2019/06/04

百閒は日本の古本屋に乗って

冥途―内田百けん集成〈3〉   ちくま文庫

 内田百閒が好きなのだけど、じつはそんなに読んでいない。そんなに読んでないのに好きだったという、要領を得ない話をこれから書く。

 2002年から刊行の始まった、ちくま文庫の内田百閒集成でわたしははじめて百閒の書くものに触れた。『阿房列車』を読み『立腹帖』を読み、真面目な顔で理屈を通しているうちに変なことになっていく調子と、簡素で鮮やかな状況描写が気に入って、これはいくらでも読めそうだし読みたいと思ったのに、そのあと『冥途』収録の短篇小説を読んで――具体的には「冥途」と「豹」、なにより「山高帽子」、そして「白子」の冒頭を読んで――あ、これでもういっぱいだと直覚した。この人の書くものをこれ以上読まなくても、もうこれで自分にとってこの人の文章が与えてくれるものは限度まで受け取った、と思った。「白子」の冒頭を引用する。
《私は誰とも議論をしたのではないのに、独[ひとり]で腹を立てていた。神がいると云う者と、いないと云う者との間には、そのいるとかいないとか云う言葉が、食い違っているんだ。自分が神はいないと云ったからって、それは神がいると云う者のつかったいると云う言葉を、否定にしたのではない。それが解らないのだから駄目だ、と思って一人でむしゃくしゃしながら、懐手をして道を歩いていた。》「白子」、『冥途 内田百閒集成3』(ちくま文庫)p66

 この数行で考えられている内容と、このことを考えて“むしゃくしゃしながら”道を歩いている“私”の両方が、直接わたしに入ってきて頭の中で鐘をチリンと鳴らした。それまでそんなものがそこに吊り下げられているとも知らなかった鐘が、予告もなく、赤の他人の文章によって無造作かつ的確に、チリンチリンと連打された。いま書き写していてもその鐘の音は響いてくる。
 この文章は、何なんだ。もっと読みたいというより、むしろ怖いもの見たさで『サラサーテの盤』をそっとめくり(薄目で見てもおそろしかった)、小説ではない『ノラや』なんかに手を伸ばし(なぜそこまで、と訝しんだ)、やはり思った通りにいっぱいだったようだと自分を観察しながら、5年くらいかかってちくま文庫の集成全24冊を3分の1くらいつまみ読みしたころ、古本屋で旺文社文庫の『冥途・旅順入城式』(1981)を手に取った。
 これが決定的だった。
 1979年から84年にかけて刊行された旺文社文庫の百閒作品は、ちくま文庫と違い、(漢字は新字体だが)かなづかいが旧かなである。新かなと旧かなの違いを、わたしはそれまでたいして意識していなかった。旧かなは脳内で新かなに変換するぶん手間がかかるから、あらかじめ新かなに直してくれているならそのほうがいい、だって読めればいっしょなんだし、くらいに思っていた気がする。それが百閒はどうだったか。「白子」の冒頭を引用する。
《私は誰とも議論をしたのではないのに、独[ひとり]で腹を立ててゐた。神がゐると云ふ者と、ゐないと云ふ者との間には、そのゐるとかゐないとか云ふ言葉が、食ひ違つてゐるんだ。自分が神はゐないと云つたからつて、それは神がゐると云ふ者のつかつたゐると云ふ言葉を、否定したのではない。それが解らないのだから駄目だ、と思つて一人でむしやくしやしながら、懐手をして道を歩いてゐた。それなら神を連れて来て見せるがいいと私は腹の中で叫んだ。よしんば連れて来て見せたところで、それは神がゐると思つてゐる者の神に過ぎないぢやないか、それが神はゐないと思ふ者の目に神と見えるかどうだか受け合はれたもんぢやない。それぢやしかし、かう考へたらどうする。それぢや神はゐないと云ふ者も、その否定する前に、一先づ自分の神を認めた事になつてしまふ。彼は否定する為の神を祀[まつ]つてるぢやないか、どうだと私は独[ひとり]で駄目を押して、益[ますます]むしやくしやして来た。
 町の中が何となく混雑してゐた。道を歩いてゐる人が、どちらへ向いて行つてるのだかよく解らない様な気がした。それから無暗[むやみ]に横町の澤山ある町だつた。横道はみんな狭くて、向うの方は薄暗く暮れかかつてゐた。》「白子」、『冥途・旅順入城式』(旺文社文庫)p88

