2019/06/18

内田百閒『阿房列車』(1952)

旺文社文庫(1979)


 完璧な絶望が存在するのかどうかは知らないが、完璧な文章、とりわけ完璧な書き出しはたしかに存在し、そのようなものを前にしてはそれが小説なのか小説でないのかはどうでもよくなって、繰り返し何度も読み直すだけである。あと、ぼそぼそ音読して口と耳にも体験させるだけである。それから、手を動かして書き写すだけである。けっこうやることはある。
《阿房[あはう]と云ふのは、人の思はくに調子を合はせてさう云ふだけの話で、自分で勿論阿房だなどと考へてはゐない。用事がなければどこへも行つてはいけないと云ふわけはない。なんにも用事がないけれど、汽車に乗つて大阪へ行つて来ようと思ふ。
 用事がないのに出かけるのだから、三等や二等には乗りたくない。汽車の中では一等が一番いい。私は五十になつた時分から、これからは一等でなければ乗らないときめた。さうきめても、お金がなくて用事が出来れば止むを得ないから、三等に乗るかも知れない。しかしどつちつかずの曖昧な二等には乗りたくない。二等に乗つてゐる人の顔附きは嫌ひである。》p7「特別阿房列車」

 鉄道に乗るためだけに鉄道に乗るこの旅が始まったのは昭和25年というから1950年の10月22日(日)らしい。でもそのような数字は本文には顔を出さない。これはそういう記録ではない。
《しかし用事がないと云ふ、そのいい境涯は片道しか味はへない。なぜと云ふに、行く時は用事はないけれど、向うへ著いたら、著きつ放しと云ふわけには行かないので、必ず帰つて来なければならないから、帰りの片道は冗談の旅行ではない。さう云ふ用事のある旅行なら、一等になんか乗らなくてもいいから三等で帰つて来ようと思ふ。》p8「特別阿房列車」

 はじめてここを読んだとき、わたしは、この内田百閒という人は冗談を言っているんだと思った。自分の旅行を(行きだけなら)冗談の旅行ととらえているように、この文章が冗談なのだと思った。
 冗談のような旅行を、百閒は大真面目に実行する。
 若い国鉄職員の通称ヒマラヤ山系氏ひとりをお供に連れて(そのネーミングもどうかしている)、東京駅から大阪まで行って帰る(特別阿房列車)。次のときには静岡まで行って帰る(区間阿房列車)。その次は大遠征で、博多、鹿児島からぐるりと八代まで行って帰り(鹿児島阿房列車)、さらに次の旅では盛岡、青森、秋田、山形と東北を回って帰る(東北本線阿房列車・奥羽本線阿房列車)、以上5本の阿房列車を収めたのがこの『阿房列車』で……と律儀に説明しようとすると何だか虚しくなる。そんな小さな真面目さは、こんな旅行を本当にやっている人の真面目さからしたら、線路の砂利の一粒にも及ばないからだ。人に合わせて阿房ということにしておくけれど、自分でも冗談の旅行と言うけれど、つまりそれだけ厳粛かつ真剣に「用事はない」のである。
 なにしろ最初の「特別阿房列車」は出発するまでが長い。旅行には金が要る、それは人から借りて工面する、すると借金についてひとしきり自説が述べられる。
《気を持たせない為に、すぐに云つておくが、この話しのお金は貸して貰ふ事が出来た。あんまり用のない金なので、貸す方も気がらくだらうと云ふ事は、借りる側に起[た]つてゐても解る。借りる側の都合から言へば、勿論借りたいから頼むのであるけれど、若[も]し貸して貰へなければ思ひ立つた大阪行をよすだけの事で、よして見たところで大阪にだれも待つてゐるわけではなし、もともとなんにもない用事に支障が起こる筈もない。
 そもそもお金の貸し借りと云ふのは六づかしいもので、元来は有る所から無い所へ移動させて貰ふだけの事なのだが、素人が下手をすると、後で自分で腹を立てて見たり、相手の気持をそこねたりする結果になる。友人に金を貸すと、金も友達も失ふと云ふ箴言なぞは、下手がお金をいぢくつた時の戒めに過ぎない。
 一番いけないのは、必要なお金を借りようとする事である。借りられなければ困るし、貸さなければ腹が立つ。又同じいる金でも、その必要になつた原因に色色あつて、道楽の挙げ句だとか、好きな女に入れ揚げた穴埋めなどと云ふのは性質[たち]のいい方で、地道な生活の結果脚が出て家賃が溜まり、米屋に払へないと云ふのは最もいけない。私が若い時暮らしに困り、借金しようとしてゐる時、友人がかう云つた。だれが君に貸すものか。放蕩したと云ふではなし、月給が少くて生活費がかさんだと云ふのでは、そんな金を借りたつて返せる見込は初めから有りやせん。
 そんなのに比べると、今度の旅費の借金は本筋である。こちらが思ひつめてゐないから、先方も気がらくで、何となく貸してくれる気がするであらう。ただ一ついけないのは、借りた金は返さなければならぬと云ふ事である。》

