぽう、呑み込んでしまった鉛のように本書に沈んでいるのは2002年に亡くなった母親のことで、全篇を通し、あちらこちらで若かったころの母親の姿、老いてからの様子が都度都度のさまざまな感情とともに触れられている。
(これもまた、『孤独の発明』が実父の死から書かれたことと図らずも対照をなしている――などと捉えたらあんまり読者の勝手にすぎるだろうけれども)
[…] 病院に大急ぎで連れて行かれたことも頬を縫ってくれた医者のことも覚えていない。ほんとに上手なお医者さまだったのよ、と君の母親はいつも言っていた。初めての子供の顔半分が破りとられたのを見たトラウマは決して去らなかったから、母はそのことを何度も口にした。》pp8-9

《その朝のうちに君のブルックリンの家に電話してきた母の声は、恐怖の念に包まれていた。血がね、と母は君に言った。血が口から出ていて、血がそこら中にあったのよ。長年彼女を知ってきて初めて、母は正気を失っているように聞こえた。》p134

 とくべつ面白かったのは、生まれて以降、この本を書いている現在まで、自分が定住した場所を順に並べていった部分である。どんな場所でどんな暮らしをしていたかが、およそ50ページにわたって記述され、生家から学校の寮から粗末なアパートから次の粗末なアパートから何から何まで数え上げられて、暮らした住まいは22ヶ所に及ぶ。その多さにまずおどろくし(本はどうしたんだろう)、ひとつひとつの住居の間取りについて、周囲の環境について、そしてそこで起きた出来事と自分の心持について、引き出されてくる回想の鮮明さにもっとおどろかされた。
 ここの部分は本書では例外的に時系列でたどられており、これを簡単な年譜として押さえれば、『孤独の発明』で切れ切れに言及されるこの人のライフイベントもそれなりに整理して把握できそうだ。なにより、10代終わりからの10年あまりはリディア・デイヴィスが出たり引っ込んだりするので、オースターの自伝でありながらこの期間はダブル主人公ものとして読める(ただし、『孤独の発明』と同様、この本でもオースターは「リディア・デイヴィス」という名前は出していない。わたしの読み方が勝手なのである)。その七転八倒の生活が破綻したあとで出会い、再婚を決めた2番目の妻へのベタ惚れ具合も読みどころのひとつになっている。
《それまでずっと、君が女性に関して下した判断はすべて間違っていた。でもこの決断だけは間違っていなかった。》p181

 ほほえましい、すごくほほえましいけど、ちょっと今ここでリディア・デイヴィスに謝ってもらおうかとまた画像検索して言い聞かせたくなりながら、他人の人生をこうもたやすく物語として享受してしまうわたしのような人間がいるから時系列には危ういところがあるとあらためて思った。それから、悪いのは時系列ではなくわたしだと思った。

 いまの話を別にすると、この本を読んでいていちばん頻繁に、かついちばん強く感心するのは、「よくもそんなにたくさんのことを、そんなに細かくおぼえているよな」ということだった。
「よくそんなにおぼえているよな」は「よくそんなに思い出せるよな」と同じ意味である。でも、作者の思い出したことがそのままこちらの脳に注入されるわけはない。当たり前だがオースターは思い出しているだけでなく、思い出したことを書いている
 ここにある、「思い出す」と「書く」の関係がとても気になる。
 この本にぎっしり詰め込まれた、60年間のさまざまな風景の細部、出来事のディテール、人のことばの数々、感情の揺らぎのひとつひとつ、そういったすべての物事は、(1)まずオースターの頭の中にあって、(2)それが文章のかたちで表現されるという、一方通行のルートを経てページの上に印刷されているわけではないと思う。少なくとも、それだけではないと思う。
 おぼえていること・思い出したことを書く、というだけでなく、書くことによって思い出しているという逆のルート、書くことで、自分がおぼえているとは気付いていなかったことまで思い出すという相互関係もきっとあるはずだ。
 わたしが誰かに思い出ばなしをする場合を考えてみても、話しているうちにひとつの細部がほかの隠れていた細部を引き連れて立ち上がり、ぼんやりしていた部分に具体性が上塗りされて、あたかも話しはじめる前からそのままのかたちで頭の中にしまってあったと(そんなはずはないのに)錯覚しかねないことはしょっちゅうある。思い出は再現の過程で肉付けされ、肉付けされたあとでは元の姿は見えなくなる。
 ましてオースターは小説家である。実際に起きた、ありのままの事実を本人が思い出して文章にしているつもりでも、じつはそこに書く・語ることで思い出すというプロセスが含まれているのだとすれば、語りのプロの小説家であればこそ、書く側にとって、思い出を語ることと創作のあいだに、本人以外が想像するほどの違いはじつは無いのじゃないかということが気になるし、そこについてオースターじしんは何らかの自覚と企みを持っているのだろうかということも、さらにいっそう気になってくる。
[…] ピアノはもう何年も演奏されていなくて音程が狂っているので調律師に来てもらうことにした。翌日、盲目の男がやって来た(君はこれまで、盲目でないピアノ調律師にはまず出会ったことがない)。五十歳前後の太った人物で、顔はパン生地のように色白、目が上向きになって白目が露出していた。奇妙な人だ、と君は思ったがそれは目だけのせいではなかった。むしろその肌。漂白したような、ホコリタケを思わせる、ふわふわで押せば凹みそうな肌で、まるでどこか地下に棲んでいて顔にまったく光を当てていないかのように見えた。》pp64-3

