2008/10/18

ちょっと追記


 こないだ読んでたまげた『モレルの発明』、なんでいま新装版なのかと思ったが、ググっててわかった。
 たぶんこれ、この、クエイ兄弟の新作映画がきっかけ。
 
「ピアノチューナー・オブ・アースクエイク」→公式サイト音が出ます
 
 原案が、『モレルの発明』+『ロクス・ソルス』(レーモン・ルーセル)だと書いてある。それに合わせた新装版と見た。
『ロクス・ソルス』! あれもまた、見苦しいほどすすめたくなる小説。決して読みやすくはないのを我慢して読んでいくと、次第にどの一文を見ても多幸感に包まれるようになるタイプの。
(それなのに私は、いまだに『ロクス・ソルス』というタイトルがちゃんとおぼえられないのだった。さっきも『ルクス・ソルス』と書いていた)

 公開は10月18日(土)、って今日か。これは行く。きっと行く。いつ行こう。

 しかしながら、このふたつが「原案」では、どんな映画もありえると思った。


モレルの発明 第2版 (フィクションの楽しみ)モレルの発明 第2版 (フィクションの楽しみ)
(2008/10)
アドルフォ・ビオイ・カサーレス

商品詳細を見る


ロクス・ソルス (平凡社ライブラリー)ロクス・ソルス (平凡社ライブラリー)
(2004/08)
レーモン ルーセル

商品詳細を見る
2008/10/14

先週から


「内田樹の研究室」を読んでいたら、先週のノーベル文学賞がらみの記事があった→「ノーベル文学賞の日」2008.10.09
 内田樹は、今年も「村上春樹ノーベル文学賞受賞のコメント」の予定稿を書いたという。
「もし受賞したとして」という原稿を、3年にわたって求められ、引き受けて書き続けているという営為は、なんか面白いと思った。ほかで見たことがない。無償の愛、みたいな。ちがうか。ちがわない。
『村上春樹にご用心』(2007)も、受賞したとの仮定に乗った祝辞で始まっており、そんな本は見たことがなかった。あれ以上のつかみはなかなかないと思う。ところで、
《追記・残念ながら、村上春樹さんのノーベル文学賞受賞はなく、ル・クレジオが受賞することになった。
電話をかけてきた某新聞社の記者は「ル・クレジオって、ご存じですか?」と訊いてきた。まわりにいた記者たちの誰も名前を知らなかったそうである・・・
かわいそうなル・クレジオ。
1970年には大学生たちのアイドルだったのに。》

 うちにも、古本屋で見つけた絶版本が2、3冊あるけど、読んでなかった(どうせ復刊されるんだと思う)。近所の古本屋の棚には、常時、5冊くらい置いてあって移動がない。かわいそうなル・クレジオ。

■ それでル・クレジオを読んだかというとそうではなく、日曜日はアドルフォ・ビオイ=カサーレス『モレルの発明』を読んでいた。これがめちゃめちゃ面白い。冒頭から引き込まれ、それでもちょっと斜に構えて読んでいったのに、次第にそれどころではなくなった。興奮のうちに読了。まだ冷めない。
 で、本の中身もすごかったんだけど、同様に「うわあ」と思ったのは、この本を買ったのは何年前だろうということで、おそらく私はこの古本(出版社名は「水声社」の前身の「書肆風の薔薇」になっている)を、少なくとも10年前に買っている。ずっと積んだままだった。きのう手に取ってほこりを払い、読んでみたら、たいへんな小説だった。
 それであらためて、本って「待ってくれる」んだなあと思われたことである。だから、ル・クレジオもいつか読む。
 
■ で、そのとんでもない『モレルの発明』、もしや絶版なんだろうかと思ってamazonで見てみたら、この10月に新装版が出ていたのでのけぞった。
 これ。
    →『モレルの発明 第2版 (フィクションの楽しみ)』

 ぜひとも読まれたい。ほんとおすすめ。人にこんなにすすめたくなるのは、『ディフェンス』『ペドロ・パラモ』以来、というレベルでのおすすめ。見苦しいほどすすめたい。

■ うえで書いた近所の古本屋に行くと、ル・クレジオは1冊もなくなっていた。読んだことないけど、おめでとうル・クレジオ。
2008/10/08

今日の3点


■ 「ミランダ・ジュライ」+「新日曜美術館」というワードで検索して来られる方が何人かいて、もしやと思って調べてみたら予想通りだった。
 10月5日(日)、NHK教育の「新日曜美術館」で、横浜トリエンナーレ2008が特集されたんだそうである(→番組サイト)。私は知らなかった。
 ミランダ・ジュライの作品も映ったのかどうか(→公式の紹介。これではどんなだかわからない)。
 放送を知らなかったことを、なぜか反省する気持になった。ほんと、なぜ。


