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2005/07/15

ティム・オブライエン『世界のすべての七月』(2002)

世界のすべての七月
村上春樹訳、文藝春秋(2004)

《二〇〇〇年の七月七日、むしむしした金曜日の夜だった。
 戦争は終わり、情熱は意味のない観念論と化していた。》P17

 いつの戦争か?
 これがヴェトナム戦争なんである。

 1969年に大学を卒業した男女が31年後に開いた同窓会の場面でこの本は幕を開け、当時から続くいざこざや、各々の人生で起きた事件が連作短篇として綴られる。
 オブライエンはヴェトナム従軍体験から小説を書き始め(『僕が戦場で死んだら』)、以来、そのことだけを書き続けている(『カチアートを追跡して』『本当の戦争の話をしよう』etc.)。現代を舞台にしても、扱われるのは「現代のあの世代」で、ほぼ同年代の村上春樹は訳者あとがきで予防線を張る。
《たとえば今二十歳の読者がこの小説を読んで、どのような印象を持ち、感想を持つのか、僕にはわからない。「えー、うちのお父さんの歳の人って、まだこんなぐじぐじしたことやってるわけ?」と驚くのだろうか?》

 驚くというか、普通は呆れる。
 ではこの本が、自分たちを「我ら」といって括ってしまえる人間たちの、ただ回顧的で暑苦しい本かと訊かれれば、でもそれだけじゃないんだと言い張りたい気持にもなるのだから、小説というのはわからない。あるいは自分がわからない。
 同窓会の短いスケッチ→1人ないし2人を中心にした短篇→同窓会のスケッチ、という繰り返しで計22章にわたるごちゃついた人間関係は、はじめ不透明ながら読み進めるうちに背景が見えてくる(第1章の時点で人物表を作っておくと、後になってから、必要なキャラがみんな冒頭のシーンで登場していたとわかり深く感心できる)。
 戦地へ行った者、カナダへ逃げた者、泥棒をして名誉を失った女、病を患う男。別れ、不倫。同窓会の噂話では死者さえも登場人物になる。
 50歳を越えた男女たちの愛憎を見せつけられるのは時にかなりしんどいが、そのしんどさと裏表になって、設定だけなら無茶っぽい話も、妙な説得力をもってこちらに迫る。これはたしかに年を経ていないと書けない気がする。
 とはいえ、本を身から離して考えてみると、「31年後の同窓会」でもって群像劇を始めることを可能にする仲間意識は自分には不思議なもののままである。それがこの世代に特有なのだとしたら、どれだけ上手な会話が交わせたとしても(引用しようとして選びきれなかった)、アメリカにしろ日本にしろ30年前に生まれなくてよかった――という感想が出てくるのだから、結局、自分はこの小説を拒んでいるのかもしれない。

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