《何分かが過ぎ、君の体も冷えてきておおむね正常な温度に下がったところで、タクシーが一台こっちへやって来るのが目に入ると同時に、一人の女性が歩いてくるのを君と君の妻は見た。若い、おそろしく背の高いアフリカ系の女性で、カラフルなアフリカの服に身を包み完璧に背筋の伸びた姿勢で歩き、胸に掛けたスリングの中では小さな赤ん坊が眠っていて、右手から重たい買物袋が下がり、左手からもうひとつ重い袋が下がり、三つ目の買物袋は何と頭に載っている。人間の優美さの具現化を自分が目のあたりにしていることを君は悟った。左右に揺れる腰のゆっくり滑らかな動き、その歩みのゆっくり滑らかな動き、一種の叡智と君には思える気品とともに荷を負っている女性、一つひとつの重さが均等に分配され、首と頭はまったく動かず、腕もまったく動かず、赤ん坊は母の胸ですやすや眠っている。一家の荷物をここまで運んでくるにあたり何とも見苦しい姿をさらしたばかりの君は、己のぶざまさを痛感し、自分には逆立ちしてもできっこないことに同じ人間がかくも見事に熟達しているのを見て畏怖の念を禁じえなかった。》pp160-1

 最初から頭にあったこと。書いているうちに思い出されたこと。思い出しているつもりで創作されたこと。創作するつもりで創作されたこと。どれもこれも、書かれてしまえば同じ文章なので読む側には区別がつかないが、それは文章表現の前提だから気にならない。繰り返すが、気になるのは、書く側にはどの程度区別がついているのか、そこを本人は意識できるのか、ということだ。
 なんとなれば、ある程度でも区別ができて意識もできるとしたら、その人はそのぶんだけ思い出をコントロールできることになるからで、思い出や記憶をコントロールできるなら、それはいまの自分をコントロールできることになるんじゃないかと思うからである。
 だが、そういうことについては『冬の日誌』には書かれていなかった。書かれていなかったが実践があった、とは言えるかもしれない。勝手すぎるかもしれない。

