趣味は引用
漱石『坑夫』 イン 文芸漫談

 引っ越しをして1ヶ月になる。だいぶ遠い土地に移ってきたけど立派な書店も見つかって、店内をぐるぐる歩き回ること数周、新刊コーナーの前を通るのもこれで何度めかというときに、それまで見過ごしていたこんな本に目が留まりアッと思った。

漱石漫談
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いとうせいこう 奥泉光
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 まじか、と手に取り、おそるおそる目次をめくると『坑夫』の2文字が見えたので、しっかり掴み直してレジに急いだ。いくらか体温も上がっていた気がする。その理由をこれから書く。

 いとうせいこうと奥泉光の二人が、漫談の形式で文学作品を語るライブイベントが「文芸漫談」。
(それを活字化してまとめた最初の単行本がこちら。その文庫版がこちらだがすごいタイトルだ)。
 毎回小説1作を題材にする形式でいまも年に数回ずつ続いているその様子はたまに「すばる」に掲載されていたと記憶するんだけど、最近はぜんぜん追えていなかった。
 でもこの新刊のタイトルなら、その文芸漫談シリーズから夏目漱石の作品を扱った回をまとめて1冊にしたことはすぐわかり、するとわたしの興味はただ一点、「じゃあ、じゃあ、『坑夫』は取り上げられているんですか」になる。

 夏目漱石の『坑夫』。
『吾輩は猫である』や『坊っちゃん』、『こころ』なんかに比べたらもちろん、『彼岸過迄』だったり『道草』だったりと比べてもいまひとつ話題になることが少ないような気がするこの作品が、わたしの漱石ベスト・オブ・ベストだった。

 だから『坑夫』について書かれているものならなるべく読みたい・読ませてほしいとずっと思っているのだが、ここしばらくでいえば『別冊太陽 夏目漱石の世界』(2015)では『坑夫』は目次にもなかった(だから買えなかった)。
 そして奥泉光その人でいえば、『夏目漱石、読んじゃえば?』(2015)なんて本を出しているのに、やはり目次のチラ見では『坑夫』で項は立てていないようだった。
 さらに何より文芸漫談コンビでいえば、去年の『文藝別冊 夏目漱石:百年後に逢いましょう』(2016)の表紙を本屋で見て、アッこれは文芸漫談も入ってる、ならもしかして…!と期待して読んだものの、扱っているのは『草枕』だったし、それにこのムック、全ページを通してほかの執筆陣にも『草枕』リスペクトが多く、そりゃ『草枕』はすごい、すごいでしょうよ、知ってます、でも『草枕』と同じかそれ以上に『坑夫』だってあたらしいじゃないか――と、臍を噛む思いだったのである。
 つまり、漫談のお二人も『坑夫』はあんまりお好きじゃなかったのかな、と。

 それが、何の前情報も知らずに、自分の部屋からのルートもまだあやしい本屋でもって遭遇したこの新刊の目次で、ついに『坑夫』が選ばれている、『こころ』や『坊っちゃん』と同じくしっかり1回を費やして語られている――しかも本のいちばん最後、大トリで――のを見つけたのである。
 そりゃ即買うし、大急ぎで帰ってまず『坑夫』の回だけを読んでから書き始めたのが今回のこの文章である。本題はここから。

坑夫 (岩波文庫)
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夏目 漱石
岩波書店
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 わたしが『坑夫』(1908)をすごいと思うのは、ひと言でいうとこれは「文章が一文一文進むごとに小説ができあがっていく、その過程を読むたびに体験できるすぐれて生々しい小説」だからなのだが、これではわれながら意味がわからないので、ざっと説明してみる。
 書かれた順番は、長めのものだと『草枕』(1906)を一気に書いたあと、初めての新聞連載である『虞美人草』(1907)が続いて、『坑夫』はその翌年、2作めの新聞小説として3ヶ月かけて発表されたそうだから、漱石のキャリアではまだ前半の作品ということになるはずだ(その次が『三四郎』)。
 小説は「自分」の一人称で進む。以下、引用は岩波文庫版から。
《さっきから松原を通ってるんだが、松原と云うものは絵で見たよりも余っ程長いもんだ。何時[いつ]まで行っても松ばかり生えていて一向要領を得ない。此方[こっち]がいくら歩行[あるい]たって松の方で発展してくれなければ駄目な事だ。》p7

 若い「自分」は東京の生家で何か問題を起こしたらしく、もうまともな世界には居られないと思い詰めて出奔し、ひと晩たってもまだ歩いている。「何でも暗い所へ行かなければならない」などと言っているので、つまり死ぬつもりなのである。
 それが、たまたま出遭った胡散臭い男から「坑夫になって働くつもりはないか」とスカウトされて承諾、銅山へ向かう汽車に乗る――と続いていくのだけれども、こんな冒頭の数ページからつまずく点がどんどん出てきて、小説はなめらかには進まない。

