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野木恵一『報復兵器V2』(1983)
報復兵器V2―世界初の弾道ミサイル開発物語 (光人社NF文庫)
光人社NF文庫(2000)

《A4が、垂直からゆっくりと傾き始めたのが見えた。それは予定どおり、東北東へと頭を向けつつあった。
「一九……二〇……二一……二二……」
 A4の傾きは目に見えて増し、離れて行き、速度も増加する一方なのが見てとれた。
「音速」
 スピーカーは、A4が音速を超えたことを知らせた。これからA4は、自身の発する轟音を後に置き去りにしつつ飛んで行くのである。》pp14-5

 この本を読んだきっかけも、読み直したきっかけも、トマス・ピンチョン『重力の虹』だった。
 数百人の人間があっちこっちと入り乱れるあのとっ散らかった小説の中で、飛んだり炸裂したり分解されたり組み立てられたりする事実上の主人公と言っていいA4ロケット、通称V2(Vergeltungswaffe 2、報復兵器二号)の「できるまで」と「その先」を描いたこのノンフィクションは、とても読みやすくて面白い。
 第一次大戦後のドイツで、再軍備をきびしく制限したヴェルサイユ条約がロケット兵器についてはザルだった(ロケットが兵器になるとは考えられていなかった)ことに活路を見出した弾道学博士のカルル・エミール・ベッカー大佐と、その部下であるヴァルター・ドルンベルガー大尉のもとで着手された、ロケット開発。
 おりしも、民間でも宇宙旅行への関心が高まっており、その夢は貴族の家柄に生まれたひとりの少年を魅了していた。
 この少年が大学生になり、当時会員を増やしていた「宇宙旅行協会(VfR)」に加入して、運命の歯車が噛み合いはじめる。それまでは、壮大な目標を共有する者だけでなく、なにかズレた者・ただの山師そのほかも在籍し、今ひとつうさん臭さが抜けなかったVfRの中でメキメキ頭角をあらわしていったその青年ことフォン・ブラウンに、軍が接触してきて歯車はもう一段階まわる。
《それからベッカーは、思ってもいなかった提案をしてきた。フォン・ブラウンに、陸軍兵器局砲術弾薬部の民間人技術者として働く気はないか、と言うのである。[…]
 ミイラ取りがミイラになったようなもので、戻って来たフォン・ブラウンの話を聞いたVfRの仲間たちは大いに驚いた。リベラルな信条の持ち主のリーデルは、軍がロケット研究に介入すること自体批判的であった。彼は、なかば公然と進められている再軍備とナツィスの躍進に、不吉なものを感じていた。[…]
 フォン・ブラウンとしては、ベッカーの提案を受け入れる方に傾いていた。この不況下に、ロケット研究を援助してくれる所と言えば、軍の他には考えられない。我々の最終目標は、あくまでも宇宙旅行である。そのことさえ忘れなければ、一時軍の力を借りることも許されるのではないか。》p80

 そうして、挑戦と失敗と再挑戦のプロジェクトXな年月が続いていく。刻々と変化する国内と国外の情勢の中で、科学者を利用したい軍人と、軍人を利用したい科学者が、決して皮肉な意味だけではなく手に手を取り合って、射程距離260キロ、弾頭重量1トンの飛翔体の開発に邁進する。
《フォン・ブラウンばかりでなく、リーデルもルドルフも、宇宙旅行実現の第一歩を築くという希望を持って、兵器実験部の研究に加わって来た者である。彼らの議論はともすると、当面の技術的課題から離れて、宇宙空間へとさまよい出て行く傾向があった。ドルンベルガーは、金星行き宇宙船の軌道を六桁の精度で計算するとか、火星行き宇宙船の熱制御とかの問題から彼らを引き離し、現実に目を向けさせねばならなかった。》p90

 彼ら開発者の肖像や、試作機・打ち上げ実験の記録写真もいろいろ入っているし、A4の機関部の構造図だったり、2個のジャイロを使った自動操縦装置の働きの解説、関連する施設の地図もあって、この1冊を読んでおくと『重力の虹』がいくらか身近に感じられるようになる、ありがたい本だった。

