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その43 ― ピンチョン Lot 49
The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

前回…] [目次


(1)語りの声・地の文は、すべてを知っている時点から語る
  (今後の展開をちらちら予告するように情報が小出しにされる)

(2)語りの声は、起こった出来事(起こる出来事)を関係付けて整理する
  →読者が知るようになる小説の内容は語りによって構成されたもの

 ふたつの前提はどちらもしごく当然のことで(だから前提という)、事実、多くの小説はこれらを踏まえて書かれ、読まれているにちがいないが、それなのにあらためてこのように取り出してみると、語りというのがずいぶん不自然なはたらき方をして小説をつくっているように思えてくる。
 ストーリーの展開に読者を引き込んでページをめくらせる上手な小説は、こういう不自然さをできるだけ隠そうとするだろう。もちろん、これらがどんな小説にもついてまわる「しごく当然」な不自然さである以上、隠しきるのは困難で、だからそれを不自然だと気付かせない方向に努力が注がれるのではないかと思う。

 それなのにピンチョンは、この第3章冒頭で、これらの不自然さをわざわざ見せつけ、読者が「語りの前提」を意識するように語っている。こうもあからさまに仕掛けられれば、鈍感な人間でもさすがにつまずいて「なんか変」と気付くことになった。上手な小説を読み慣れた読者であれば、なおさら引っかかりを感じるだろう。

 ここまで「不自然」「不自然」と言ってきたが、この「語りのもつ不自然さ」は、「小説のつくりものくささ」と言い換えることができる。
 しかし、あなたの読んでいるこの物語はつくりものですよ、みたいな言わずもがなのメッセージを伝えるためにピンチョンが変な書き方をしていると考えるのは、いくらなんでもつまらない。
 ここでは、これまで3回にわたって述べてきた「つくりものくささの強調」が、長めとはいえわずか数行しかない仮定法のたった一文きりの中で、折れ曲がった急な階段を駆けあがるようにして達成されていること、すなわちピンチョンの文章の速さ、スリリングさそれじたいに見惚れていればいいような気がする。
 これからも不意をついて繰り出されてくるだろうそういった文章にいちいちつまずき、ためつすがめつしながら並べていくうちに、この作家独特の書法が浮かんでくるかもしれない。これは期待である。

その41」の引用部に戻る。
 読者はこの冒頭でTristeroという言葉を押し付けられ、そういうものがこれから出てくると強引に知らされた。しかしエディパはまだ知らない。Lot 49 で彼女がはじめて〈トライステロ〉という名前に出遭うのは、ここから27ページもあとなのである。

…続き
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