 くねくねした「ゐ」は「い」で取り換えて済むものではまるでなく、「っ」でない「つ」、「じゃ」でない「ぢや」に何の抵抗もないのが意外だった。それらはどれも、脳内で新かなに変換するものではなかった。百閒の旧かなは、新かなよりも読みやすかった、というのではないが、新かなよりも文章が起伏とうねりを持って続いていく感じがはるかに強まっていた(なお、この感じは縦書きだといっそう強い)。
 旧かなのほうが滑らかに進むこと、その滑らかさがさらなる不気味さも運んでくること、そして/だから、こちらのほうが本来の道行きであったことが読むほどに体感されて、《益[ますます]むしやくしやして来た。》の次で《町の中が何となく混雑してゐた。》と跳ぶ呼吸が、なぜか完全に“わかる”と思った。
 これは大変なことになってきた。「山高帽子」から引用する。
《私は厠[かはや]から出て来て、書斎の机の前に坐つた。何も変つた事はないのに、何だか落ちつかなかつた。開け放つた窓の外に、夕方の近い曇つた空がかぶさつてゐた。大きな棗[なつめ]の枝に薄赤い実がなつてゐる。私はその実の数を数へながら、何となく頻[しき]りにそはそはした。今出て来た厠の中に、何人[だれ]かゐる様な気がした。何人かが私を待つてゐるらしく思はれた。
 家の中には私の外[ほか]に、誰もゐなかつた。みんな買物や使ひに出たきり、まだ帰つて来なかつた。近所の家から、何の物音も聞こえなかつた。日暮れが近いのに辺りは静まり返つてゐて、ただ遠くの方で、不揃ひに敲[たた]く法華の太鼓の音が聞こえるばかりであつた。私は淋しい様な、どこかが食ひ違つた様な気持で、頻りに厠の中を気にした。
 その時、窓の外の、庇[ひさし]を支へた柱を、家の猫が逆に爪を入れながら、がりがりと音をたてて下りて来た。さうして私の向かつてゐる窓の敷居に飛び下りて、こちらを見た。私がぢつとその顔を見てゐると、猫は暫らくそこに起[た]つたまま、私を見返して、それから、何か解らないけれども、意味のあるらしい表情をして、さうしてふと目を外[そ]らすと、そのまま開け放してある入口の方に行つた。私はその後姿を見て、いやな気持になつた。猫は短い尻尾を上げたり下ろしたりしながら、廊下を向うの方へ、のそのそと歩いて行つた。私は段段不安になつて、早くどうかしなければいけない様な気がし出した。猫はその廊下を突き当つて、左に曲がるらしい。曲がつた所に厠がある。
「一寸[ちよつと]待て」と云ふ声が、私の咽喉[のど]から出さうになつて、私は吃驚[びつくり]した。さうして、水を浴びた様な気がした。》「山高帽子」、『冥途・旅順入城式』(旺文社文庫)pp133-4

 この不穏さは何事か。最初にちくま文庫で読んだときから、この短篇もチリンチリンとわたしを鳴らした。まだ何も起きていないのに、まだ何も起きていないからこその形のない不安が、形がないのに言葉・文章という形ある媒体で捉えられている。そして、自分から遠いと思っていたこの旧かなのほうが、より自分に近く、より“わかる”ものとして入ってきた。
 奇妙で、はっきりしない感覚や気持、心のありようが、文章でこちらに手渡される。手渡されたわたしはそこではじめて「これ、自分も持っていた」と気付く。そんな受け取り方が“わかる”である。旺文社文庫で読み返したとき、この書き出しの一行一行、一語一語が、わたしには隅々まで“わかった”。遠くから法華の太鼓が聞こえる、というくだりを読んで、そこが目に入る前から、この文章の最初から、その太鼓の音はしていたじゃないか、と背後を振り返るようにおどろいた。ここで「私」が感じている《そはそは》や、《淋しい様な、どこかが食ひ違つた様な気持》、《段段不安になつて、早くどうかしなければいけない様な気》を、読んでいるわたしがそのまま感じ、「私」とわたしが二重になって、「一寸待て」という声はわたしの咽喉から出そうだった。