 最後にもうひとつ、この本をいちど読み終えてから発見があったので書いておく。
 たぶんオースターの愛読者なら「何をいまさら」なのだろうが、今回わたしが遅ればせながら気付き、気付けて本当によかったと思ったのは、“ポール・オースターが書いて柴田元幸が翻訳した文章は、朗読するととても気持がいい”ということである。
 もちろん、目で追っているだけでも文章がうまいのはわかる。能弁な回想を紡ぎ出す、観察の細やかさ。それを再現して伝える、作為は目立たないのに練りに練られた行文と、語彙の選択の確かさ。どれもしっかり、味わったつもりでいた。
 でも、『冬の日誌』のどこでもいい、ページを開いてひと掴みふた掴みのまとまりを声に出して読んでみると、次の言葉、次の行へとぐいぐい伸びていくピンと張った一本の筋が文章の内側からあらわれ、繊細な一文一文がたくましさをまとって自分の口から出てくる。ちょっと可笑しかったところを人に読んで聞かせようと軽いつもりで音読をはじめたのに、読み進めるうちに自分でびっくりした。
[…] そして、そう、君と君の恋人はその一年まさしくエストランジェだったのだが、パリの冷淡でピリピリした堅苦しさに較べればこの地方での暮らしは何と穏やかだったことか、南で暮らしたあいだみんな君たちにどれだけ温かく接してくれたことか、アシエ・ド・ポンピニョンなるありえない名前の堅苦しいブルジョワの夫婦ですら時おり隣り村のレギュスにある家に君たちを呼んでくれて一緒にテレビで映画を観たし、君たちの家から七キロ離れたオプスで知りあった人々もやはり友好的で、君たちはここへ週二度買い出しに行き、孤立した暮らしが何か月も続いてくるとこの人口三、四千の町がとてつもない大都会のように思えてきて、オプスには主だったカフェが二つしかなく一方は右翼カフェでもう一方は左翼カフェだったので君たちは左翼カフェに通い、社会主義者か共産主義者である常連の薄汚い農夫や機械工に歓迎され、この荒っぽくお喋りの地元民たちは若いアメリカ人エストランジェ二人をますます気に入ってくれて、君たちはそのカフェで彼らと一緒に一九七四年大統領選の結果もテレビで観て、ポンピドー死後のジスカール・デスタンとミッテランとの選挙戦に晩はいったん大いに盛り上がったものの最後は失望に終わり、誰もが酔っ払って喝采していたのが誰もが酔っ払って悪態をつき、加えてオプスには仲よくなった肉屋の息子がいて、君とほぼ同い歳で父親の店で働いていて行くゆくは家業を継ぐべく修行中だったが本人は写真にも熱心で腕もよく、その年はずっとダム建設で水中に埋もれる予定の小さな村の立ち退きと取り壊しを撮っていて、かくして悲痛な写真を撮る肉屋の息子と社会主義者/共産主義者カフェにたむろする酔っ払った男たちがいたわけだが、さらにはドラギニャンの歯科医もいて[…]pp74-5

[…] 数年前に、一家全員でオーロラを見に闇の中へわざわざ出ていったことがある。君がオーロラを見たのはあとにも先にもそのときだけで、それは忘れがたい、想像を絶する眺めだった。寒さの中に立ち、電気のような緑色の光を見上げる。夜の黒い壁を背に緑色にきらめく空の賑やかな眺めの壮大さには、それまでに見たどんな眺めも遠く及ばなかった。それにまた、雲のない澄んだ夜には、空一面に星がぎっしり、地平線から地平線まで並び、よそでは決して見られぬ無数の星がたがいに溶けあって濃密な水たまりを、頭上に浮かぶ白さの粥[ポリッジ]を形成する。そうした夜が明けると白い朝が、白い午後が続き、雪が降る――君の周りじゅうではてしなく雪が降り、君の膝まで達し、腰まで達し、小さかったころ君の母親の花壇にあって君の頭を越えたひまわりのようにますます高くなり、見たこともないほどたくさん雪が降って、突然君は九〇年代なかばのある瞬間を生き直している。君は妻と娘とともにクリスマス恒例のミネソタ巡礼に来ていて、吹雪の夜に車を運転中で、ミネアポリスにある妻の妹の家から、六十キロばかり離れたノースフィールドにある妻の両親の家へ向かっている。》pp186-7

 深く潜った記憶の中からこちらに向かって文章による回想をおこなう人たちが風景描写に秀でがちなのは、回想と風景に関係があるからなのか、あるとしたらどんな関係なのかについてはまたいつか考えたい。
 今度こそ本当に最後、もうひとつ書いておくと、時系列に従わない思い出の羅列のように見えるだけに、どうやって終わるのか予想がつかないこの『冬の日誌』は、これほどの言葉を操って文章を書ける人が、あるときある場所で――1978年12月の晩にマンハッタンの体育館で――およそまったく言葉が追いつかず、言葉で説明するのが不可能な出来事を目の当たりにし、しかしその言葉の無力を心底思い知らされたことによって書く人間として再生した体験を、かなり最後のほうに配置している。たいへん見事な構成だとおそれ入った。こう書いても何のことだかさっぱりだろうから、これは断じてネタバレではない。


*追記:
 上でも触れた、住居の変遷を順番に語ったあとで、移動についてもオースターは書いている。
《機内に乗り込むたびに君を包む、どこにもいないという不思議な感覚。時速八百キロで空間を運ばれていくことの非現実感。地面からあまりに離れているので、自分自身の現実性まで失われてくる気がする。あたかも自分が存在するという事実が、体から排出されていくように感じられるのだ。とはいえそれが家を離れる上で払う代価である。移動を続けるかぎり、家というここ[ヒア]とどこかよその場所というそこ[ゼア]のあいだに広がるどこでもないところ[ノーホエア]も、やはり君が住む場のひとつでありつづけるだろう。》pp104-5 *太字は引用者

