2008/08/15

帰京

■ 帰ってきた。月曜よりも2㎏増えた。実家のほうが涼しかった/暑かった、みたいな言い方をしがちだけど、そのあいだの東京の気温を体験してないんだから意味がないと思った。
 
■ 実家の本箱から発掘した、岩波文庫の中島敦『山月記・李陵』を帰りの電車のなかで読んでいた。この文庫本に入っている短篇、「悟浄歎異」が「モンキービジネス」第2号に掲載されていたのを読んで、むしょうに読み返したくなったので。
 この本、正確に高校2年の夏(ちょうど今ごろ)に読んだ、と思い出せるのは、もともと、その年の1学期に現国の教科書で「山月記」を読んで本屋に行ったからだった。素直な学生!
 こういうことをいちいちおぼえているのもどうかと思う。
 そのくせ、ほとんど記憶になかった「名人」という短篇も、再読したら面白かった。紀昌という男が弓の名人になろうと志し、当代一の名手・飛衛の門をたたく。
《飛衛は新入の門人に、まず瞬きせざることを学べと命じた。紀昌は家に帰り、妻の機織台の下に潜り込んで、其処に仰向けにひっくり返った。眼とすれすれに機躡[まねき]が忙しく上下往来するのをじっと瞬かずに見詰めていようという工夫である。理由を知らない妻は大いに驚いた。第一、妙な姿勢を妙な角度から良人に覗かれては困るという。厭がる妻を紀昌は叱りつけて、無理に機を織り続けさせた。》p102

 こういうところをいちいち書き写すのもどうかと思う。

■ 好きで読んでいるブログ「空中キャンプ」の人が、わりと最近になって、岸本佐知子のエッセイをほめにほめている。
 これ(→2008-06-03)とか、これ(→2008-08-13)とか、ほかにもいろいろ。めろめろになっている。そのめろめろ具合はすごくよくわかる。
 とくに、このエントリ(→2008-08-07)にあった、
こんなにわけのわからないエッセイが書ける人は、日本にふたり、宮沢章夫さんと岸本さんだけである。

 これには「だよね!そうだよね!」と思わず興奮した。出された感想に全力で相づちを打ちたくなる、という興奮には格別なものがあると思う。めろめろになっているのは私か。

■ もうずいぶん前、はじめて「空中キャンプ」を読んだとき思ったのは、「この人はぜったい宮沢章夫のファンだ」ということだった。宮沢章夫の読者には、“文章まで似てくる”人が一定数存在する。面白い。
 ついでに書けば、どういう人かまだよく知らないころに岸本佐知子のウェブ日記(@白水社)を見たときには、「この人はぜったい筒井康隆のファンだ」と思った。それが事実なのはあとで知れたんだけど、ほとんど見た瞬間にわかったのである。ああいう直感はどこから来るのか――って、「文章から来る」のに決まっているのだが。ある意味おそろしいことである。
 あといちおう、いぜん書いた感想(→『ねにもつタイプ』)。
 
■ 岸本佐知子御大のエッセイは、ここで1本読めます。
  →「みんなの名前」(@筑摩書房特設サイト)

■ ネットにつないで、よく見るところの更新4日分をチェックして回ると、30分くらいで済んでしまった。すると、私は毎日、何にあれほどの時間を費やしているのだろう。
2008/01/03

2008

《「何おめでてえ? 正月でおめでたけりゃ、御めえなんざあ年が年中おめでてえ方だろう。気をつけろい、この吹い子の向う面め」吹い子の向うづらという句は罵詈の言語であるようだが、吾輩には了解が出来なかった。「ちょっと伺がうが吹い子の向うづらと云うのはどう云う意味かね」「へん、手めえが悪体をつかれている癖に、その訳を聞きゃ世話あねえ、だから正月野郎だって事よ」正月野郎は詩的であるが、その意味に至ると吹い子の何とかよりも一層不明瞭な文句である。》p50