 加えて面白かったのは、ノンフィクションである本書に、ときおり、以下の引用部分の中で太字にしたような部分が挿まれることだった。まず1932年12月、初期の実験が行なわれた日のこと。
《最初の実験は、設備が完成して数日後の真夜中、凍えるような寒さの中で行なわれた。フォン・ブラウンが点火係を務めた。点火装置は、三・五メートルほどの棒の先にガソリンの入った小さな缶をくくりつけたものだった。ガソリンに火を付けて、ロケットのノズルの下に差し出すのが彼の役目である。
 計測室では、グレノウが推進剤加圧用の高圧窒素バルブの前に、リーデルが推進剤供給バルブの前に待機し、計器を注視していた。ドルンベルガーは、試験室の開け放たれたドアの外、一〇メートルほど離れた木の陰から、全てを監督していた。
 試験室の屋根は開放され、エンジンが明るい照明の下で銀色に光っていた。ドルンベルガーの合図で、フォン・ブラウンは棒の先のガソリンに火をつけた。試験室の入口に立ちながら、彼は寒さのあまり足踏みしていた。p86

 たくさんの資料に基づいて書かれた記念すべき場面なのだろうが、こんなことまで何かの記録に残っていたのだろうか。だれがそれを書いたのか、気になってしまう。
 次は10年以上のち、実験の舞台がドイツ東部海岸のペーネミュンデにある基地に移り、A4の実験も成功したあと、情報がイギリスにもれて空襲を受ける1943年8月17日深夜のところ。
[…] フォン・ブラウンは、ライチュを空軍の車の所まで送って行った。彼女が空軍施設へ戻るのを見送った後、フォン・ブラウンは自分の住居に帰った。彼はハウス30と呼ばれる独身寮に住んでいた。
 彼が眠ったか眠らないかのうちに、空襲警報が響きわたった。彼は飛び起きて着がえると、五〇〇メートルほど離れた空襲警戒所へと急いだ。しかし、警戒所でドルンベルガーと同じ説明を聞かされたフォン・ブラウンは、再び帰路についた。
 歩きながら目を空にやると、ペーネミュンデを空から隠すための煙幕発生装置が作動して、薄い霞が満月にかかりつつあった。
 宙空の一点に、赤い炎の塊が出現した。それは揺らめきながら、落下して来た。驚いて歩を止めた彼の視界の中に、クリスマス・ツリーの飾りつけのような、緑や黄色の美しい炎が次々に出現した。
 四発機の大編隊の重々しい爆音が、北西から近づいて来た。彼方で、高射砲や高射機関砲が炸裂し出した。突然、爆弾が風を切る音が耳に飛び込んで来た。フォン・ブラウンはあわてて地面に伏せた。》p241

 これもやっぱり、ノンフィクションというより小説のようである。
 このシーンに資料があるとしたら、フォン・ブラウンの日記・日誌・聞き書きの類にちがいないと思うのだけど、そうだったとして、日記・日誌・聞き書きの類(ノンフィクション)に基づいたからこそ小説に見えるのだとしたら、ノンフィクションっぽさが小説らしさを担保しているように感じられるしくみはどういうものなのかとか、また、「こういうの=小説的」と受け取るわたしの側の回路の働き具合だとか、そういうことを考えさせてくれる点でも面白い読みものだった。


 ○  ○  ○


追記:
 本書の“登場人物”中で、ドルンベルガーやフォン・ブラウンといった大物以外で印象に残ったのは、ルーマニアの一地方出身のヘルマン・オーベルトだった。
 1923年に『惑星間空間へのロケット』という先駆的な著作を発表してドイツのロケット熱に火をつけ、何より、少年時代のフォン・ブラウンをこの道に引き込んだ理論家でありながら、本人はいまひとつ実務の才能にも境遇にも恵まれず、やっとドイツからお呼びがかかったと思ったら、「役には立たないが、知りすぎた男」として故国に帰ることもできなくなってしまう。
 フォン・ブラウンはそんなオーベルトにずっと敬意を抱きつづけ、自分がトップになってからは彼に(なくてもいいような)仕事をあてがうのである。
 人間を月に送るというフォン・ブラウンの夢は、戦後、アメリカでサターンV型ロケットとして実現するが、1969年6月のその打ち上げの際にも、特別観覧席の一席はオーベルトのために用意されていたのだった。このふたりのことを扱った本があったらそれも読みたい。