 場所について、移動しているあいだの自分はここでもそこでもないどこでもないところにいる。これを場所ではなく、時間についても当てはめてみたらどうだろう。
 というのは、「思い出す」という行為の最中、記憶を呼び戻してしばらくその回想に浸っているあいだ、体はもちろんいまここにあっても、頭はここ(現在)でもなく、そこ(過去)でもない、やはりどこでもないところにいるかのように、頭の中がそういう場所になっているかのように、わたしは感じているからだ。
 自分が自由にあちこち歩き回れるような、現在でも過去でもない場所と時間をページの上に広げるために書かれた本として『冬の日誌』を読むことができると思う。

 さらにまた、話がずれるけど見つけたので書いておくと、ここそこをめぐる言葉は、『孤独の発明』の第一部でもオースターの父親について語られていた。
《自分がいまいる場所にいること、父にはそれがどうしてもできなかった。生涯にわたって、父はどこか別の場所にいた。ここそこのあいだのどこかに。ここにいることはけっしてなかった。そこにいることもけっしてなかった。》pp32-3

 ここそこ、およびどこでもないところに注目してオースターの小説作品を読んだらどんなことが言えたり言えなかったりするんだろうかと、読んでないくせに(読んでないからこそ)気になった。


孤独の発明 (新潮文庫)
ポール オースター
新潮社
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2018/01/28

ポール・オースター『孤独の発明』(1982)

孤独の発明 (新潮文庫)
柴田元幸訳、新潮文庫(1996)


『孤独の発明』のことを忘れたことがない。正確には、この本に書かれていた内容を大部分忘れていたあいだも、自分がこの本を読んでいた状況は忘れたことがない。
 それは進学で上京した年の5月で、同じく東京に出てきた高校以来の友達とあの有名な“神田の古本屋街”へ行ってみようじゃないかと相談し、晴れた日曜の昼下がり、待ち合わせに向かう電車の座席はあらかた埋まっていたから、ドアのそばのポールに寄りかかってこの黒っぽい表紙をした新潮文庫のページをめくりはじめたのだった。
 ちなみにその日は、古本屋街をめざしていながら山手線の神田駅で降りてしまうという、おびただしい数の先人が繰り返してきたとあとで知ることになる間違いをやっぱりわたしたちも犯したために古本屋を回るどころではなくなって(そもそも日曜日を選んだのも間違いである)、うろうろ迷った末にそこがどこなのかもわからないままたどり着いた書泉グランデでわたしは創元SF文庫のヴァン・ヴォークト『イシャーの武器店』と『武器製造業者』を買った。本来の目的をそうそうにあきらめていた友達は、途中にあった服屋の前で不意に「そうだ」と入っていってベルトを買い、「そうか」とわたしは妙な納得をした。そしてひとりになった帰りの電車でまた『孤独の発明』を取り出して読んだ。部屋に帰っても読み続けた。小説ではなく、エッセイというにも収まりの悪い、変な本だという印象だけが残った。

 こういうふうに、およそどんな意味でもビッグイベントではない過去の一部分ばかりをピンポイントでおぼえている(時にキモいと評されるが決して少数ではないはずの)人間のひとりであるわたしは、物書きのなかにはただ過去のことを書くだけでなく、それを記憶すること・記憶しているということ、さらには思い出すということ、といった頭の働きそれじたいについて考えをめぐらせ、その過程から文章を書き起こしていく人たちがいると知るにつれ、どんな人がどんなものを書いているのか気になり、そういうものをできるだけ読んでみたいという関心をずるずる引きずってきた。

 あのあと小説を4、5冊読み、どうやらそんなに好みではないような……と遠ざかってしまったために、わたしにとってポール・オースターは「たぶん、ミルハウザーやエリクソンよりずっと広い層に読まれ、売れているっぽい」、あと「すごいハンサム」、何より「あのリディア・デイヴィスの元夫」という情報を持った名前だけの存在になってしまっていたが、今回『孤独の発明』を読み直して思い知ったのは、小説よりも前に書かれ、作家オースターの出発点とされるこの本こそが、まさにわたしの気にしていた個人的な過去や記憶、回想といったものごとを扱った本だということだった。なんだ、そうだったのか。ずいぶん回り道した気持だよ。
《自分がいまいる場所にいること、父にはそれがどうしてもできなかった。生涯にわたって、父はどこか別の場所にいた。ここそこのあいだのどこかに。ここにいることはけっしてなかった。そこにいることもけっしてなかった。》p33