 すべてわたしの思い込みである。でも、すべてわたしの思い込みである。こんなふうに思い込んでしまったわたしは、これから百閒は旧かなで読もうと思った。つまりは旺文社文庫で読むということで、絶版とはいえ、よく行く古本屋を何軒か回ればいつでも数冊は置いてあるのが見つかった。バラならそれほど手に入れにくいものではないようだった。
 しかしいっぽう、わたしは「もういっぱい」になってもいるわけである。「白子」と「山高帽子」だけ、しかもその冒頭だけでも充分なのである。「件」や「豹」の結末なんて、見たことを忘れたいのに忘れられない悪い夢だった。
 であるからして、旺文社文庫を集めるのにもいまひとつ熱が入らず、実際に買うのはせいぜい年に1冊ぐらいで、それも5、6冊読んだところで停滞した。読んだ中では『東京焼盡』が圧倒的で(→感想)、あの平坦な迫力には随筆とも小説とも違うすごみがあったが、それはいっそう「もういっぱい」を強化した。ときどき本棚から『冥途・旅順入城式』を取り出しては数ページだけめくり、たまんないなと降参してまた本棚に戻すのを繰り返すばかりだった。

 百閒を好きだけどあまり読んでいない、という状態はこうやって生まれ、このように続いた。なんだか、かつて1回だけ訪れた観光地のことを折に触れ「あそこ好きなんだよね」と回想してみせる人間のようである。その後の移り変わりを見に行こうともしない、ものぐさで知ったかぶりのそんな人のことを、しかし、だれが「その土地を本当に好きとは言えない」と否定できるだろう。
 ちなみにこうしているあいだ、2017年の春に、たまたまの成りゆきでわたしは岡山県岡山市に引越した。すなわち百閒の故郷である。生家のあった辺りには記念碑があるのも知っているし、自分の家からそこまでの道順もわかっているが、好きだけどあまり読んでない、というのに似た気持が働いて、いまだに足を運んでいない。これからも行かないような気もする。

 ――だが、そのまま何もなかったら、わたしもこんな文章を長々と書いてはいないのである。変化は、あった。
 あれはいつごろだったか、今年になってからつい魔が差して、わたしは「日本の古本屋」を覗き、「まあ検索するだけだし」と、旺文社文庫の百閒を検索してしまった。そしてヒットした「内田百閒 旺文社文庫 全39冊+関連本5冊 計44冊揃い(カバーうっすらヤケ、僅かなスレの巻有)」を、「まあ買物かごに入れるだけだし」と、買物かごに入れてしまった。
 そこからあまり記憶がないのだが、どういうわけか数時間後には注文確認メールが届いていた。おそるべきは日本の古本屋である。ちくま文庫でのファーストコンタクトからここまで何年かかったか定かでないものの、確認メールのあと、文庫本のぎっしり詰まったダンボール箱が玄関に運ばれてくるまで2日しかかからなかった。


100_1200_900

 くすんだ百閒の塊を眺めながらしばらく暮らし、わたしは観念した。こうなったら(いっぱいでも)ぜんぶ読む。読むたびに1行でも2行でもここでメモをする。いまのこの文章は、そのために書いた第0回である。


100_900_1247

 44冊もあるというのに、よりにもよってぴったり『ノラや』の上から顔を出しているのはまったくの偶然で、本当にやめてほしい。思えば、前に『ノラや』を読んだとき、わたしの人生の猫経験値はゼロだった。だから、愛猫をめぐる百閒のあれやこれやを「なぜそこまで」と訝しんでいられたのだった→ご参考。いまの自分が『ノラや』を平静な心で読めるとは到底思えない。これから百閒を読んでいくのは期待半分、おそろしさ半分なのだが、これについてばっかりは気の重さが100パーセントなのだった。


   ○         ○         ○


■ 福武書店の『新輯 内田百閒全集』全33巻(1986-89)は旧字旧かなで、本来の文字遣いをどうこう言うなら集めるべきは当然こっちなんだろうが、それだと漢字が読めなさすぎるのと、価格の点で手が出ない。われながら残念な読者である。
■ 同じちくま文庫でも、「集成」より前に出た『私の「漱石」と「龍之介」』(1993)は新字旧かなだった。「集成」もそれでよかったじゃないか。
中公文庫の百閒は、旧かなの本と新かなの本が混じっていたと思う。ちゃんと確かめていない。講談社文芸文庫、岩波文庫、新潮文庫は見たことがなく不明。
■ 東京へ出たあとの内田百閒と岡山については、岡山県立図書館(立派)のレファレンスが質問に回答したこちらがわかりやすい。自転車で30分程度の場所にある記念碑はますます遠くなる。ただ、百閒が夢にまで見たという大手饅頭を、いまのわたしは毎日でも買うことができる。

コメント

非公開コメント