追記2:
 そんなフォン・ブラウンやオーベルト、さらに前の世代のツィオルコフスキーやアメリカのゴダードといった、ロケット開発史の重要人物たちを小学生とからませた、あさりよしとお『まんがサイエンス 2』(学研)も面白いです。

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たのしいタイムライン
alios

「なんともない日々の わたしたちのタイムライン」

 福島県のいわき市にあるいわき芸術文化交流館アリオスというところで上演されたミュージカル、「タイムライン」を見てきた。
 2016年4月3日(日)の13時からの回で、市内の実家に前日1泊し、これを見てからスーパーひたちで帰京した。同じ日の夜にもう1回やっていたほかは、前の週の3月26日(土)に福島県文化センターで2回やっただけ。いまのところ再演されるかもわからない。これ以上記憶が薄れてしまう前に感想を。
(わりと直前まで、上演は中通りの県文化センターでしか予定されておらず、「いや、できれば浜通りのアリオスでもやったほうが…!」と勝手に念じていたので実現してよかったが、その話はあとで書きます)

 作・演出:藤田貴大、音楽:大友良英、振付:酒井幸菜、写真・映像:石川直樹といった方々が製作に携わり、舞台の上でじっさいに演じたのは、募集に応じた福島県の中学生と高校生。
 というのは、これがパフォーミングアーツプロジェクトという県の事業によるものだからで、つまり、このミュージカルができたのは「2011年の震災があったから」ということになるのだと思う。

 震災があって、できた演劇。
 そう考えると大人は(わたしは)なにか構えてしまうけれども、はじめに書いておくと、出てくる十代の面々にはだれひとり、いっさい・まったく・これっぽっちも、そういうところはなかった。彼ら彼女らにはほかにやることがたくさんある。中高生は忙しい。そういう演劇だった

 どういう演劇だったか。客席から一段高い横長の舞台は、左右を切って幅を奥行と合わせた正方形にして使われ、余った左右のスペースにも椅子を並べて客席にしてある。
 舞台の正面奥には上演中に楽器を演奏する人たちのスペースがあり、その背後の壁はスクリーンになっている。小道具は学校によくある椅子くらいしかない。いたってシンプル。
(ほんとうはスクリーンを除いた三方から舞台を囲み、見下ろすように客席が配置されるのが理想だったのかもしれない。なぜかというと、べつにどこが正面でもいいように作られた劇だったからというのと、正方形の中には何本も線が引かれ、地図のような模様になっているのが、舞台から一段低いふつうの客席の、特にまだ傾斜のついてない前のほうの席からだと見えにくいような気がしたからだ。それでわたしは舞台すぐ横のパイプ椅子を選んだ)

 さて、ええと。
 震災があり、それに「対して」というのではなくても、それを「受けて」何かをつくるとしたら、それは日常を扱うものになると思う。生活を描くものになると思う。
 震災というのは、非日常的な出来事というか非日常そのものであるため、その反対語は「日常」の「生活」だろうから。でも、劇的ではないのが日常なので、それを舞台の上に乗せる(=劇にする)には、どうしたって、日常に構成の手を入れる必要がある。いつもの平凡な日常をもとにして、「いつもの」も「日常」も手放さずに、平凡から離れる必要が。

 1日の始まりと同じく、朝から演劇は始まる。まだ薄暗い舞台の正方形の中に、たくさんの人間が横になっている。女子が多い。彼女らは数人ずつばらばらに立ち上がり、家族の声なんかが挿まれるなか、口々に歌うような「オハヨー」という声が呼び交わされて、それは半分はあいさつだけど、半分は劇の台詞で、短い歌だった。
 こういった、もともとは日常のふるまいでありながら、その半分を演劇の身ぶりに変えられた声や体の動きが、舞台を組み立てる。
「タイムライン」が90分を通して行なっていたのは、生活のなかの題材を用いて別のかたちをつくる、このような変換作業であるように見えた。
「なんともない日々の わたしたちのタイムライン」

