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その40 ― ピンチョン Lot 49
競売ナンバー49の叫び

前回…] [目次


 実際にあるのかどうかもわからない“あらかじめ決まっているものごと”を、勝手に「ある」と設定したうえで、それを自分は知ることができない、と脅威を感じるエディパ。
 そんな人間が、自分は「まるで知らない」、相手は「十全に知っている」映画をネタにした賭けに乗ったのは、しかもその不公平を踏まえて乗ったのは、面白い。作中では酒のせいになっているが、小説の悪意を感じる。
 そして結果は、見事に騙されるに終わったのだった→その36

 エディパには、おそれながらも“知らないこと”へ近付いてしまう心性でもあるのだろうか。それを好奇心と呼ぶならば、彼女は好奇心のせいで返り討ちにあったことになる。エディパは、自分の知らないことを知っている人間に挑戦し、渡りあおうとして、あっさり手玉にとられた。

 繰り返しになるが、陰謀があったのかどうかはまだわからない。
 どれぐらいわからないかというと、

(1)大きな力をもつ第三者がメツガーを差し向け、テレビも細工してこの男の出演した映画を流し、エディパを陥れようと狙う、組織的な陰謀があったのかどうか(しかし何のために?

(2)または、メツガーがこの夜の出来事ぜんぶをみずから仕組んでエディパをものにしようとしたのかどうか、つまり個人的な陰謀があったのかどうか

(3)そして、陰謀などいっさいなく、すべてはただの偶然だったのかどうか

 これらすべてがもうみんな、わからない。だから、陰謀は実在するともしないとも明言されていない、と前回書いた。
 だが、「陰謀があるかもしれない」と小説に書いてあれば、「陰謀があるらしい」と受け取って読んでしまうのがふつうの反応ではある。なにもこのノートでは、ふつうの反応を抑えてアクロバティックな読み方をしようとは思っていない(単純に、できない)。

 最後に付け足しておくと、ここまで「陰謀」「陰謀」と繰り返してきたその言葉が、原文では‘plot’である点はいくらか気にかかる。
 plot は「陰謀」であり「策略、計画」だが、おなじように、「小説や劇の筋、構成、組み立て」でもある。英語で読む人のなかでは、この2種類の意味は重なっているのではないか。
 そして、「自分のまわりに陰謀(plot)があるのでは?」というエディパの疑いについていえば、彼女が小説という虚構の登場人物である以上、彼女を取り巻く周囲のすべてはplotなのである。

 次回から第3章。

…続き
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