《お金が出来ていよいよ空想が実現する形勢である。このお金は私が春永に返した時に初めて私のお金であつた事を実証するので、今は私のお金ではない。いくら私が浪費家であつても、若しそれだけのお金を自分の懐に持つてゐたとすれば、それを出して、はたいて、丸で意味のない汽車旅行につかひ果たす事は思ひ立たないであらう。私の金でなければ人の金かと云ふに、さうでもない。貸してくれる方からは既に出発してゐるのでその人のお金でもない。丁度私の手で私の旅行に消費する様になつてゐる宙に浮かんだお金である。これをふところにして、威風堂堂と出かけようと思ふ。》pp13-4「特別阿房列車」*太字は引用者。以下同じ。

 しかつめらしい理屈のようなものが、しかつめらしい理屈なのか怪しいまま展開し、融通無碍なパンチラインを旧かなで続々と繰り出して進むこの文章が『阿房列車』の本体で、だから汽車がホームを離れる前からこのように旅は始まっているわけだけど、それでもやはり、いちばんの読みどころは車窓を流れ去る風景の描写だと思う。さっきのアナーキーな借金論を書いたのと同じ人が以下を書いている。
《ぼんやりして窓の外の景色を眺めてゐると、汽車が何だか止まりがつかなくなつた様に走つて行つて、さうして時間が立つ。遠くの野の果てに、見えないけれど荒い砂浜があつて、その先に遠州灘がひろがつてゐると思はれる見当の空に、どことなく夕[ゆふべ]の色が流れてゐる。》p31「特別阿房列車」

《次第に暮色が車窓に迫つて、間もなく外は何も見えなくなつた。男鹿半島の根もとにひろがつた八郎潟の風光を眺めたいと思つたけれど、その辺りを通る時分はすつかり暮れ果てて、ところどころの乏しい燈[とも]し火が、水に映つてゐるかと思ふと、透かして見る窓硝子の露が光つてゐたりして、到頭なんにも解らない内に、長かつた筈の沿岸を通り過ぎ、追分を過ぎ、車窓の両側に燈火の数が多くなつたと思ふと、秋田駅の構内に這入[はひ]つた。》pp210-1「奥羽本線阿房列車 前章」