 舞台の全員が見えるようになると、男子は1人だけであとは女子だった。衣装は統一されていても、身長も体格も、声の大きさもさまざまな人たちが、数えていくと20人を越えるくらいいる。
 彼女らが登校したことになって、ホームルールから順番に、1日の進行に沿って劇は進む。時間割で区切られた時間はどれも変換されている。何に?というと、ゲームになっている。
 たとえば最初のホームルーム、出欠確認の場面では、全員が輪になって1人ずつジャンプ→1周したら2人ずつジャンプ→3人ずつジャンプ、4人ずつジャンプ…、と続いて、途中で失敗したら最初からやり直す。
 次の国語の授業だと、何らかの規則(よくわからない)に従って接続語を言い合ったり、というふうに、ひとつひとつの場面でやることがルールとして決まっていて、ただし本番ではそれこそぶっつけ本番として、20人超がそのゲームに挑戦する姿を見ることになる。
(挑戦というと実際以上に真剣な感じになってしまう。真剣は真剣だったが、彼女らは真剣に遊んでいた)
 それから英語・数学・社会・給食・掃除・体育・音楽、と続いていく1コマ1コマで、日常のふるまいから取り出された動きが拡大され、反復されて、ダンスになり歌になる。クイズになる時間まであった。
 たぶん最初は小さかっただろうあれこれの動きを作り、取り出し、組み合わせて大きくしたのを練習して練習して、本番ではあらためて即興でやっている、そういうプロセスのぜんぶが舞台の上に見えていた気がする。

 なかでも、曲に乗せて台詞を歌うのではなく、日常で発される言葉を歌のように聞こえさせるという点で、この「タイムライン」はミュージカルを見慣れないわたしにも珍しいかたちに見える、ミュージカルだった。
 終わりに近づくにつれて何度も何度も繰り返し歌われ、徐々に高揚を巻き起こしていくフレーズが
ふゆがたのきあつはいち つよめのかんき かんき かんき
(冬型の気圧配置 強めの寒気 寒気 寒気)」

だったのには、「そんなのありか」とびっくりした。ありだった。ありどころか、これ以上のものはないと思った。どの年のどの冬のどの日でも、その配置はありうる。これまでも、これからも、ある。
(そうそう、うしろで楽器を演奏している人たちも出演者なのを忘れてはいけない。どうしても目は役者として演じている人たちを見るけど、音楽もずっとかっこよかったし、うしろのスクリーンには、写ルンですで撮った日常の写真が流れ続ける)
「なんともない日々の わたしたちのタイムライン」

 ふつうのものしか出てこない。でもそういったものも、舞台の上ではふつうであるだけではない。
 数字でしかない数字、出演者の年齢もそうだ。中学生と高校生ということだから、単純に最年少が13歳で最年長が18歳だったとすれば、いま2016年に18歳の人が、2011年には13歳だったことになる。
 目の前の正方形の中を縦横に走り回って飛び跳ねる、いちばん幼そうな顔といちばん大人びた顔に目をとめて、そのあいだに見える幅がちょうど5年という長さだと考えると、舞台の上に5年の時間が乗っている。そういう時間の示しかたもある。
 具体的なものを使って、別のものもあらわす。こんなふうにして劇に変換された日常として、わたしは「タイムライン」というミュージカルを見た。

 劇中、たしか2ヶ所だけ、海についての言葉があった。「私の部屋からは海が見える」みたいな台詞と、学校のあと、夜に何人かで連れ立って「海を見に行く」やりとり。この県で海が見えるのだったら、それは北から相馬・双葉・いわきと続く浜通りの、それも海べりの地域しかありえない(福島県はとても広い)。
 けれども「タイムライン」が扱うのは、地震でも津波でもなかった。震災を指さしているように聞こえた台詞(歌詞)は「やっぱりあの日も 朝は訪れた」だけだったが、それだって、そのように聞いてもそのように聞かなくても変わらないように響いた。どの日常だって非日常から直接つながってきたし、それを言うならどんな非日常だって日常につながっていく。

 じゃあ、どこがいちばん劇だったのか。演じている――というか、舞台の上に出ている――30人ちょっとがずっとたのしそう、というところ。その一点を動力にして、タイムラインは流れている。