 本書は二部からなる。第一部「見えない人間の肖像」、第二部「記憶の書」。
「見えない人間」とは、「私」を名乗る書き手の父だ。家族とのコミュニケーションにどうにも問題があり、「私」が高校を終えるころに離婚して以降15年のあいだ独りで暮らしていた父が急死する。
 その3週間後から断片のかたちで書き始められる第一部では、「私」つまりオースターが父のことを思い出し、折々のエピソードを重ねてその正体を探しつつ、そういった作業を行なう意味を自問し続ける。他人への共感というものを根本的に欠いていた父。買物で複数の選択肢があれば、迷いなくいちばん安価なものを選んでいた父。回想の試みであり、回想の生まれる過程を追った擬似的なドキュメンタリーのようでもある。そして回想は失敗し続ける。
《この仕事をはじめたときは、言葉の方から勝手に出てきてくれるものと私は思っていた。神がかりのごとく、言葉がとめどなくあふれ出てくるだろうと。書きたいという欲求はこの上なく強かったから、物語はひとりでに書けてしまうだろうと思ったのだ。だが実際にやってみると、言葉はなかなか出てきてくれない。調子のいい日でも、一ページ、二ページ書くのがやっとだ。何かが私を妨げているような、呪いをかけているような気がする。書こうという気持ちはあるのに、どうにも集中できない。自分の思考が眼前の問題から離れていってしまうのを、私は何度も、なすすべもなく眺めてきた。ある事柄を思いついたとたん、それが別の事柄を喚起し、さらにまた別の事柄につながってゆく。やがてはおそろしく濃密なディテールの蓄積ができ上がり、ほとんど息が詰まりそうになる。考えることと書くことのあいだの裂け目を、これほど痛感させられたのははじめてだ。実際、ここ数日、自分が語ろうとしている物語は、実は言語とは両立しえないのではないか、そんな気さえしてきている。おそらく、物語が言語に抗えば抗うほど、それは私が何か大切なことを言いうる地点に近づいた証しにほかならない。だが、まさに唯一真に大切なことを(かりにそんなものがあるとして)言うべき瞬間に達したとき、私はそれを言うことはできないだろう――そんな気がするのである。》pp56-7

 家庭の外、仕事をする父の姿。家族ではない他人の目に映っていたであろう父の姿。手紙。伝聞。多面的な肖像を何枚描いても、それを貼り合わせる芯がない。
 父はなぜあのような人間だったのか。その大きな要因として「私」は父の両親にさかのぼり、隠されていた事件のあらましを細かく記述するが、そうしながら、これも決定打にはなりえないとわかっている。どれだけ材料を集めても、父は「見えない」。
 そんな不器用な回想は、いわゆる追悼であるとか、書き続けることじたいが喪の作業になるというような収まりのいいコースからも外れているとわたしは思う。
「私」は父を探すためにこれらの文章を綴っている。その動機は疑いようがない。それなのに、読者の側からすれば、見つからないからこれらの文章はいまここにある、という事態の奇妙さをずっと感じ続けることになる。無茶な仮定だけど、書いていくうちに納得できる父の正体を発見できていたら、オースターはその文章を発表しなかったんじゃないか。
《数日間何も書かず……
 心のなかであれこれと口実を並べてみたところで、実状を隠せはしない。すなわち私は、自分が言えることの終わりに近づけば近づくほど、何を言うのも気が重くなってきているのだ。終わりの瞬間を私は引きのばしたがっている。そうすることによって、自分はまだはじめたばかりなんだ、物語の大半はまだ先に控えているのだ、そう思いたいのである。これらの言葉がどんなに無意味に思えようとも、それらはいままで、私と、私を怯えさせつづける沈黙とのあいだに立ってきてくれた。私はいずれその沈黙のなかに足を踏み入れるだろう。そのとき父は、永久に消えてしまうだろう。》p111