《横手の駅を出て、線路がカアヴすると、もう目の前に暗い山が、通せん坊をした様に立ちはだかつてゐる。狭間を伝ひ、隧道を抜け、屋根と柵ばかりの小駅を二つ三つ過ぎた頃から、時雨で曇つた窓の向こうに、紅葉の色が的皪と映じた。
 紅葉に川は附き物の様である。目についた景色には、必ず清流が、横切つて走る汽車に向かつて流れて来た。山川だから幅が広くない。しかし水量は多いらしく、それは時雨の所為[せゐ]もあるか知れないが、深さうである。その迫つた両岸に絢爛の色が雨に濡れて、濡れた為に却つて燃え立つ様であつた。
 山と山との間の縦の谷を流れて来る川を、汽車が走つて行つて横に渡るのだから、さう云ふ景色はあつと云ふ間に、すぐ通り過ぎる。さうして遮二無二走つて隧道に這入つてしまふ。
 隧道を出ると、別の山が線路に迫つて来る。その山の横原は更紗の様に明かるい。降りつける雨の脚を山肌の色が染めて、色の雨が降るかと思はれる。ヒマラヤ山系君は、重たさうな瞼をして、見てゐるのか見てゐないのか、解らない。
「いい景色だねえ」
「はあ」
「貴君はさう思はないか」
「僕がですか」
「窓の外のあの色の配合を御覧なさい」
「見ました」
「そこへ時雨が降り灑[そそ]いでゐる」
「さうです」
「だからどうなのだ」
「はあ。別に」
 それで大荒沢へ著いた。》p218「奥羽本線阿房列車 後章」

 きれいな風景がきれいに描かれるだけでなく、夜でも、悪天候でも、そして何気ないものであっても、百閒の文章はその都度かたちを変えて自在に対象を写し取る。
 もっとも、百閒は車窓を通して風景を見たが、わたしは百閒の文章を通して風景を読んでいるわけなので、風景に文章が一致して見えるのは当然といえば当然、一致と騒ぐまでもなく、文章=風景の同語反復なんだろう。「風景を文章で描写する(先に存在している風景を、文章を使って表現する)」とふつう書くし、わたしだってこれからもそう書き続けるけど、本当は文章が風景を作っている。文章がそのままこれらの風景である。
 そう考えると、あの借金をめぐる話に(偏屈だし、屁理屈なのに)少しも強引さが感じられないのは、そんな偏屈な屁理屈が文章のかたちで好き放題に延びていく“そのまま”感のためだろう。「屁理屈を文章で書く」というのも、屁理屈が先にあってそれを言葉に置き換えていくのではなく、本当は文章がそのままあの屁理屈なのである。それで百閒の屁理屈は、固いのに流れる。流れるといえば、この1冊でも何ヶ所か出てくる川の描写のうちで、いちばん好きなところはここだった。
《鹿児島まで行くのだつたら、是非帰りは肥薩線に乗つて、球磨川を伝つて八代へお出なさいと勧めるから、ついその気になつた。
 その球磨川が車内の反対側の窓の下を流れるのだつたら甚だつまらない。何だか落ちつかなくなつてゐたら、その内に川が見え出した。矢つ張り左側である。万事休するかと思ふ内に、又もう一度鉄橋を渡つた。それで川が右側の、私の窓のすぐ下へ来た。
 宝石を溶かした様な水の色が、きらきらと光り、或はふくれ上がり、或は白波でおほはれ、目が離せない程変化する。対岸の繁みの中で啼く頬白[ほほじろ]の声が川波を伝つて、一節一節はつきり聞こえる。見馴れない形の釣り舟が舫[もや]つてゐたり中流に出てゐたり、中流の舟に突つ起つてゐた男が釣り竿を上げたら、魚が二匹、一どきに上がつてぴんぴん跳ねてゐる。鮎だらう。
 山系君がぢつと眺めてゐたが、こつちを向いて、「先生、まだお弁当を食べないのですか」と云つた。》p152「鹿児島阿房列車 後章」

 こんなにも変幻自在な文章の題材が、鉄道という、厳格なダイヤに従って運行される旅であるのがつくづく面白いと思う。それからたいへん当たり前のことだけれども、昭和25年の旅だから、目に映ったものを書き、連想されるものを書いていけば、戦争の跡をあちこちに残しながら、しかし用事のない旅ができるくらいまで復興した景色のスケッチになるのも面白い。
 大阪で一泊した旅館。
《朝起きて見ると縁側の障子がすつかり煤[すす]けてゐる。私の家の障子を張り替へたばかりで出て来たから、なほの事目立つのだらう。障子の外の縁側の両隅に防空演習の遮蔽幕がぶら下がつた儘[まま]になつてゐる。》p35「特別阿房列車」