 そしてこれが、アリオスという場所で上演されたことの意味を、舞台で広がる「なんともない日々」に、勝手に重ねてしまう。
 いわき市に実家があるわたしは、2011年の3月をはさむ前後の1年弱を、たまたまそちらで暮らしていた。だから、この「芸術」「文化」のために作られた大きな劇場施設が、地震と津波のあと長いあいだ、避難所のひとつになっていたことや、建物じたいもダメージを受けて、劇場としての再開まで半年以上かかったことを知っている。ここは非日常の現場だった
 そのような場所で、5年経ったあとに「なんともない日々」を劇にした「タイムライン」が上演されたのは、とても健全だと思う。健全というのは、まっとうなことがまっとうになされたこと、つまり、いちばんふつうであることを言うのかもしれない。ふつうのことがよかったと言いたくてここまで書いた。
 3月26日の福島市での公演を見た細馬宏通さんの耳をお借りすると、わたしが「これ以上のものはない」と思ったあの歌詞は、このようにも聞き取れるという。
「冬型の気圧配置 強めの寒気 喚起 歓喜」
「この人は、何なの?」

片岡義男.com」なんてものがあることを知ったので、のぞいてみた。 のぞいてみて、腰を抜かした。ここです。

 まず「エッセイ365」におどろく。過去に書かれたものなのにまるで過去のものに見えないエッセイが、毎日増えていく模様。「いいんですか」と疑いたい気持になった。
 これなんて、片岡義男が、リチャード・ブローティガン『アメリカの鱒釣り』に出会ったときの話である(「ホノルル・ブックストアへ歩くまでに」)。
《[…]なかを開いてみたぼくは、再び、非常にうれしいよろこびを体験した。ページのメイクアップが、ものすごくいいのだ。いい雰囲気を持ったデザインの活字の、ごく小さいのを使って、行間のスペースをすくなくして、つめこんである。

 鱒釣りの文章には区切りの部分がたくさんあるが、この区切りのところが、ページの余白として、思い切った広さにとってある。

 小さな活字のつまりぐあいと、この余白との、おたがいに呼応しあうありさまは、みごとなものだった。ペーパーバックのページ・メイクアップとしては、『アメリカの鱒釣り』は、いまでもぼくにとっては最高のものだ。しかし、現在の版にこの面影はない。

 この本を買いたい、という強い衝動にかられたぼくは、鱒釣りを二冊、そのとき買った。

 あまりにも軽やかで透明な感じがするため、一冊だけではぼくの手からするっと抜け出してどこかへいってしまうのではないのか、という印象があったからだ。[…]》

 このエッセイを読んで、自分の本棚から『アメリカの鱒釣り』の訳本を取り出してこないのは難しいだろう。それは片岡義男が手に取ったのとは版も言葉もまったく別の本だけど、それを通して、ここに説明されているペーパーバックを正確に想像することはできる。だからそれは、同じ本でもあるのだといいたい。

 それにまた、全作品を電子化するプロジェクトが進行しているという。どういうことなのかまだちゃんと理解できていないけれども、なんだかたいへんなことになるのがもう決まっているのはまちがいないと思う。
「片岡義男の書くものがすごいのはこれまでに読んだエッセイのほんの数冊でわかっているけど、小説は多すぎて、どれから読もうか手をつけかねている…」みたいな人間(わたし)には、これは福音なんじゃないだろうか。福音がすでに多すぎる気がしないでもない。

 編集をされている北條一浩さんの、このプロジェクトを語る「小説家はまだ目次を書いている ――片岡義男のタイトルを読む試み」という文章も、とても読みでがあって面白かった(これ)。
 充実した内容もさることながら、文章のはしばしから片岡義男へのゆるぎない敬意と(おそらくは)あこがれが、わたしみたいな生半可な片岡読者にも伝わってくる。
(リンクしたところの紹介文が1ヶ所、「小説家はまだ目次を読んでいる」になっているのも面白い)
《[…]だから短く、一言。
「作品が星の数ほどある」。
 その星の数のほんの一端でも、持続的に読んだ時間を持つ人なら、多くの人がタイトルに注意を向けるはずだ。そしてこれもまた、著しい特徴として一言で正確に表現できる。
「タイトルが長い」。
 片岡義男とは、星の数ほど作品を書き、タイトルの長い小説家である。この説明がたぶん、最強のはずだ。》