 結局この第一部は、自分のをめぐる言葉を連ねながら、自分の息子に触れ、父としての自分を確かめることでいったん小さく着地してから、第二部へ続く。

「私は」という一人称で書かれた第一部に対し、第二部「記憶の書」では、「Aは」「彼は」といった三人称が選ばれている。
「A」はオースター(Auster)だろうから「私」の場合と指すものは同じだけれども、この転換を経ることで、書かれること・書かれ方は変わっていく。
「私は」の第一部では話題は父のことに限られていたのが、「彼は」の第二部では材料がもっと増える、と説明したら単純にすぎる。でもじっさい、何が書かれていたか思い出そうとしても「これ」とひとつにまとめられないくらい、雑多な材料がこちらでは集められている。
 記憶についての考察だと言うことはできると思う。
 タイトルでもある「記憶の書」という文章を「彼」は書いている。それを書こうとしている自分、すなわち「彼」の姿は、狭くて粗末な部屋に閉じこもり、テーブルに向かってペンを握る男として描かれる。自画像だが、「彼」という自画像だ。
《この部屋に長時間とどまることによって、たいていの場合彼は室内を自分の思考で満たすことができる。そしてそれが荒涼さを霧散させてくれるように思える。少なくとも荒涼さを忘れさせてはくれる。出かけるたびに、彼は自分の思考を一緒に持っていく。彼の不在中、部屋は彼がそこに住もうとする努力を徐々に除去していく。帰ってきたときには、作業をまた一からやり直さねばならない。それは労力を要する仕事である。本物の、精神的な労力を要する仕事である。》p124

 記憶について、記憶のあり方について、「彼」は書く。何度も何度も角度を変え、スケッチを繰り返すように文章を重ねる。そのとき使われるのは、祖父を看病した話や最初の妻と息子にまつわる話といった、自分の過去の体験であったり、人から聞いた話であったり、ヨナ書やピノキオや『千夜一夜物語』などの深く読み込んできた本であったりする。
 一人称から三人称への転換は、おそらく、自分を客体化することで書く内容に普遍性を持たせるために必要だったのではない。
「彼は」で語ることにより、書き手はすべてが自分に結びつく「私」から離れる。すると、ひとつの物事がほかにつながる連想や、さらには飛躍のはたらきがより活発になる。ある材料が別の材料を呼び寄せて、つまりは、「彼」というひとりの中で行なわれる考察が、「彼」というひとりの外へと広がっていく。こういう進め方を可能にするために必要とされたのが、三人称だったのではないかと思う。
《アンネ・フランクの誕生日が自分の息子と同じであることに気がついて、彼はひどく心を惹かれる。六月十二日。双子座生まれ。双子のイメージ。すべてが二重である世界、同じことがつねに二度起こる世界。
 記憶――物事が二度目に起きる空間。p134 *太字は引用者、以下同じ

 唐突だ。そしてスリリングでもある。書かれている内容だけでなく、書かれ方が面白い。これだけだとアフォリズムのようだが、ぜんぶがこうではない。たとえば次の引用だと、じっくり幅をとった考えの歩を進めるうちに、「彼」は部屋にいながら旅に出てしまう。
[…] 最初の一歩が不可避的に次の一歩につながっていくように、ひとつの思考もまた不可避的にその前の思考からつながっている。ひとつの思考が複数の思考を生み出す場合には(たとえば二つか三つの、関連性においてもたがいに同等の思考)、生み出された第一の思考を終わりまでたどるだけでは不十分である。第二の思考をたどるためには、それを生んだ最初の思考の地点まで立ちかえる必要がある。そして第三の思考をたどるためには、もう一度最初の……。といった具合に、我々の心のなかの過程をイメージ化するなら、経路のネットワークのようなものが立ちあらわれてくる。それは人体の血液経路のようでもあり(心臓、動脈、静脈、毛細血管)、地図のようでもある(都市の街路、なるべくなら大都市の街路図、あるいは道路地図でもいい、ガソリンスタンドで売っているような大陸全体に広がり交差し折れ曲がる幹線道路の地図)。したがって、都市を歩くとき我々が行なっているのは、実は思考すること、それもさまざまな思考がひとつの旅を形成するようなやり方で思考することではないだろうか。そしてこの旅こそが我々が歩む歩みにほかならないのであり、したがってつきつめて考えるなら、我々は旅をしてきたのだ、と言ってよいのである。たとえ部屋を出なくとも、それは旅だったのだ。我々はどこかへ行ってきたのだ、と言ってよいのである。たとえそれがどこなのかはわからなくても。》p200