 あけました。
 元旦の読売新聞で川上弘美の文章を読み、雑煮食べながら泣きそうに。

『ラブレー第二之書 パンタグリュエル物語』を読み終えたあと、『第三之書』を読み始めるまでは更新しないと固く心に誓ったわけではぜんぜんないのに、12月は結果的にそうなっていた。
「結果的にそうなっていた」というフレーズの放つ濃厚で甘美な香りはともかく、実家に帰ったりしてました。大晦日から正月2日までかけて、夏目漱石『吾輩は猫である』をまた読んだ。読むたびに短くなる。最初の引用はそこから。上の正月シーンには、《主人は正月早々弔詞を述べている。》という奇妙に味わい深い一節もあった。
 弔詞といえば2007年にはヴォネガットも死んでしまったが、数ある作品のなかで最もなりふりかまわぬ(かまっていられない)ところまで行った『チャンピオンたちの朝食』を含む、絶版だった文庫がいろいろ復刊されたらしい。紀伊國屋書店のこのようなはたらきかけの一環だそうで、とりあえずレムは買おうと思った。

 あと何だろう。そうだ、帰省したとき眼鏡を替えた。
 実家の姉が眼鏡&コンタクト屋で働いていて、家族の分も社員割引が使えるからこの年末にぜひ眼鏡を買い替えろ、いっそお金はあたしが出す、と執拗な催促。私は高校のころから銀縁の丸い眼鏡をかけ続けてきたのだが、行ってみたお店には丸いフレームなんか1本もなかった。なので不本意ながら、2008年は丸くない眼鏡をかけて始まった。かけてる当人にとってフレームの形など何の関係もないし、加えてレンズの度も上げたので、快適で仕方がない。それと同時に一抹のうしろめたさを感じる。何かはわからないが、何ものかに向かって謝りたい。まず姉か。
 今日、帰京する電車に乗る前に本屋へ寄ったら、「本が小さい」ので驚いた。こういうことかと思われる。本の表紙に書いてある文字を読むために、これまでほど目を近づけなくてもよくなった→本のサイズがまだ小さく見えている距離で本を本として認識→「本が小さい」。

 世界は発見に満ちている。本年もよろしくお願いします。
《「しかし死なない以上は保険に這入る必要はないじゃないかって強情を張っているんです」
「叔父さんが?」
「ええ、すると会社の人が、それは死ななければ無論保険会社はいりません。しかし人間の命と云うものは丈夫なようで脆いもので、知らないうちに、いつ危険が逼っているか分りませんと云うとね、叔父さんは、大丈夫僕は死なない事に決心しているって、まあ無法な事を云うんですよ」
「決心したって、死ぬわねえ」》p432


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2007/09/18

警官の主食はドーナツ

 ここしばらくの日記をまとめて書く。項目はふたつしかない。

■ 「ツイン・ピークス」を見た

 7月の末から1ヶ月かけて、「ツイン・ピークス」を見た。17年くらい前のアメリカ製テレビドラマ。監督デイヴィッド・リンチ。(1)パイロット版+(2)本篇29話+(3)映画版=計26時間くらい。

 カナダとの国境にほど近い田舎町ツイン・ピークスで、高校生ローラ・パーマーの惨殺死体が発見される。FBIから派遣されてきたクーパー捜査官が地元警察と協力して犯人を捜すことになるのだが、それによって明らかになるのは、事件の真相よりも住人たちの隠れた関係や過去の事件・大小いろいろの出来事で、それもだんだん、暴かれることでややこしい影響をあちこちに生んでいく具合。さまざまな思惑のからんでくる捜査は進んでいるんだか戻っているんだか。本篇は、1~7話のファースト・シーズンと、8~29話のセカンド・シーズンからできている。
 毎話、メモ取りながら見ていたので、「ツイン・ピークスを見ている日記」でも書こうかと思ったが、どうやってもネタをばらすことになる気がして遠慮した。とはいえ、設定はやたら細かく入り組んでいるように見えるのに、緻密に作られた謎を堅実に解いていくという話ではぜんぜんなくて(クーパーの捜査法は「夢のお告げを待つ」である)、