 故郷の岡山に近づき、鉄橋を渡って岡山駅にいたるところ。
《汽車が旭川鉄橋に掛かつて、轟轟[ぐわうぐわう]と響きを立てる。川下の空に烏城[うじやう]の天主閣を探したが無い。ないのは承知してゐるが、つい見る気になつて、矢つ張り無いのが淋しい。空に締め括りがなくなつてゐる。昭和二十年六月晦日[みそか]空襲に焼かれたのであつて、三万三千戸あつた町家が、ぐるりの、町外れの三千戸を残して、みんな焼き払はれた晩に、子供の時から見馴れたお城も焼けてしまつた。
 森谷金峯先生は私の小学校の時の先生であつた。金峯先生の御長男は今岡山の学校の校長さんである。空襲の晩、校長森谷氏は火に追はれて、老婆を背中に負ぶつて、旭川の土手を鉄橋の方へ逃げた。そのうしろで炎上するお城の大きな火焰が天に冲[ちゆう]し、振り返れば焰の塊りになつた天主閣は、下を流れる旭川の淵に焼け落ちて、土手を伝つて逃げ延びる足許[あしもと]をその明かりが照らした事であらう。背中の老母は金峯先生の奥様である。よく覚えてゐないけれど、子供の時にお目に掛かつた事があるに違ひない。もう一度車窓から眺めて見ても、その辺りの空は白け返つてゐるばかりである。
 鉄橋を渡つたら、ぢきに岡山駅である。ちつとも帰つて行かない郷里ではあるが、郷里の土はなつかしい。停車の間、歩廊に出てその土を踏み、改札口の柵のこちらから駅前の様子を見たが、昔の古里の姿はなかつた。》p114「鹿児島阿房列車」

 岡山駅では改札から出なかったのに、広島は見物する。
《甘木君が説明役の若い人を連れて来た。その人が色色の事を教へてくれた。先[ま]づ比治山へ登つた。大変見晴らしがいい。向うに山があつて、川が流れてゐて、海が見える。山裾[やますそ]のどこかで犬が吠えてゐた。
 それから町中へ降りて、繁華な街を通り、太田川の相生橋の上で自動車を降りた。相生橋はT字形に架かつてゐて、こんな橋は見た事がない。橋の上に起[た]つて見る川の向うに、産業物産館の骸骨が起つてゐる。天辺[てつぺん]の円塔の鉄骨が空にささり、颱風の余波の千切れ雲がその向うを流れてゐる。物産館のうしろの方で、馬鹿に声の長い雞の鳴くのが聞こえる。又自動車へ乗つてそこいらを廻り、それから駅へ出た。》p122「鹿児島阿房列車」

 今回、引用したいところを厳選するつもりで貼っていった付箋の数をいまかぞえたら、あと14ヶ所ある。さすがにどうかと思うので、いくつか箇条書きにとどめる:


■ 「区間阿房列車」では、御殿場線の国府津駅で乗り換える予定になっていた。そこまで乗って来た列車が遅れて着いたのに、そこから乗り換えるほうは待たずに出るという。そんな馬鹿なことがあるものか。
《「あつ、発車する」と思つたら、階段の途中で一層むつとした。
 その音を聞いて、あわてて階段の残りを馳け登るのはいやである。人がまだその歩廊へ行き著かない内に、発車の汽笛を鳴らしたのが気に食はない。勝手に出ろとは思はない。乗り遅れては困るのだが、向うが悪いのだから、こちらに不利であつても、向うの間違つた処置に迎合するわけには行き兼ねる。》