 いまこうやって書き写した部分を眺めてみると「なぜそうなる?」という気持もなくはないが、書き写しているあいだは、そして本の中で読んでいるあいだは、この不思議なつながりをたしかにつながりとして追うことができてしまう。
 書く人間がひとりで考えていることを、読んでいる人間が追体験できるなら、それはもうひとりではないのじゃないか――というようなことも、たしかこの第二部の中に書いてあったと思う。書いてなかったかもしれない。でも、読んでそう思ったんならそう書いてあったのと同じだと言ってしまえる、この本はそんな本である。
 フランシス・ポンジュという詩人の挿話。この人と「彼」は、あるときある部屋で、ごく短時間だけ同席した。3年後に再会して話をすると、詩人はそのときの室内の様子を細部まで記憶していた。たいへんなことである。
《たった一度見ただけの、自分の人生とつかのまの以上のつながりがあったはずもない事物を、これほど精緻に覚えているなんて、ほとんど超能力のようではないか。彼は理解した。ポンジュにとっては、書く行為と見る行為のあいだに何の隔たりもないのだ。いかなる言葉もまず見られることなしには書かれえない。ページにたどり着く前に、それはまず身体の一部になっていなければならない。心臓や胃や脳を抱えて生きてきたのと同じように、まずはそれを物理的存在として抱えて生きなくてはならないのだ。だとすれば記憶というものも、我々のなかに包含された過去というより、むしろ現在における我々の生の証しになってくる。人間がおのれの環境のなかに真に現前しようと思うなら、自分のことではなく、自分が見ているもののことを考えねばならない。そこに存在するためには、自分を忘れなくてはならないのだ。そしてまさにその忘却から、記憶の力が湧き上がる。それは何ひとつ失われぬよう自分の生を生きる道なのだ。》pp227-8

 次の引用はさらにもっと長いが、長いといっても文庫本のせいぜい1ページ半で、ひとりの記憶が多数の記憶につながり、さらに、それを書く話にスライドしていくという、自在な流れ方をする。
《書いているあいだ、彼は自分が内側に(自分自身のなかへ)動いているのを感じ、と同時に外側に(世界に向かって)動いているのを感じる。一九七九年のクリスマスイブにヴァリック・ストリートの部屋に一人でいた、あの瞬間に彼が経験したのは、おそらく、たとえ一人でこの部屋の底知れない孤独のなかにいても、自分は一人ではないのだという突然の認識だったのだ。もっと正確にいうなら、その孤独について語りはじめようとしたその瞬間、彼は単に彼自身である以上の何ものかになったのだ。だとすれば記憶というものも、ただ単におのれの個人的過去を甦らせる行為というだけではなく、他者たちの過去のなか、すなわち歴史のなかにみずからを没入させる行為にもなってくる。自分がその参加者であると同時にその傍観者であるところの歴史、自分がその一部であると同時にそこから隔たっている歴史、そのなかにみずからを没入させること。したがってあらゆるものが彼の心のなかに同時に存在している。あたかもそれぞれの要素が他のあらゆる要素の光を反射し、と同時にそれ独自の、けっして消えることのない輝きを発しているかのように。もし彼がいまこの部屋にいるべき理由が何かあるとすれば、それは彼のなかの何かが、それらすべてを見たいと欲しているからだ。それらすべてが生み出す混沌を、生[き]のままの、張りつめた同時性において味わいたいと望んでいるからだ。けれども、それを語る行為は、必然的に緩慢たらざるをえない。それは、すでに思い出されたものをもう一度思い出そうとする微妙な作業である。記憶の空間において発見されたあらゆる言葉を書きとめるには、ペンの動くスピードは絶対に不十分である。あるものは永久に失われてしまっている。またあるものはいずれふたたび思い出されるだろう。そしてまた別のあるものは、失われ、見出され、ふたたび失われてしまっている。――こうしたことについて確信を得る手立ては何もない。》pp228-9

 こんな書き方を手に入れるために「彼」が必要だったとすれば、第一部で父は見つからなかったが、オースターは「彼」を見つけたことになるのかもしれない。孤独の発明とは、そのことだったのかもしれない。



*ついでに:
■ 第一部で、父の過去への入口として写真が1枚紹介される。破けたのをもういちど貼り直した家族写真で、この文庫版では言葉で説明されるだけだが、原書のKindle版だと、その実物も印刷されているのが「なか見!検索」から見ることができる。読んでから見ると、これは怖い。収録しなかった訳書を責める気にはちょっとなれない。