 ・捜査するから謎が増える
 ・あと付けでどんどん設定を増やしている

 のが如実にうかがえるようになっていて興味深かった。いま思ったが、この2点は同じことじゃないか。畳む気のない風呂敷は広大で、結果、登場人物たちは緊迫しながら、作品としてはだらだらしている感じもずっと残る。それがマイナスに見えないのが不思議。セカンド・シーズンも後半になって、“いかんともしがたく”ほどけていく展開がまた面白かった。不倫コーヒー不倫変人、不倫チェリーパイ変人不倫、といった話である。

 1990、91年の作品なのに、本篇のセカンド・シーズンがDVDになったのは今年の6月なんだそうで、隣町のTSUTAYAだと、「まとめて借りろ。そして見ろ」といわんばかりに全9巻が幾セットも並んでいるのだが、うちの近所のレンタルビデオ屋では、歴史を感じさせる古びたビデオ版がずらりと置いてあったので(こっちだと全14巻になる)、私はそちらで見ていた。順番に借りていた1ヶ月のあいだ、ほかの巻が借りられていた形跡はゼロだった。
 店主のこだわりがときにうっとおしいほどあふれたそのビデオ屋では、本篇14巻のとなりにもう1本ビデオテープがあって、「こちらをまず御覧ください」というシールまで貼られていた。何もわからないまま指示に従ったところ、どうやらそれがパイロット版だったようで、ローラ・パーマー事件が発端から解決までざっと素描されており、たしかにこれを見ておかなくては本篇がさっぱり「?」だったと思われるから、ひそかに店主に感謝した(本篇の最初の数話からは極端に「説明」が省かれている)。むしろ、「謎」と「謎解き」と「でもわからない」の凝縮されたパイロット版だけでも人に勧めたい気持だ。
(ただし、パイロット版でおおまかに描かれる謎解きは、本篇では部分的にしか踏襲されず、だいぶ別の話にそれていく。そんなところも面白い)

 で、いちおうDVD版の1巻も借りて見ると、こちらにもちゃんとパイロット版が入っているのだけれども、それはわたしがビデオで見たのとはちがうバージョンだったので驚いた。謎解きは途中で止まり、よりスムーズに本篇につながるようになっている。パイロット版も2種類あるのか!
 そこでようやくDVDの公式サイトを見てみれば、「ゴールド・ボックス」だの「コレクターズ・エディション」だの映像特典だのヨーロッパ版だのトレーディング・カードだのの文字が踊り、つまり、何にしろ増殖させれば勝ちということかと思われた2007年の夏だった。

 意外に長くなったので、もうひとつ書くつもりだった「■ はじめてドラクエⅡをした」話はまた後日。
2007/07/10

目次を作ったよ


 すごいなあ、面白いなあ、とアルフレッド・ベスター『ゴーレム100』を読みながら、ここひと月のあいだ細々と作っていた、このブログの目次をアップしてみた。こちら。
 右側、カテゴリー欄の「★目次:」に追加。