「自分」の一人称とさっき書いたが、起きていることがリアルタイムで報告されるわけではない。『坑夫』の語り手は、19歳だった自分の身に起きた出来事を、すべてが終わったあと、もっとずっと先の時点からふり返って、この小説を語っていく。
 それだけだったら『坊っちゃん』(1906)だって同じなわけだが、『坑夫』の語り手はもっと変である。
 まず、語っている「いま」の時点がいつなのか、ぜんぜんはっきりしない。
『坊ちゃん』のそれもたいがい大雑把ではある(東京に帰り街鉄の技手になったあと、くらい)けれど、『坑夫』の場合は最後まで読んでも、そして繰り返し読んでも、強くなるのは「いま」がいつなのか決めていないという印象、語りの現在が語りの現在として定まっていない感触である。
 だから読んでいるあいだじゅう、語り手と語りの内容の距離は(語っている自分と語られている「自分」の距離は)いいかげんに伸び縮みする。落ち着かない。
 そして、語っている内容が変である。
 語り手は過去の自分の言動、起きた出来事を語るだけでなく、当時の自分の心理の移り変わりまでも、いまの時点(いつだか不明な、いまの時点)から分析して説明を加えようとする。
 その分析が回想としては常軌を逸する細かさで続き、そのあいだ出来事の進行はストップするけどお構いなしで、そのくせたいていの場合、分析は途中で「もう無理」と投げ出されてしまう。
 というのは、過去の心理状態をふり返り、心理の外枠になりそうな自分の性格について語ろうとするたびに、この語り手は「自分の心理がどうにも一貫していない」という事実にぶつかって、無理につじつまを合わせるよりも「一貫してない」「説明がつかない」と書いてあきらめるほうを選ぶからだ。
「まずこう思った」「つぎにこう変わった」「つながってない」「そういうものだから仕方がない」。正直すぎる。
 自伝であれ、自伝形式の小説であれ、そういった類の書きものを成立させるうえで必要とされる正直さの程度を踏み越えると、「正直」は「過激」になる。小説の、前から1/3を過ぎたあたりにはこうある。
《よく調べて見ると、人間の性格は一時間ごとに変っている。変るのが当然で、変るうちには矛盾が出て来るはずだから、つまり人間の性格には矛盾が多いと云う意味になる。矛盾だらけのしまいは、性格があってもなくっても同じ事に帰着する。》pp103-4

性格があってもなくっても同じ事に帰着する。」!!
 この一節だけでも、「そんなことを言っていたらこれは小説になるのか」との疑いが湧いてくるが、じつはその疑いは、語り手じしんが小説のはじめから繰り返し繰り返し表明していたものなのである。
『坑夫』において、人間の性格の一貫性(まとまり)への疑いは、いわゆる小説とされているものの小説らしさ(まとまり)への疑いと並行してあらわされる。
《本当の事を云うと性格なんて纏った[まとまった]ものはありゃしない。本当の事が小説家などにかけるものじゃなし、書いたって、小説になる気づかいはあるまい。本当の人間は妙に纏めにくいものだ。》p14

《小説になりそうで、丸で小説にならない所が、世間臭くなくって好い心持だ。[…]もっと大きく云えばこの一篇の「坑夫」そのものが矢張そうである。纏まりのつかない事実を事実のままに記すだけである。小説の様に拵えた[あつらえた]ものじゃないから、小説の様に面白くはない。その代り小説よりも神秘的である。凡て[すべて]運命が脚色した自然の事実は、人間の構想で作り上げた小説よりも無法則である。だから神秘である。と自分は常に思っている。》p124

 なめらかに進む小説、きちんとまとまった小説、そういった「いわゆる、ふつうの小説として通用しているらしい小説」への素朴な突っ込みを、『坑夫』の語り手は、この小説を進めながら行なっていく。

 そんな語り手を採用した書き手が、ただ正直で素朴であるはずはない。
 自分の語り方に「これじゃ小説にならんのである」とぶつくさ文句を連ねながら、それでも語り続ける語り手の口と筆を借りて、職業作家に成りたての漱石が「じゃあ小説って何なのよ」「書こうと思えばこんなふうにだって書けちゃうわけだろう」との問いかけと確かめを一歩一歩やってみた、実作かつノート、ノートかつ実作として『坑夫』は読める。
(語り手の「いま」が定まっていない、と前のほうで書いたけど、場所によっては語り手の立場さえ定まっておらず、漱石が地声で語っているとしか見えないところも数ヶ所あって「おい」と声をかけたくなってしまう。書こうと思えばそんなふうにだって書ける)

 そんなところからいっても、およそ筋も起伏もない『草枕』を面白く読む人なら『坑夫』もきっと楽しめるはずだし、そうでなくても、漢語の詰め込み(言葉の多彩さ)を武器のひとつにする『草枕』に比べて『坑夫』のほうがずっととっつきやすいと信じる次第なのだが、ここまでの紹介の仕方では、『坑夫』はいかにも理屈っぽい小説、骨ばっかりで身の少ない小説、実験小説らしく実験してみました小説、つまりは、読みにくい小説のように思われるかもしれない。
 そうではなく、まったくそうではなくて、上述したようないわゆる小説への問題意識――という言葉も硬すぎるから、「こんなふうにだって書けちゃうわけだろう意識」とでも言い換えたい――そのものに価値があるのではなく、そんな意識を充填して書かれていく小説が、そのせいで生々しいライブ感のもとに進行していく、そこがいちばん面白いのだと強く言いたい。
 それは、語り手が自分で突っ込みを入れつつ進むから、というライブ感にはとどまらない。実作かつノートとして読めるとさっき書いた、その未完成ぐあいが語り口として生々しい、というのも一面ではあるけどまだ足りない。
 どうしても引用が要る。長々とした引用が。