■ 穂村弘インタビュー
「WEB本の雑誌」のインタビューコーナー、「作家の読書道」の第83回に、穂村弘が出ていた。
 http://www.webdoku.jp/rensai/sakka/michi83.html
《――チャンドラーに関しては。

穂村 : 中学生ぐらいの時から読んでいました。原文がどうなっているのか分かりませんが、清水訳って、無意味なことがいっぱい書かれてあるんですね。例えば自分がいて誰かがいて、お互い飲み物を飲んでいる。二人のグラスを手に持ってお代わりを注ぎにいく途中で、どっちがどっちのグラスか分からなくなる。そういった、小説の筋とはまったく関係ないけれど、でも実際に起きることが書かれてある。僕が思春期の頃に混乱していた感じというのは、そのグラスがどっちがどっちか分からなくなる感覚が極端に肥大してしまって、小説でいうストーリーや対人的な会話にあたる部分が見えなくなってしまう感覚だったんです。色盲検査表の中には図形や文字があるけれど、それを消しているノイズとされている部分に飲まれてしまうような。だから友達に「おはよう」と言われても、反応が悪かったんですよね。》

 このあと、アニメ版「ルパン三世」1stシリーズの話も出てくるんだけど、わりと最近、その全23話を通して見ていた私には、思い当たるふしがいろいろだ。無駄の省きかたがすごく格好よく見えるわりに、別種の無駄がいっぱい入っているのだった。ただし、穂村弘が取り上げている、
《番組の冒頭で峰不二子がシャワーを浴びながら鼻歌を歌っている。隣の部屋でルパンと次元がそれを寝転がって聞いていて、しばらくしてから次元が「ちっ、ヤな歌だぜ」と言う。》

 このシーンは微妙にちがう。朝食の準備で釣りに出ていたルパンと、外で射撃の練習をしていた次元が合流してアジトの前まで帰ってくると、前夜から泊まっていた不二子の、シャワー中の歌が聞こえてくるのである。そして「ヤな歌だぜ」と続く(第2話「魔術師と呼ばれた男」)
 ・・・ものすごくどうでもいい。書いてみたかっただけです。
 
■ ↑こういう無駄をこそ省くべきだが、ところで、その上、ひとつめの引用に出てくる「色盲検査表」という言葉はすごいと思う。何かがむき出しだ。それって、歌わせといて「ヤな歌だぜ」と言わせるセンスにも通じる何かである気がしてならない(一般名詞のはず、念のため)。


■ ようやく、福岡伸一『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)を古本で見つけたので読んでみた。去年からさんざん言われているように、文章がうつくしくてまずおどろく。
「文章がうつくしい」なんて、小説を読んだ感想にはおいそれと使えない言葉なのに、いま平気で書いてしまったのは、私がこの新書を「小説とは別」と捉えているからなんだろうか。しかし、これを読んでいていちばん連想されたのはリチャード・パワーズであって、パワーズが小説でなかったらこの世に小説なんかあるのか、というのは言い過ぎにしても、いや、重ねて言い過ぎを続ければ、『生物と無生物のあいだ』は、『われらが歌う時』よりも、パワーズっぽいのである。無茶苦茶だ。逆に言えば、それくらいの水準でしか私はそれぞれを読めていないということになる。それはそれでたしかなことだ。

■ それでも検索してみると、よく見るブログがヒットした。「東京猫の散歩と昼寝」より2件。
 →「小説と無小説のあいだ」(2007.06.19)
 →「読書と無読書のあいだ」(2007.06.28)
2008/10/04

そんなイルカ


 山崎まどか氏のブログ「saltwatertaffyの日記」を見たら、手元のお茶をこぼしそうになった。この記事のせいだ。
 → http://d.hatena.ne.jp/saltwatertaffy/20081003
 
