2004/06/10

穂村弘『もうおうちへかえりましょう』(2004)

もうおうちへかえりましょう
小学館

《「お互いに高めあう恋愛」の国など、本当はどこにも存在しないのでは?
 真っ黒な心の私はGoogleにキーワードを入れて検索をかけてみた。

 「松任谷由美 正隆 浮気」

 四七件!
 だが、その中身をみてゆくと、「作詞作曲:松任谷由美、編曲:松任谷正隆」、
そして「浮気」は歌詞だった。》P69

 穂村弘には都合3回驚かされた。
 最初に歌集『シンジケート』、『ドライ ドライ アイス』(沖積舎)を読み、短歌はこんなことになっているのかとまず驚き、続けて読んだ『短歌という爆弾』(小学館)で、センスの一発勝負に見えた歌がどれほど理詰めで作られているのか舞台裏をあかされ、他人の作品を読み解く分析の鋭さにまた驚いた。

 そして3回めの驚きは、その分析力を自分に向けた散文による。

 穂村弘が何者か考えた場合、上でたどった順序はおそらく逆で、この人は歌人であるより前に批評家であり、それよりも前に「穂村弘の専門家」である。
 たとえば飲み会の最中に何気なく席を替えるような、普通の人なら自然にできるだろうことができない自分とは何なのか。ぐるぐる考えたところでついに「自然」にはなれない男の自己観察は『世界音痴』(小学館)に詳しい――というか、その後も綿々と書きつがれ、先日、続編となるこのエッセイ集として世に出てしまった。

 恋愛にしろライフスタイルにしろ、この人ほど「世間的にあるべきイメージ」に囚われながら、そのイメージとの距離につまづく自分の姿を芸にできる人はめずらしい。視点が冴えれば冴えるほど解脱からは遠ざかり、七転八倒する自分を外から見ている。読んでいて安心して笑えるのは、この距離感があるからだ(もうひとつ理由があるとしたら、それは受け手の問題である)。

『世界音痴』ではもっぱら自分に向けていた分析を、今度は漫画やら時代やらに向けて発揮する(こともある)ので、もう穂村弘を心配することはない。古本を探す人間の心の動きや、本棚に本を並べる際の気配り、あるいは高野文子を読む体験を、これだけ的確に書ける人がいたのか。
 一方で、穂村弘の自己観察をこんなにも夢中になって読んでいるのは自分だけなんじゃないかという不安は増すばかりである。


《「凍る、燃える、凍る、燃える」と占いの花びら毟る宇宙飛行士》

『手紙魔まみ、夏の引越(ウサギ連れ)』(小学館)

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