 小説の前半、「自分」が銅山に連れられていくまでを語る部分に顕著なのだけど、道中の風景を描く際に語り手は、「どうしてその時の自分に風景がそのように見えたのか」まで書き込もうとする。しぜん、心理と風景は不可分に絡み合う。
 これは、登場人物の心理を風景描写で象徴的に示す(よくある)やり方と似ているようでぜんぜんちがう。まるで心理を語る文章によって風景が作られていく、そのさまがそのまま書いてある。文章が風景を作るのだ。
《時に日は段々暮れてくる。仰向いて見たが、日向は何処[どこ]にも見えない。只日の落ちた方角がぼうっと明るくなって、その明かるい空を脊負って[しょって]る山だけが目立って蒼黒くなって来た。時は五月だけれども寒いもんだ。この水音だけでも夏とは思われない。況して[まして]入日を背中から浴びて、正面は陰になった山の色と来たら、――ありゃ全体何と云う色だろう。只形容するだけなら紫でも黒でも蒼でも構わないんだが、あの色の気持を書こうとすると駄目だ。何でもあの山が、今に動き出して、自分の頭の上へ来て、どっと圧っ被さる[おっかぶさる]んじゃあるまいかと感じた。それで寒いんだろう。実際今から一時間か二時間のうちには、自分の左右前後四方八方悉く[ことごとく]、あの山の様な気味のわるい色になって、自分も長蔵さんも茨城県も、全く世界一色の内に裹まれて[つつまれて]仕舞うに違ないと云う事を、それとはなく意識して、一二時間後に起る全体の色を、一二時間前に、入日の方の局部の色として認めたから、局部から全体を唆されて、今にあの山の色が広がるんだなと、どっかで虫が知らせた為に、山の方が動き出して頭の上へ圧っ被さるんじゃあるまいかと云う気を起したんだなと――自分は今机の前で解剖して見た。閑[ひま]があると兎角[とかく]余計な事がしたくなって困る。その時は只寒いばかりであった。傍に居る茨城県の毛布[ケット]が羨ましくなって来た位であった。》pp81-2

※途中に出てくる「茨城県」は「長蔵さん」と同じで登場人物

 このような前半に対して後半は、たどり着いた銅山の深い坑道を案内されて見て回る一部始終が大半を占める。
 真っ暗な闇の中、小さな灯の揺れるカンテラだけ提げて、ときに腰まで冷たい水に漬かりながらうねうね続く狭くて細い道を歩き、ぬらつく梯子を下へ、もっと下へと降りて、底まで降りきったあとはまた登らなくてはいけない坑[あな]への行き帰りが、実際に見てきたようにありありと具体的に、また、さまざまな比喩を動員して語られる。
 ここでは、心が風景を作っていくのとは逆に、自分の外にビクともしない不動の現実として坑道がある。すると今度は、厳然と存在する岩のなかを、自分の身体さえろくに見えないまま必死で歩いていくうちに、「もう世間には出られない」「死ぬか」「生きるか」と二転三転する「自分」の心理が坑道の描写とやはり絡み合い、酷使される身体から心が出たり入ったりして見える。描写が身体を連れて歩いていく。
《「八番坑だ。これがどん底だ。水位[ぐらい]あるなあ当前[あたりめえ]だ。そんなに、おっかながるにゃ当らねえ。まあ好いから此方[こっち]へ来ねえ」
と中々承知しないから、仕方なしに、股まで濡らして附いて行った。ただでさえ暗い坑の中だから、思い切った喩[たとえ]を云えば、頭から暗闇に濡れてると形容しても差支えない。その上本当の水、しかも坑と同じ色の水に濡れるんだから、心持の悪い所が、倍悪くなる。その上水は踝[くるぶし]から段々競り上がって来る。今では腰まで漬かっている。しかも動くたんびに、波が立つから、実際の水際以上までが濡れてくる。そうして、濡れた所は乾かないのに、波はことによると、濡れた所よりも高く上がるから、つまりは一寸二寸と身体が腹まで冷えてくる。坑で頭から冷えて、水で腹まで冷えて、二重に冷え切って、不知案内の所を海鼠[なまこ]の様に附いて行った。すると、右の方に穴があって、洞のように深く開いてる中から、水が流れて来る。そうしてその中でかあんかあんと云う音がする。作事場に違ない。初さんは、穴の前に立ったまま、
「そうら。こんな底でも働いてるものがあるぜ。真似が出来るか」》pp221-2