 なにしろ私は、「ユリイカ」2008年3月号で知った件の小説を、先週読んでいたのだった。こういう偶然ってあるのか。

 まえに感想書いた→これ、「ユリイカ」でのすばらしすぎる紹介を再掲:
《―― これは今の日本で受けそうですよね。高学歴低収入の男の子が主役で。彼は故郷に帰ってピザ・ハットで働いているんですけど、やさぐれていて、ジュンパ・ラヒリがすっごく嫌いなの(笑)。別れちゃった女の子のこととかうじうじ考えている合間合間に「ジュンパ・ラヒリ、何だそれは? 名前か?」とかジュンパ・ラヒリへの呪詛が出てくる(笑)。そんな感じで田舎で暮らしているうちに、急に熊がでてきて、車のドアをはずされて地下の国に拉致られちゃう。それで熊の住んでいる地下世界にはイルカも住んでいるんですけど、その熊とイルカがやたらと彼の日常にからむんです。イルカは生きる理由が見つからないとかそういう形而上的な悩みですさんでいて、いろんなセレブリティーを誘い出して殺しているんです。ウォン・カーウァイとか(笑)。うまく説明できないんですけど、一種の青春文学なんですね。》p188

 今回の記事からも:
高学歴低収入のフリーター男子と友だちが一人もいないティーン女子と腹いせにイライジャ・ウッドを殴り殺すイルカと村上春樹的「やれやれ」病に取り憑かれた瞬間移動が出来るクマの物語

 ちなみに私の当てにならない印象では、「暴力的な森見登美彦みたいなものを想像していたら、予想以上に切ない話だった」。スカスカな感じが沁みる。あとハムスターとかも出てきます。
 
 タイトルはどんな意味なんだろうと不思議だったんだけど、それは最初のほうでわかる。主人公のAndrew君がはじめてクマに連れられて地下世界に降り、そこにある崖に座っていると(どんな地下だよ、と思っていたのだが、そうかこれって Tao Linなりの『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』か)、大槌を持ったイルカがやって来る。
《Andrew stands. The dolphin has a sledgehammer. Andrew looks at the sledgehammer; the dolphin slaps Andrew's face. More dolphins come from the corridor. The cliff is crowded. More dolphins come; a dolphin is crowded off the cliff; as it falls it goes, "EEEEE EEE EEEE!" Andrew laughs a little. Two more dolphins fall and the cliff is not as crowded anymore.》pp35-6

 イルカはもしかするといちばん切ないキャラなのだけれども、ともあれ、だれかTao Linにこの絵を教えたらいいと思う。



Eeeee Eee EeeeEeeee Eee Eeee
(2007/04/01)
Tao Lin

商品詳細を見る
2008/09/19

ディフェンスがもう出るよ


 8月の最初のころからずっと『百年の孤独』を読み返していて、電車のなかでしか読まないので1日数ページずつしか進まなかったのが、それでもさっき、あと10ページまでこぎつけた。アウレリャーノ・ブエンディーア!


■ ウラジーミル・ナボコフ『ディフェンス』の、改訳新装版がそろそろ出る
 
 もう出ているのかもしれない。若島正訳、河出書房新社→書影あり
 べつだん分厚くもなく、読みにくくもなく、それでいてあれはほんとうにすごい小説だと思うので、ぜひ読まれたい。旧版で読んだとき、「不器用だけど一生懸命」というナボコフがきっといちばん嫌ったであろう態度で感想を書いていたので、一応リンク。3年前か……
  → ウラジーミル・ナボコフ『ディフェンス』(1930,1964)

『ロリータ』のほうが豊かだし、『青白い炎』のほうがエンターテイメントしてるけど、『ディフェンス』も何かの結晶なのはまちがいない。その何かがいいものか邪悪なものかはともかく。


■ あと今月買わないといけないものはなんだろう
 
 9/22 黒田硫黄『大金星』(講談社)
 9/25 リン・ディン『血液と石鹸』(早川書房)
 9/29 保坂和志『小説、世界の奏でる音楽』(新潮社)
 
 しぼりにしぼってこの3冊。なぜしぼらないといけないのかと。理不尽。


■ 今週末-来週の早稲田松竹
 
 公開時にそれぞれ話題になって、見たいなあと思いながら見に行けなかった2本が、早稲田松竹でまとめて上映される。
 
 9/20-9/26 「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」+「ノーカントリー」
 
 しかし158分+122分てなあ。単独でも見応えがあるから話題になったんだろうに。体力のある人がうらめしい。どうするか考えつつ、これから部屋で『百年の孤独』を読んでしまおうと思う。アマランタ・ウルスラ!