《[…]もっと手前の、というか、単純なことに驚いたほうがいい。

 タイトルというものは、言葉でできている。

 これだ。あたりまえすぎて誰も耳を貸さないようなその事実についてのみ、注意深くありたい。》


 ところで、1年くらい前にわたしは片岡義男の『自分と自分以外』(NHKブックス)という本を読んだ。2004年の刊行で、新刊書店ではもう売っていない。amazonのマーケットプレイスで、お駄賃みたいな値段で買った。
 ところによりエッセイふうの時評にも、時評ふうのエッセイにもなって、子供時代のことや仕事のこと、文房具のこと、猫を飼い始めたときのこと、スパムのいちばんおいしい食べかた、はたまた「生足」という日本語の分析などが続く。
 そこは入り組みこんがらがった迷路のはずなのに、どうしてこの人は壁をひょいひょいまたぎ越えるようにしてまっすぐ進めてしまうのか、とページごとに嘆息しながら読んでいった1冊の最後ちかくに次のような文章があらわれて、わたしはこの本が2004年の刊行であることを、もうわかっているのに何度もたしかめてしまった。だれかに伝えたかったがだれにも伝えていなかったから、いま、ここに書き写します。
《[…]国家がいろいろときめてくれたほうが、すべてはっきりするし自分は楽でいい、という考えかたをする圧倒的多数の人たちは、基本的人権が思いがけない方向からさまざまに浸食されていく現実に、じつは深く加担している。正しい理解のための、ほんのちょっとした思考すら面倒くさがる彼らは、急速度で進展していく事態という、さらにいっそう理解不可能な状況によって、包みこまれようとしている。
 戦前・戦中をへた日本が大敗戦へと到達した時代を背景ないしは前提のようにして、日本国憲法は組み上げられている。基本的人権などじつは誰も守りようがないという、半世紀前にはまったく想定外だったとんでもない状況に、いま日本はいくつも直面している。そのなかからほんの小さな例をひとつだけ拾うなら、原発の事故ないしは意図された爆発は、わかりやすくていいだろう。原発が爆発し、致命的な濃度の放射能を帯びた物質が日本列島の半分に降り注ぐ、といった事態が発生したとき、基本的人権は、どんなかたちと内容で、いったい誰によって守り得るものなのか。
 電力を豊かに供給されて文化的な生活を営むという、憲法で保障されている権利の保持が、おなじく憲法が保障する基本的人権を、半永久的に根こそぎにする事態を生み出す。だから憲法はそこではもはや無力なのかというと、けっしてそんなことはない。憲法が保障している文化的生活を営む権利というものを、国民は注意深く監視し、自ら厳しく制御すべきであり、そのためには、起こっては困る事態を起こさないよう、防御的武器としての憲法を、国民は自らに対して存分に使用しなければならないという、新たな性質の「不断の努力」を、憲法はいまも要求している。
 もはや取り返しのつきようもない、国家存亡の危機のなかを逃げまどいながら、無事に生きていく権利とはこのような危機を招かないよう、憲法が自分たちに保障する権利を、自らの手で何重にも厳しく監視し制御する義務であったかと、ようやく痛感するにいたる人の数はやはり少数にとどまるのか。そのような人たちに対しては、憲法は最初から徹底して無力だったことになる。》pp262-3

「不断の努力によって」というタイトルがついた3ページほどの文章からの、これは後半3分の2程度にあたる引用だが、全文はくだんの「片岡義男.com」で、「11月3日」のところに再録されている。このあとに、やはり「11月8日」に再録された「現実に引きずられる国」という文章が続き、それで『自分と自分以外』はおしまいになる。
 どちらも、クリックすればすぐ、読めてしまう。それもおどろくべきことだけど、この本は、少なくともマーケットプレイスからなくなるまで買って読まれていいと思う。それではあんまり「少なくとも」すぎるけれども。


自分と自分以外―戦後60年と今 (NHKブックス)
片岡 義男
日本放送出版協会
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