《[…]硬く曲がった脊中[せなか]を壁へ倚[も]たせた。これより以上は横のものを竪[たて]にする気もなかった。ただそのままの姿勢で向うの壁を見詰めていた。身体が動かないから、心も働かないのか、心が居坐りだから、身体が怠けるのか、とにかく、双方相び合って、生死の間に彷徨していたと見えて、しばらくは万事が不明瞭だった。始めは、どうか一尺立方でもいいから、明かるい空気が吸って見たい様な気がしたが、段々心が昏く[くらく]なる。と坑のなかの暗いのも忘れて仕舞う。どっちがどっちだか分らなくなって朦朧のうちに合体稠和して来た。然し[しかし]決して寝たんじゃない。しんとして、意識が稀薄になったまでである。然しその稀薄な意識は、十倍の水に溶いた娑婆気[しゃばけ]であるから、いくら不透明でも正気は失わない。丁度[ちょうど]差し向いの代りに、電話で話をする位の程度――もしくはこれよりも少しく不明瞭な程度である。》pp226-7


《梯子はまだ尽きない。懸崖からは水が垂れる。ひらりとカンテラを翻すと、崖の面[おもて]を掠めて弓形にじいと、消えかかって、手の運動の止まる所へ落ち附いた時に、又真直[まっすぐ]に油煙を立てる。又翻す。灯は斜めに動く。梯子の通る一尺幅を外れて、がんがらがんの壁が眼に映る。ぞっとする。眼が眩む。眼を閉って[ねむって]、登る。灯も見えない、壁も見えない。ただ暗い。手と足が動いている。動く手も動く足も見えない。手触足触[てざわりあしざわり]だけで生きて行く。生きて登って行く。生きると云うのは登る事で、登ると云うのは生きる事であった。それでも――梯子はまだある。》pp236-7

 風景も、心も、文章が書いていくから「ある」ことになる。書かれたものを読むうえで、これは当たり前という言葉もあたらないくらい当たり前すぎる前提なのだけど、セルフ突っ込みと未整理な分析をつなぎ、断片を断片のまま並べてなお延びていく力を持った『坑夫』の曲がりくねりデコボコした語りを追っていくと、読んでいるあいだずっと、その当たり前のことに、見えないはずの前提に、目を見開かれされ続ける。
 小説の生成する様子を写し取っていく小説。
 いちばん最初に「文章が一文一文進むごとに小説ができあがっていく、その過程を読むたびに体験できるすぐれて生々しい小説」と書いたのはそのような意味である。
《さっきから松原を通ってるんだが、松原と云うものは絵で見たよりも余っ程長いもんだ。何時[いつ]まで行っても松ばかり生えていて一向要領を得ない。此方[こっち]がいくら歩行[あるい]たって松の方で発展してくれなければ駄目な事だ。》p7

 この書き出しが、2回めに読むときは、これじたいでうねり、動いて見える
 そして、結局たいしたことは起きないまま終わるこの小説の幕切れ、あまりに格好よすぎて引用できないが、「よっ、小説!」と呼びかけたくなるラストの切れ味は、冗談でなく、『明暗』の終わりに匹敵する。
 夏目漱石はこれを1908年に書いた。早い。早すぎると思う。

 ハッとする文章が次から次に出てきて、あたまから終わりまで読みどころのかたまりになっている『坑夫』、何より、まとめられるものなんてない、と述べているこの小説は、青空文庫でもここにあるし、文庫もいろいろ出ているので、いちどためしに読んでみてほしい。
「ライブ感」とか「生成」とか書くのはかんたんだけど、そういうことは本来、全文を引用しながら追っていかないと意味がないのだから。

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 ――と、好き放題に書いてきたが、このような小説として読んできた『坑夫』について、これまで「あんまりお好きじゃなかったのかな」と淋しく勘ぐっていた、いとうせいこう・奥泉光両氏のセッションからごく一部を引用する。わたしは少し、熱が出ました。

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《いとう ―― 僕も奥泉さんもこの小説がほんと好きだけど、かなりマイナーだから、これまで取り上げるには至らなかった。

奥泉 ―― だから神奈川近代文学館で漫談を、と言われたとき、よし『坑夫』だ!と。

いとう ―― 漱石ハードコア。ここでやらなかったらどこでやるんだと。》p229

 むちゃくちゃ、高評価であった。
 もういちど書く。むちゃくちゃ、高評価であった
《奥泉 ―― いとうさんと僕が考える小説というものにいちばん近いのが、『坑夫』なんだよね。つまり僕らの小説の定義は、「なんじゃこりゃ!」と思わず言いたくなるようなもの。[…]

いとう ―― ストーリーもほぼないよ。坑夫のところに雇われに行き、でも働き始める約束もないまま坑[あな]に入らされて、なんとか戻ってくる。そこで、ぷつっと終わる。物語的な起承転結とか一切なし。

奥泉 ―― 過剰に反物語的。『草枕』はアンチ物語を真正面から打ち出した作品だけど、『坑夫』のほうが反物語のエッジが効いてる気がする。》pp235-6

 でしょう! そうでしょう!!
 「あんまりお好きじゃなかったのかな」なんて、下司の勘ぐりだった。
《奥泉 ―― ちょっと不思議なナレーションなんです。

いとう ―― 立脚点がゆらぐのよ。あれ、そこ突っ走っちゃうの、と何度も思った。もしかしたら、漱石の頭の中で整理されてない部分もあるのか。でもそれが僕にとってはリアルだし、面白かった。》p238