 ここは一応、本についてのスペースのつもりなのだが、もともとの記事が多くないので、目次だけでも水増ししようと作家名のみならず訳者名でも項を立てたり、トークイベントや、文中で書名だけ触れた本まで拾ったり……とかしているうちにドツボにはまり、「どうして自分はこんなことを思い立ってしまったのか」「そもそもブログをやってる理由は何か」みたいな泥沼に踏み込みそうになったものの、その泥沼はひどく浅い(=記事が少ない)ので、無事、帰還できた。何が幸いするかわからない。
 いちばん多いのは「柴田元幸」か「宮沢章夫」に関するものだろうと予想していたが、自分でおぼえていた以上に青山ブックセンターに行っていたこともわかり、詰まるところ、中身が薄い。
 まあ、無い袖は振れない。それでもわざわざこんな真似をするのは紛れもない自己愛の発現で――と書いてみて、かえすがえすも「どうか」と思うのは、私にとって本を読むのは、なかんずく小説を読むのは、うるさい自分の声を黙らせてもらうためのはずなのに、何か書く段になるとまたぞろそれが回帰してくる問題で、2行上でもまた「私にとって」などと書いてしまったし、もういいから今はとりあえずベスターを読もう。
《「あたしはいったいどういう人間なのだろうか? そう、自分がどういう人間なのか意識しなくなったときが愛のはず。少なくとも、その問いには答えが出た」
 まとわりつくような冷気に全身をなでられた。「うわ! いきなり寒い。なにか着なくちゃ。それはまずいか、捜査員たちが来たときこの格好じゃないと、話に説得力がなくなるから」》
『ゴーレム100』(渡辺佐智江訳)p87

「うわ! いきなり寒い」。とことん素晴らしいと思う。
2006/12/11

たんに愚痴

 1週間くらい前から、パソコンの液晶モニターが不調で困っている。なぜか突然、画面の「明るさ」と「コントラスト」が最低になってしまう。
 たぶんモニター自体の問題で、前面下についてる調節ボタン(買ってから触った覚えがない)が勝手に押されてしまっている状態。いきなり「明るさ」を示すゲージが画面に現れて、みるみる減っていき、つぎに「コントラスト」のゲージが減る。しかもゲージそのものは表示されたまま消えず、そのあいだはこちらでボタンを押しても反応がない。世界は暗い。
 部屋の照明をぜんぶ消せば文字も読めなくはないが、そのうえで画面中央に位置する横長のゲージを下からのぞくようにしてモニターを見つめ、不自然な姿勢で「パプリカ」の感想を書いていたらえらく肩が凝った。憎たらしいことにときどきゲージが消えるので、すわ、とボタンを操作し普通の明るさに戻すのだが、数分でまたゲージが現れ減っていく。
 いまこの文章も暗い部屋の暗い画面で書いており、私としては、停電のお店で食事しているような珍しい気分でいるのだが、この珍しさ、たまたま同じくモニターが不調である人以外にはおよそまったく伝わらないと思うとむなしい。伝わらなさ具合を想像して楽しくなってきた。

 ところで「パプリカ」、私はテアトル新宿で見たが、映画自体は90分なのに、はじまる前、ほかの映画の予告がやたらと多くて長かった。合計して20分以上あったんじゃなかろうか。本を読んでるわけにもいかないし、強制的に見せられるのでたいへんだ。
 とはいえ数が多ければ、なかには驚くような予告もあるもので、なかでもすごかったのは、実写にデジタルペイントを施した変な映像の「スキャナー・ダークリー」……ではなくて、たしか「百万長者の初恋」という韓国映画の予告だった。
 なんでも主人公である男の子は百万長者の遺族らしく、ゆくゆくは莫大な遺産を相続できるらしい。ただしそれには条件があって、なぜかド田舎の高校を卒業しないといけない。いやいや転校していった彼は、そこで美少女に出会う。彼女は孤児だった。

「そんな目つきには慣れてるわ」
「どんな目つきさ?」
「孤児を見る目よ」
「・・・慣れるな。ぼくだって孤児だ」

 というようなやりとりのあと、ふたりは仲良くなるのだが、女の子には心臓病が発見される。刺激を与えると危険なので医者から恋を禁じられる。男の子は奔走する。「治してくれ、金ならあるんだ!」。さらに泣いている美少女だの抱きしめ合うふたりだの「相続を放棄すれば今すぐ0.1%受け取れます」だの盛りだくさんの予告で、これ、もう本編を見る必要ないじゃんと思われたことである。もしかして予告ではなくショートフィルムだったのか。