2019/05/05

ロス・マクドナルド『象牙色の嘲笑』(1952)

象牙色の嘲笑〔新訳版〕(ハヤカワ・ミステリ文庫)
小鷹信光・松下祥子訳、ハヤカワ文庫(2016)


 私立探偵である主人公のオフィスに、高慢な女性がやって来る。彼女は自分のもとから去った若い黒人の娘を探すよう求めながら、事情を詳しく話すことは拒む。苛立ちつつ指示された街へ向かった探偵は目当ての娘をすぐに見つけて後を追う。9月、快晴の昼下がり。話はたいへんキビキビと進んでいる。

『ウィチャリー家の女』『さむけ』しか読んでいなかったロス・マクドナルドをもっと読んでみようという気になり、古本で積んでいた『動く標的』(原著1949、翻訳1966)『魔のプール』(原著1950、翻訳1967)と続けて読んだ最初の感想は「さすがに翻訳が古いよ」ということで、決して読みにくいわけではないものの、全篇が私立探偵の一人称というスタイルなのに、その一人称がところどころでズレたり語尾がべらんめえな調子に流れたりと文章がふらついてしまうのを、残念半分、微笑ましさ半分で読んだ。
 とはいえ、同じように初期の作品であってもこの『象牙色の嘲笑』はもっと安心して読めるだろうと思ったのは、ずっと最近の新訳であることと、それ以上に訳者の名前をあてにしてのことだった。が、しかし、ここまで格が違うとは予想していなかった。それは訳者の力なのか原作の力なのかと言ったら、もちろん両方だろう。分けられるものではない。
《そのブロックの半ばあたりに白い平屋があり、正面のコショウボクの陰になったドライヴウェイに、色褪せた緑色のフォードのクーペがとまっていた。黄色い水泳トランクスを穿いたニグロの若者がホースで洗車をしていた。大柄で、力の強そうな男だ。半ブロック離れていても、濡れた黒い両腕の筋肉がてらてらっているのが見てとれた。彼のほうへ娘は道を横切った。今までよりゆっくりした、優雅な歩きぶりになっていた。
 その姿に気づくと、男はにっこりして、ホースの水しぶきをピュッと女のほうに向けた。彼女はうまくかわし、見た目もかまわず、彼に向かって走った。男は笑い、水をまっすぐ木の高いところまで噴射したのが、目に見える形をとった笑い声のようだった。その声は半秒後に音として私の耳に届いた。女は靴を脱ぎ捨て、ミニチュアの雨に一歩先んじて車の反対側へ駆けた。男はホースを落とし、彼女を追いかけて走り出した。》p25

 下線を引いた喩えにびっくりして二度見した。読み直しても確かにそう書いてある。「え、これはこんな表現も出てくる小説だったのか」と、それこそホースで水をかけられたように勝手におどろいていると、探偵は近所の住人から情報を集めるべく、ラジオに関する調査員のふりをして隣の家のドアをノックする。
《家の中の声が奥の方から聞こえてきた。年老いて衰えてはいるものの、よく通る声で、詠唱のように響いた。「ホリー、あんたかい? いや、まだホリーの来る時間じゃない。ともかく、お入り、誰だか知らないけど。あたしの友達だろう。友達は部屋に来てくれる。今じゃ外へ出られないもんでね。だから入っておいで」
 声は息継ぎもなく続き、母音を伸ばす深南部特有の耳に快い訛りで単語と単語がつながっていた。道しるべの糸のような声に導かれて、居間を横切り、短い廊下を進み、台所を抜けて、その隣につながった部屋まで行った。》p28

 ここは、探偵が聞き込みをしている姿を読者に示すための、たいしたことのないシーンのはずだ。だから《道しるべの糸のような声に導かれて》なんて比喩からその声を幾通りか想像しつつも、この人物があとで再登場することはたぶんないんだろうとこちらは予想を組み立ててもいる。それなのに、続く会話をちょっと見てやってほしい。
《「動かないラジオなんか、家の中にあっちゃ場所ふさぎなだけでしょ。朝昼晩と聴いているけど、あんたがノックをする直前に消したんだ。あんたがいなくなったら、またつける。だけど急ぐことはない。入って、坐っておくれ。新しい友達ができるのはうれしいからさ」
 私は部屋にある唯一の椅子、ベッドの足元近くに置かれたロッキングチェアに坐った。そこから、隣の白い平屋の側面が見える。裏庭に向かって台所の窓が開いていた。
「あんたのお名前は?」
「リュウ・アーチャーです」
「リュウ・アーチャー」それが短く雄弁な詩であるかのように、彼女はゆっくり繰り返した。「ああ、きれいな名前だ、とってもきれいな名前だ。あたしはジョーンズ、最後の亭主の苗字でね。みんなにはおばちゃんと呼ばれてるけど。」》pp29-30*太字は引用者

 3回読み直した上で、わたしも声に出してゆっくり言ってみた(そうしないことができるだろうか?)。始まってまだ30ページだし、探偵が注視しているのは《隣の白い平屋》と《裏庭》なのだし、脇役でしかない脇役の一人であるというのに、主人公の名前をめぐってこれだけのやりとりが書き添えられる。最初に「格が違う」と書いた所以である。「本名、言っちゃうのかよ」というのも、考えてみればまた別の意味ですごい。探偵が、作者が、小説が、三位一体でこの老婆、もといおばちゃんを丁重に扱っている。
 すごい、すごいとメモしたくてここまで書いただけなので、この先の展開とかタイトルの意味とか触れないが、もう1ヶ所だけ引用する。探偵が発見した手紙を読む場面だ。
《 ルーシー
 仕事をなくしたそうでとてもざんねんです、あたしたちみんな、あんたはこれで一生だいじょぶだとおもったのに、でもつぎになにがあるかわかんないのが人生です、もちろん、かえってきてくれたらうれしいよ、ハニー、きしゃちんをだせるならね、わるいけど、あたしたちにはむりです。とうさんはまた失業して、またあたしがひとりで家族をささえているので、やりくりがたいへん。ねるばしょはいつでもあるし、たべるものもあるからね、ハニー、かえっておいで、くらしはだんだんよくなるよ。おとうとはまだ学校にいっていて、せいせきはいい、このてがみをかわりにかいてくれてます(やあ、ねえちゃん)。きしゃちんがなんとかなるといいね、道路をつかっちゃいけないよ。
                              母より
 ついしん――ねえちゃん、げんき? ぼくはげんき、だれだかわかるよね。》p63

(やあ、ねえちゃん)! まったく平易な、素朴すぎる言葉遣いのなかでも、こんなふうにひょっこり魔法が顔を出す。小説に出てくる“年少の弟が書いた手紙”として、これはサリンジャー『ナイン・ストーリーズ』(ただし野崎孝訳のほう)の一篇、「エズミに捧ぐ」で引用される一通に届く飛距離を出していると思った。
 こんな文章がもっと出てくるんだったら、ロス・マクドナルドはぜんぶ読みたい。あと、ロス・マクドナルドの比喩表現を集めて考察した論考とかあったら読んでみたい。現場からは以上です。


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*いま知った。『動く標的』は1年前に新訳が出ていた(田口俊樹訳)。まずこれか。

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