《奥泉 ――[…]坑道の底から這い上がるシーンの描写なんてものすごくリアルでしょ。でも、これは取材したから書けたわけじゃない。漱石が細部まで想像力を発揮して、場面にぐわっと入り込んでいるから書ける。漱石の全小説の中で、細部にもっとも想像力を働かせたのがこの小説だというのが僕の認識です。》p238

『坑夫』本文から引用しつつ語っているところも引用する。そう、ここは(ここも)本当にすごい。岩波文庫だと64ページから。
《奥泉 ―― そして汽車を降り、二人で歩き始める。ここの風景描写はすごいですよ。夢なのか現実なのかわからない。駅を降りると一直線の道です。

〈左右の家並[いえなみ]を見ると、――これは瓦葺[かわらぶき]も藁葺[わらぶき]もあるんだが――瓦葺だろうが、藁葺だろうが、そんな差別はない。遠くへ行けば行く程次第次第に屋根が低くなって、何百軒とある家が、一本の針金で勾配[こうばい]を纏められる為に向うのはずれから此方[こっち]まで突き通されてる様に、行儀よく、斜に一筋を引っ張って、何所[どこ]までも進んでいる〉。

いとう ―― うまいなあ。『坑夫』の魅力はリアルなところはリアルな描写をし、さっきみたいに人間関係は四角になったり丸くなったりする。この町の描写もほぼ抽象。絵でいえば、抽象画とリアリズムの具象とが、主人公の気持ちの変化と同時に起きている。文も変わる。過激です。

奥泉 ―― その交替が格好いいんですよね。夢幻の風景は筋とは関係のない叙述です。でもそのとき主人公が体感したに違いない鮮烈な風景を漱石は想像していく。》pp243-4

 記録によれば、文芸漫談のこの回はおよそ1年前、神奈川近代文学館で2016年5月21日に行なわれていた
 ぜんぜん、知らなかった。なんで自分が客席にいなかったんだ…と悔しくなり、すぐにその10倍の強さで、それがこの本で読めてよかったと思った。
《いとう ――[…]物語ではなくて、「事実」を集めてくるという手法ね。『坑夫』、やっぱり刺激的な小説です。漱石作品の中では異色作ですが、文の生々しい力にもびりびり来ました。

奥泉 ―― やっぱり素晴らしかったよね。ぜひこれを機会に皆さんも読んでください。》p254

「皆さんも読んでください」。これに尽きる。
『坑夫』について、28ページを費やしてほめちぎってくれた『漱石漫談』は、ほかの部分もきっと面白いのじゃないかと思う。残りも読んだら、また書きます。


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(2012-09-27)
J.F.クーパー『モヒカン族の最後』(1826)
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 アメリカ映画「ラスト・オブ・モヒカン」が日本で公開されたのは、わたしたちが中学2年生のころだった。
 
 わたしたちの通っていた中学校は、1学年が1クラスしかない小さなところで、校舎は山の上にあった。毎朝、詰め襟の学生服に白い帆布の鞄を斜めにかけ、森を切り開いて延びる一本道をのぼって通い、同じ道を下って帰った。もちろん、夜は暗い。
 わたしは軟式テニス部に所属していた(男子は野球部か軟式テニス部のどちらかに入らなければならなかった。二択である)。部活を終えた帰り、学校の敷地を出てからの下り道にはろくに外灯もなく、人家の明かりもなく、昼よりも背が高くなったように見える黒い木々の枝が空を両側から狭め、月のない夜だといっしょに歩く友達の顔さえよく見えなかった。これは誇張ではない。
 さすがに舗装はしてあったが、歩道の脇からは羊歯植物の茂みが波打って迫り、どんな人外魔境に通じる道なのか(通学路だが)というくらいおそろしいあの夜道で、それでも生徒が車に轢かれる事故が起きなかったのは、そもそも、日が落ちてからそんなところを走る車がほとんどなかったからとしか考えようがない。 両方の拳を合わせたよりもなお大きいヒキガエルがたまに轢かれていて、遺骸は生きていたとき以上の存在感で何日もその場に残っていた。

 生まれたときからそのような環境を当然として育ったわたしたちは、特に不満の声をあげるでもなく、放課後になれば毎日ぎゃあぎゃあ騒ぎながらラケットを振り回し(部活に決まった活動曜日などなかった)、コートの柵を越えて広がる一面の低木林に消えたボールをひとり10個探して来いなどと先輩から無理難題を押しつけられ、だれかが持ち込んだ黄色い硬式のテニスボールを軟式のラケットで試し打ちしてガットを切ったりしつつ、ボールが見えなくなるまで練習し(部活に決まった終了時間などなかった)、毎日毎晩、空に星が現れてから、真っ暗な道を歩いて帰った。
「ラスト・オブ・モヒカン」が海を渡ってきたのは、そんなころだった。
 
