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2004/04/04

その42 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び

前回…] [目次


「彼女が〈トライステロ〉の名で呼ぶようになるものを発見したうしろにある目的が塔の幽閉を終わらせることであるならば、」

 という仮定についての続き。

 たいていの小説と同様、Lot 49 は過去形で書かれている。ただし、主人公の発見するものを、彼女に寄り添って徐々に明らかにする(文章にする)というふつうの語りを、この小説の地の文はしていない。見てのとおり、あとの展開をエディパの行動に先んじて読者に知らせてしまう。
 それによって、過去形である意味が、たんに最も無難な叙述スタイルであることを越えてはっきりしてくる。すなわち、この小説の語り手は(あるいは「語り」そのものでもいいんだけど)、すべてが終わった時点から振り返るようにしてエディパの探求を語っているというズレ、「時差」が印象づけられるのである。
 時差というのは知識の差である。
 のちに起きる出来事を予告する(「呼ぶようになる」)地の文、つまりこの小説の文章を繰り出してくる語り手は、主人公よりずっと先にいて、これから彼女の身にどんなものごとが降りかかるか知っている。この仮定は、そのような当たり前すぎてふだんは意識されにくい前提を、わざわざひけらかしている。

 引用部分の後半、仮定から出てくる帰結はどうなっていたか。志村訳だけ再掲する。
《[エディパが〈トライステロ〉と]呼ぶようになるものを発見した背後に一つの目的があって、それが彼女の塔に幽閉されている状態に終止符を打つことであると想定するならば、あの夜のメツガーとの不倫こそ論理的にはその出発点になると言えよう――論理的には。》p51/p57

 これは仮定に基づく一方的な推論(「想定するならば」→「言えよう」)なので、読んでいるこちらには、どうして「論理的」なのかわからないはずである。それでも、地の文は論理的だと言っている。
 もちろん、自分は何もうがった読み方はしていないし、それどころか、できる限り素直に素朴に読もうとしているだけだ。それで思うのだが、塔からの解放と不倫が論理的なつながりをもつのは、地の文が「論理的だ」と言っているから、という以外に理由はないのではないか。
 語りの声(ここでは地の文のかたちをとっている)以外に、小説の中には何もないのだから、語られていることをそのまま受け取るしかない。
 小説の語りは、語っているその通りに世界をつくりあげる。これもまた、当たり前すぎる前提である。

…続き

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