■ 第一部を書きあぐねる「私」の苦心を上で引用した。もういちど貼る。
《この仕事をはじめたときは、言葉の方から勝手に出てきてくれるものと私は思っていた。神がかりのごとく、言葉がとめどなくあふれ出てくるだろうと。書きたいという欲求はこの上なく強かったから、物語はひとりでに書けてしまうだろうと思ったのだ。だが実際にやってみると、言葉はなかなか出てきてくれない。調子のいい日でも、一ページ、二ページ書くのがやっとだ。何かが私を妨げているような、呪いをかけているような気がする。書こうという気持ちはあるのに、どうにも集中できない。自分の思考が眼前の問題から離れていってしまうのを、私は何度も、なすすべもなく眺めてきた。ある事柄を思いついたとたん、それが別の事柄を喚起し、さらにまた別の事柄につながってゆく。やがてはおそろしく濃密なディテールの蓄積ができ上がり、ほとんど息が詰まりそうになる。考えることと書くことのあいだの裂け目を、これほど痛感させられたのははじめてだ。実際、ここ数日、自分が語ろうとしている物語は、実は言語とは両立しえないのではないか、そんな気さえしてきている。おそらく、物語が言語に抗えば抗うほど、それは私が何か大切なことを言いうる地点に近づいた証しにほかならない。だが、まさに唯一真に大切なことを(かりにそんなものがあるとして)言うべき瞬間に達したとき、私はそれを言うことはできないだろう――そんな気がするのである。》pp56-7

 わたしは、ポール・オースターとリディア・デイヴィスが若いころの一時期、結婚していたのを知っている。知っているのを知らなかったことにはできないという、理由の大半はそんなところだろうが、上の引用なんかを読んでいると、わたしはリディア・デイヴィスの『話の終わり』(1995)を思い出す。書き手が、過去の恋愛の顛末を文章化しようと静かに七転八倒する長篇小説だ。
《何度書くのを中断しても結局また戻ってきたのは、自分はすでにこれがどんな話か知っているのだから何も考えなくても書けるはず、という気持ちがあったからだ。だがかける時間が長びけば長びくほど、どうやればいいのかわからなくなった。どの部分が重要なのかが自分では判断できなかった。どこを自分が面白いと思っているのかはわかったが、面白くない部分も含めて何もかも書かなければならないと思っていた。だから面白くない部分も何とか苦労して書き進め、面白い部分になったら思い切り楽しんで書こうと決めた。ところが実際には、面白い部分になってもいつもそうと気がつかずに通りすぎてしまい、ということは自分が面白いと思っていたほどには面白くなかったのかもしれず、そう思うと意欲がそがれた。》p57

《きのうは一時間ほど、どうすればいいのかわかったような気になっていた。こう思ったのだ――気に入らない部分は取ってしまえばいいんだ。そうすれば残ったものはすべていいものになるはずだ。ところがまた別の声がした。この声はしょっちゅう横から出てきては私を混乱させる。そんなに性急に書いたものを削るべきでない、とその声は言った。もしかしたら書き直せばすむだけなのかもしれないじゃないか。それとも別の場所に移動させるか。一つの文章を別の場所に移すだけですべてが変わることだってある。まずい文章の単語を一つ変えるだけで良くなることだってある。句読点一つで変わることだってあり得る。でもそうすると、と私は考えた。すべてのものを何度も移動させたり書き直したりしたあげく、これはこの小説には必要ないとはっきりするまで、何一つ捨てることができないということになりはしないか。
 だが、もしかしたらこの小説は解くのが難しいパズルのようなもので、必要でない要素など一つもないのかもしれない。私がもっと賢く忍耐力があれば、解くことができるものなのかもしれない。私は難しいクロスワードをやっても完成できたためしがなく、かといって、あとで答えが載ったときまで覚えていてそれを見るということもしない。このパズルはもうずいぶん長いことやっているので、最近ではふとこう思うことがある――もうそろそろ答えを見てしまおうか。まるで新聞のページをめくればそこに答えが書いてあるとでもいうように。翻訳で行き詰まっているときも、ときどき似たような苛立ちにとらわれ、こう思う――で、けっきょく答えは何なわけ? だが答えなどどこにもありはしない。あるにしても、たぶん後になって振り返ったときにふっと浮かんでくる類のものなのだろう。》pp99-100
岸本佐知子訳

 面白すぎて止められなくなった。ともあれ、『話の終わり』の書き手が書きあぐねている、むかしの恋愛の相手がオースターとは別の男なのははっきりしている。
 ポール・オースターはリディア・デイヴィスではないし、『話の終わり』は『孤独の発明』ではない。
 それはわかっているつもりでも、オースターが自分の過去をふり返れば不可避的に「元妻」が出てくるので――『孤独の発明』では「リディア・デイヴィス」という名前は一回も書かれないが――詩を志し、フランス語の翻訳者として生計を立て、自分の過去を材料にものを書こうとして、書きあぐねることじたいも作品に書き込んでいくスタイルを選んだというところまで共通点を持つこの2人の生活がどんなものだったのか、気になってしまうのはもう仕方のないことじゃないかと思う。何ものかに対する言い訳のようにそう思う。