 わたしがそうだったように、全員がテレビのCMで見た。この映画のタイトルが、田舎の中学生男子に与えたショックは計り知れないものだった。
 タイトルだけが、と言うべきだろう。だれひとり、映画の内容を話題にした者はなかった(いちばん近い映画館は自転車と電車を乗り継いで2時間の彼方にあり、そこまで行ってもこの映画は上映されていなかったはずだ)。インディアンにモヒカン族という部族があるらしい、ということぐらいはわかったが、「モヒカン」のイメージは北アメリカ大陸の原住民よりも、「北斗の拳」のザコキャラを思い起こさせた。その「モヒカン」に「ラスト・オブ」。まことに声に出して読みたい日本語だった。
 授業中に、あるいは給食の最中に、なるべく意味も脈絡もない状況で唐突に口にするだけで、確実にその場に波乱を起こすことができたこのタイトルは、わたしたちのあいだでひとしきり流行し、やがて変形された。それはこのような遊びになったのである:

 いつものように5、6人の集団で帰り道を歩いている途中、1人が先に走り出し、ほかの者たちの視界から消えたあたりで(なにしろ暗いからすぐ消える)、茂みに、あるいは森の木々のあいだに、身を潜める。どこに行ったのか捜すふりをしながら残りの連中が近づいていくと、潜んでいた者は奇声を発し、ラケットを振りかざして路上に躍り出る。そこで全員が毎回、声をそろえて叫ぶ。「モヒカンだ!」 そして全力で走って逃げる ――ここまでで1ターン。1日の帰宅路で3ターンほど繰り返したあたりで、比較的学校に近かったわたしは家に着くのだった。
 だれが駆け出して隠れる役になるのかに順番などはなく、場の雰囲気と全員のタイミングを計ったうえでの早いもの勝ちだったが、2回連続で走り出す(「モヒカンする」とわたしたちは言った)のは、はしたない真似として敬遠された。
 また、たとえだれかの隠れかたが下手で、夕闇の中にその姿が見えてしまっても、ほかの者は気付いていないふりをして近づくべしというルールも自然に生まれていた。校則でみんな頭は丸刈りだったが、なかなか紳士的だったと言える。わたし自身は、一見すると華やかな躍り出る側よりも、「毎回毎回、律儀におどろいたふりをする」側のほうがじつはバカバカしく感じられて好きだった。
 
 寄り道をする場所もない当時のわたしたちには、あれ以上に面白いものはなく、一連のアクションを表現するのに「モヒカン」以上に適切な言葉はなかった。
 すべてが緊密に結びつき、完全な調和を成していた14歳の中学生のころからはるかな年月を隔てて、先日、あの「ラスト・オブ・モヒカン」の原作である小説、180年前に書かれた『モヒカン族の最後』を読んでみた。ジェイムズ・フェニモア・クーパー著(犬飼和雄訳)、ハヤカワ文庫で上下巻。

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 舞台は1757年、まだ独立前のアメリカで、イギリスとフランスが植民地をめぐり戦争をしている。どちらの軍隊も、それぞれ別の部族の先住民インディアンを味方につけていた。小説はイギリス側のある少佐に視点を置き、彼が司令官の娘を護送することになるところから物語が動き出す。モヒカン族とは、その少佐の道案内をするインディアンのことだった。
 となるとこの小説が、モヒカン族最後の生き残りである誇り高い父子とイギリス人少佐との交流を描き、敵インディアン部族と戦う一大活劇の様相を呈するとしても、それはまったくの予想通りであって、途中で読むのをやめてもいいくらいのものである。
(司令官の娘は、何もそんな物騒な時期に移動しなくてもいいだろうと思われるが、もちろん敵インディアンにさらわれてしまう。大ピンチだ!)

 しかし何事も読んでみないとわからない。というのは、この小説、少佐や司令官をはじめとするイギリス人とインディアンとのあいだに、妙な登場人物が挟まれるのである。その名はホークアイ。白人の猟師でありながら、自然の中に暮らすこの男が、全篇を通してイギリス人とインディアンの仲立ちをする。生まれからしてインディアンではなく、かといって、白人の側に立つことも拒む。どっちつかずの中途半端なホークアイなしには、この小説では、イギリス人とモヒカン族は接することができない。そのせいで両者の関係は隔靴掻痒の感を生み、端的に言って、邪魔である。

 ものの本によると「アメリカ最初の大作家」とも称される作者のジェイムズ・フェニモア・クーパーは、20年近くかけて、このホークアイが登場する長篇を5つも書いているという。大地主の家に生まれ、封建的な土地私有にこだわったらしいクーパーがインディアンを描くには、クッションとしてホークアイが必要だったのは間違いない。
 ほかの4作は読んでいないが、『モヒカン族の最後』では、クーパーはホークアイを仲介役にして距離を置くことにより、「滅びゆくインディアンの悲壮なうつくしさ」みたいものを朗々と歌いあげている。そういう態度に「いい気なもんだ」と言うのはたやすいが、もしいま『モヒカン族の最後』を読む意義があるとしたら、それはこのクッションなしではインディアンを作品の中に呼び込めなかった作家の、不器用なりに正直な手つきを見ることができるから、ということのほかにない。これもまた間違いのないところである。感想はせいぜいそれくらいで、映画を見る気にはならなかった。