《最後部が行つてしまつたので、私共の前が豁然[くわつぜん]と明かるく広くなつた。何となく目がぱちぱちする様な気持である。考へて見ると、面白くない。考へて見なくても面白くないにきまつてゐるのだが、かう云ふ目に遭ふと、後でその事を一応反芻して見た上でないと、自分の不愉快に纏まりがつかない。
「仕方がない」と私が云つた。「ベンチにでも掛けようか」
 だれもゐない歩廊の中程にあるベンチに二人で腰を下ろした。
「前の列車の、もつと前部の車に乗つてゐたら、間に合つたのですね」とヒマラヤ山が云つた。
 それはさうだけれど、そんな事で間に合ひたくない。だれが間に合つてやるものかと云ふ気持である。
 暫らくだまつてゐた。股の間に立てたステツキに頤[あご]を乗せて、向うの何でもない所を見つめて考へた。段段に不愉快がはつきりして来る。
「行つて、さう云つて来ようか」
 ベンチから起ち上がつて、歩廊の端に近い所にある駅長事務室へ歩いて行つた。》pp70-2「区間阿房列車」

 そして百閒は100パーセント正しい抗議を行なうのだが、その前に披瀝される心構えがたいへん立派だった。
[…] 私には第一に戦闘的精神が欠如してゐる。腹が立つ時には立つのだが、それを人に向かつてぶつけると云ふ気魄[きはく]に乏しい。次に、さうでありながら、又こんな事も考へる。こちらに理があつて相手に迫る場合、相手をのつぴきならぬ条件に置いて責めるのは、君子の、或は紳士の為す可[べ]き事でない。兎に角自分を優位に置いて考へる事の出来る側の為す可き事でない。為すをいさぎよしとせざる所である。》p73「区間阿房列車」

 駅員たちに言うことを言ったあと、次の列車が来るまでの2時間を、百閒はヒマラヤ山系氏とふたり、横並びに腰掛けたベンチで待つ。雨が降ってくる。することはもとより何もない。
《かうして二時間近くの間、雨垂れの水が足許へじやあじやあ落ちて来るベンチで、いい加減のおやぢと、薹[たう]の立つた若い者がぢつとしてゐる。する事がないから、ぼんやりしてゐる迄の事で、こちらは別に変つた事もないが、大体人が見たら、気違ひが養生してゐると思ふだらう。二人竝[なら]んで、同じ方に向いて、いつ迄も黙つてゐるのは、少しをかしい。さう云ふのは二人共をかしいのだが、或は隣りを刺戟すると後が悪いから、も一人の方がつき合つて、ぢつとしてゐるのかも知れない。その気違ひは私の方かと思つたが、さうでないとは云はないけれど、年頃から云ふと山系の方が気違ひに適してゐる。》pp78-9「区間阿房列車」

 そんな言葉を使うのはよした方がよいのでは、といまだったら心配になる表現をぽんぽん繰り返してまで自分たちの構図を《少しをかしい》と言い募る感覚は、いまにしても当時にしても、一般的なものなのだろうか。そんなことは確かめようもないが、この構図をとることよりも、この構図にこうまでこだわることのほうに、少しをかしい感じがする。この点は百閒自身の偏りなんじゃないだろうか。

■ 「奥羽本線阿房列車 後章」で、秋田県にあった横黒線という短い路線を雨の中、往復する。これには珍しく「紅葉を見るため」という目的があり、読者の胸に「それって“用事”じゃないのか」との疑いが兆す隙も与えず《紅葉を見に行く様では若い者になめられるに違ひない(p215)と苦い心情が漏らされるのだがそれはそれとして、その絶景の描写はすでに上のほうで引用した(線路が《カアヴ》するやつ)。帰りはいっそう寒く、雨もひどくなっている。
《すぐに発車したけれど、窓の外は已[すで]に薄明かりである。帰りも景色を眺めるつもりであつたが、やつと山と空の境目がわかる位で、紅葉の色はもう見えない。その薄明かりの山裾に白い道が見える。そつちを指差して山系が何か云つてゐる。
「何」
「人が通ります」
「どこに」
「そら向うの山裾の、あの道の曲がりかけた所」
 さう云へば、人影が見える。大きな番傘をさしてゐる。男か女かわからない。どこかへ帰つて行くのだらう。
「さうだ、歩いてゐる。しかし何が気になるの」
「気になるわけぢやありませんが、あすこだけ明かるいので」
 暗くなりかけた山裾を伝つて行く番傘のまはりが、ぼうつと白けた様に見える。
「変だね」と云ふ内に汽車がカアヴして、向きが変つた窓に、大粒の雨がばりばりと音を立てて敲[たた]きつけた。》pp220-1「奥羽本線阿房列車 後章」