 あの中学校のわたしたちの学年では、高校に進学したあと、さらにわたしとSの2人だけが大学に進んで東京に出ていった。Sは最も熱狂的に「モヒカン」を繰り返した男だった。いちばん大きな体で、しかし機敏に飛び出してくる彼のシルエットにはだれもが本気で身の危険を感じた。
 上京して最初の夏休み、ちょうど帰省した時期が重なって、Sとわたしは実家の2階で午後いっぱい話をした。何をそんなに喋ったかはおぼえていない。お互いの大学のこと、中学の思い出話、そんなところだっただろう。話はいくらでも続けられそうだったが、それが今のところ、彼と顔を合わせた最後になっている。
 卒業後もぐずぐずと東京に居残ったわたしとは違って、Sはすぐに地元に戻り、ただし実家からはずいぶん離れた地域の中学校で、教師をしているらしいと聞いた。だれに確かめたわけでもないが、きっとソフトテニス部――もう軟式テニスとは言わないのだ――の顧問になっているのだと思う。
ウィリアム・フォークナー「野生の棕櫚」(1939)
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 8月に読んだ小説を11月末になってもぐずぐず引きずっているのでメモしておく。

「野生の棕櫚」というタイトルをもち「野生の棕櫚」という章題からスタートするこの小説――文学全集の1巻で、「八月の光」(加島祥造訳)、「アブサロム、アブサロム!」(篠田一士訳)という大作ふたつのあとに収録されている――の始まりかたは、いかにも小説の中に“突入する”具合で面白い。
《気がねしていると同時に断乎としたものでもあるノックの音がもう一度聞えてきたときには、医師は階段を降りかかっていて、懐中電燈の光線が彼よりもさきに茶色に薄汚れた階段の側面や、階下のこれも茶色に薄汚れた実矧[さねはぎ]の箱のような玄関に突き刺さっていった。》p647

《気がねしていると同時に断乎としたものでもあるノックの音》っていったい、どんなだ。でもいい、そういう書きかたで行く、という意志の表明であると感じる。しかもそれが《もう一度聞えてきたときには》なので、すでに1回響きわたったあとの、もう始まっていた世界に読者は(小説は)いきなり入っている。

 そこから語り起こされるのは、この医師の所有になる海浜の別荘をレンタルして最近引っ越してきた若い男女の話で、はた目にも結婚はしていないのが明らかだというふたりの謎めいた姿である。
 男は慇懃無礼なようで、急に卑屈にもなれば、破れかぶれな面も見せる。何で生計を立ててきたのかはっきりしない。その男が絶対服従している様子の女のほうは、体調が悪いわりにずっと怒っているようだ。どういう関係で、何がどうなって、いまここに至っているのか。なぜいま、真夜中に医者を呼びに来たのか。すると章が変わる。

 次の「オールド・マン」と題された章では、1927年、ミシシッピ州の刑務所、と特定された舞台で別の話が始まる。
 焦点が合わせられるのは20代半ばの囚人で、彼が収監されたのは十代の終わり、お粗末な列車強盗未遂のためだった。彼を含む囚人たちが、大雨のせいでミシシッピ河が堤防を越えてしまったある真夜中に呼び出され、わけもわからないままトラックの荷台に載せられて出発する。章が変わる。

 そうやって、「野生の棕櫚」という章と「オールド・マン」という章が交互に進むという、この小説のつくりがわかってくる。
「野生の棕櫚」では、さっきの若い男と女の来歴が描かれる。
 苦学して医師免許を取る直前のインターンだったハリーが、人妻であり芸術家肌のシャーロットと出遭い、接近していく成りゆき。それぞれが、医師としての将来も、夫や子供との生活も捨てて出奔することになる経緯。それからどういう場所をめぐり、どういう人びとと交わって、ふたりの関係はどのように変わっていったのか。

「オールド・マン」では、労役にかり出されたさっきの若い囚人が、夜が明け雨がやんでも水がぜんぜん引かないせいで高所に取り残されている者たちを助けるよう命令されてボートで出発し、すぐに転覆する。
 溺死したと刑務所側から判断されてしまった彼は、じっさいにはなんとかボートに這い上がり、はからずも単独行動をとって、木の上に避難中だった若い女を助ける。ふたりは自分たちのいるのがどのあたりなのか皆目わからないまま、ミシシッピ河を流されていく。囚人は、女を安全なところまで届け、自分は刑務所に戻るためにオールを握る。“オールド・マン”とはミシシッピ河の俗称なんだそうである。

 読みながら、わりと早い段階で確信されるのは、ふたつの話は最後まで交わらないだろうということで、なぜそう思うかというと、場所も時間もズレている、ということ以上に、ふたつの話に相当くっきりした対比があるためで、「であるからには、ストーリーまで絡んだりしないよな」と予想できるからだった。

 どちらの章でも男女のペアが流される。「野生の棕櫚」では、社会の本流から外れることをみずから選んだふたりが、それでも生活していくため徐々に低い層へ、下流へと、比喩的に流されていき、「オールド・マン」では、見ず知らずだったボートのふたりが、ミシシッピ河という人間の力をはるかに越えた大河に、文字通り、なすすべもなく流されていく。
 そして「野生の棕櫚」のふたりには、いくつかの堕胎の問題がついて回り、「オールド・マン」では、そんな状況下で、出産が発生する。

 別々に進む2本のストーリーの対比によって1つの小説を提示する、というこの方法が、発表当時(1939年)どれくらいあたらしいものとして受けとめられたのかは、よくわからない。
 いま読んでみて感じるのは、「古い小説としてあたらしい」というのと、「古い小説としてやっぱり古い」という入り混じった印象だった。

 さっき“くっきりした”と書いた対比は、“あからさま”の域に達しているし、それを言うなら「オールド・マン」のほう、人間も建物も土地も何もかもを押し流していくミシシッピ河は、わざわざ書くまでもないくらいに“運命”として流れている。
 そして何より、堕胎にせよ出産にせよ、女性の女性性をそういった点からのみ眺めるものの見かたは、控えめに言っても黄色の信号が点灯してしまうというか、端的に、いかにも古くて、むかしの小説だ。
 しかしじっさい、これは古くてむかしの小説(1939年)なわけだから、現代のものさしを当てたときに予想通り計測されるそのような古さを越えてなお、いまに届くものがあるかというと――これはもう、ある。ありあまるほどに、ある。

 最初はベタな象徴のように映ったミシシッピ河は、流れる様子、流されるもの、静かで圧倒的な破壊の力が丹念に描かれるうちに、ページの上を滔々と流れくだる具体的な濁流になり、その具体性のあまり、細かすぎるディテールと大きすぎるスケールのあまり、象徴のひと言では片付けられない、何かの観念にまで至る。
「野生の棕櫚」での、よく考えたら俗も俗すぎる不倫のメロドラマ、嫌っても憎んでも離れられない関係のねちっこさがこれもまた丹念に描き出されていくにつれ、語りの声は、登場人物の口と心内語を借りて、記憶と肉体の結びつきを論じはじめる。そんな思弁的な語りは、痴情のもつれともつれあって切り離しようがないままで続く。
 フォークナーの豪腕は、この作品でも、ひたすら書きたいように書く。そういう書きかたで行く。古いことは古いが、これは恐竜のような大きさの小説だと思った。気候が変わり植生が変わり、もしかしたら生息地はなくなったかもしれないが、恐竜が恐竜であることには変わりがない。

 ――と、ここまで書いてきたこととは別につながりはないけれども、とくに印象に残った部分を両方の章から引用する。
 まず「野生の棕櫚」から。もはや街では仕事を見つけられなくなったふたりは、ハリーが医者として働ける場所を求めて鉱山にまで行く。行ってみてわかったのは、すでに採掘会社が倒産しており給料も出ないこと、それなのに、労働者のうち英語が通じないポーランド移民とその家族の一団だけは残っていることだった。
《「あの連中にはろくに事情がのみこめないんだよ。そりゃ聞くことはできる。イタリア人はあの連中とも話ができたのだから。イタリア人の一人が通訳をつとめていたのだよ。ところが、あの連中は奇妙な民族ときている。だまされるなんてことがあるとは思ってもいないのだ。イタリア人が話して聞かせようとしたときにも、人間が賃金をはらう気もないのに働かせ続けたりする道理がないと思ったのだろう。だから今では連中は超過勤務までしているしまつだ。いっさいの作業をやってのけてもいる。本来あの連中はトロッコ押しでもなければ、坑夫でもなく、ハッパ係なのだ。ポーランド人にはダイナマイト好きなところがあるらしいんだよ。あの音響のせいかもしれないがね。だが、今では何もかも自分たちでやっている。女房たちまでここへ連れてこようとした。」》p775(太字は引用者)

 通じる言葉を持たない一群の人間たちが無言でえんえん働き続けている、という状況の描かれかたからは若干のコミカルな気配さえ浮かび、リアルであるのと同時に非リアルでもある魔術めいた領域に踏み入っている。

「オールド・マン」のほうからは、主人公である若い囚人の性格をいちばんよくあらわしているエピソード。
《二年前に刑務所から模範囚にしてやろうという申し出があったのだった。模範囚になればもう畑を鋤いたり家畜に飼料をやったりする必要はなく、弾丸をこめた銃を手にして囚人たちについて行きさえすればいいのだということだったが、彼はことわった。「わたしはすでに一度よけいなことに銃を使おうとした人間なのですから、鋤にかじりついていようと思います」と彼はにこりともしないで答えたのだった》p760(太字は引用者)

 これはなんだか、大江健三郎の小説に、似たような登場人物の似たような状況か、似たような台詞があったような気がする。

この「野生の棕櫚」も、『八月の光』や『アブサロム、アブサロム!』のように、もっとあたらしい訳でも読んでみたい。岩波文庫か光文社古典新訳文庫に期待。



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