 ヒマラヤ山系氏は実際にこの不思議な光景に気付いたのだろう。教えられた百閒も実際にこの通りのものを目にしたのだろう。しかし見たものがこのように文章化されると(このような文章で見たものがかたち作られると)、ありのままが幻想の気配を帯びて、なんだか、百閒の短篇を外側から眺めているようである。
 百閒の短篇と随筆との懸隔にわたしも戸惑った口だが、両者の違いは、同じものを内側から見るか外側から見るかの違いぐらいの距離まで近づくことがあると言えるのかもしれない。そんなことはないかもしれない。あんまりまとめようとするのはよくない。

■ それと関係するかどうかはともかく、わたしは百閒が書くものの中で「急に心配になる」「とつぜん不安に襲われる」箇所が気になっており、宿題としてそこは書き留めておきたい。
 最初の阿房列車の出発当日、家から東京駅に着いたところにもそれはあった:
[…] 釣り皮にぶら下がってぼんやりしてゐる内に、市ヶ谷駅からの三粁[キロ]半を夢の間に過ぎて、鉄路つつがなく東京駅に著いたが、歩廊に降り起つた途端、丁度その瞬間に切符が売り切れる様な気がし出した。発車にはまだ一時間半ぐらゐ間があるけれど、かうしてはゐられないと云ふ気がする。
 さう云ふ気持で歩くと、東京駅の歩廊は無意味に長い。》p17「特別阿房列車」



*最後に、こういうものが無いよりはあったほうがいいのじゃないかと自分で思うので、この旺文社文庫の目次を書き写しておく。次は『第二阿房列車』です。

■ 旺文社文庫『阿房列車』(1979)目次:
特別阿房列車
 東京 大阪
区間阿房列車
 国府津 御殿場線 沼津 由比 興津 静岡
鹿児島阿房列車 前章
 尾ノ道 呉線 廣島 博多
鹿児島阿房列車 後章
 鹿児島 肥薩線 八代
東北本線阿房列車
 福島 盛岡 浅蟲
奥羽本線阿房列車 前章
 青森 秋田
奥羽本線阿房列車 後章
 横手 横黒線 山形 仙山線 松島 

解説 平山三郎
 百鬼園先生年代記
 「阿房列車」雑記

   ○         ○         ○

■ いま手許にないためちゃんと確かめてないけど、この『阿房列車』に収録されているものは、ちくま文庫の『阿房列車 内田百閒集成1』にもぜんぶ入っていたはず。
■ これもちゃんと確かめてないが、新潮文庫の『第一阿房列車』はこの旺文社文庫版を新かなにしたものと考えていいと思う(きっと解説は除く)。

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No title

 偶然に、拝読したのですが、感激いたしました。百閒の言われれている質が何となく感じられて、今後ともぜひ続けていただきたく、お願いします。私は、一條裕子の漫画「阿房列車(1から3号まで)」3冊を読んだ程度の知識で、娘が好きだと申すので関心をもっている程度の者ですが、より興味を持たされました。期待します。

>芳賀さま

大変おそれ入ります。
やっと『第二阿房列車』の分を更新しました。

ご興味持たれましたら、ぜひ新潮文庫版の3冊をお手に取っていただければと思います。

わたしは一條裕子さんの漫画版を手に入れそびれて今に至るので、うらやましい限りなのですが、漫画といえば『ヒャッケンマワリ』(竹田昼、白泉社)というものもあります。
百閒の様々な作品からエピソードを組合わせて再構成したもので、作者の読み込み具合がうかがえる非常に丁寧な本です。