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2018/03/27

ジョゼフ・チャプスキ『収容所のプルースト』(1987,2012)

収容所のプルースト (境界の文学)
岩津航訳、共和国(2018)

 これはもうまったくの記憶だけで書くのだけど、1996年の年末にペルーの日本大使公邸を武装グループが占拠して公人・民間人あわせて数十名が人質にされてからしばらくあと、膠着した状況をそれでも毎日伝えていた新聞のある日の記事にこんなのがあった――緊張は続くが、人質たちはおおむね規則正しい生活を送っている。最近では、外国語の授業をしたり、大きめの一室に集まって順番に自分の業務や専門分野に関する“講義”を行なって時間を過ごしている。その間、部屋の入口で監視していた武装グループの一員も興味深そうに様子をうかがっていたという。

 最後の一文には「ほんとかよ」と思ったし、なにしろ事件はまだ進行中だったから、人質の彼らがそんなことをしようと決めた動機については何も説明がない短い報道だったはずだが、全面的な武力衝突さえ厭わない集団に監禁され、これまた全面的な武力衝突さえ厭わないように思われる政府との交渉の道具としてのみ身の安全を確保されている日々があとどれだけ続くか見当もつかないという非日常すぎる状況のもとで、お互いに勉強をはじめた人たちがいるという事実は、当時十代だったわたしに20年経っても消えない印象を残した。ふつう圧倒的な速さと強さで「それどころじゃない」と断言されそうな時と場所でだって、じつは「それ」が役に立つこともあるんじゃないだろうか、とまで整理した言葉で受け取っていたかはおぼえていないけれども。

 1896年にポーランドの貴族の家に生まれたジョゼフ・チャプスキは、美術を志し、二十代の後半から滞在したパリで病気の療養中に腰をすえてプルーストの『失われた時を求めて』を読み、夢中になった。帰国後の1939年、将校になっていた彼は侵攻してきたソ連軍に捕えられ、ふたつの収容所で都合18ヶ月を生きのびたのち解放される。いっしょだった捕虜の多くは消息不明となった。戦後はフランスに住み、画家として、また評論家として活動するかたわら、捕虜虐殺事件の真相解明をライフワークにしたという。
 収容所での、文字通り明日の命もわからない日々、捕虜たちは《精神の衰弱と絶望を乗り越え、何もしないで頭脳が錆びつくのを防ぐために》、建築についてだったり、移民の歴史についてだったり、それぞれが詳しい分野を担当して講義を行なったといういきさつが、この本の「著者による序文(一九四四年)」に書いてある。
《プルーストに関するこのエッセイはもともと、一九四〇年から一九四一年にかけての冬のあいだ、ソ連のグリャーゾヴェツにあった元修道院の冷えきった食堂、すなわち捕虜収容所の食堂でもあった部屋において口述筆記されたものである。
 以下に読まれる文章が正確さを欠き、主観的であるとすれば、それは収容所に図書室がなく、自分のテーマに見合った本が手元に一冊もなく、最後にフランス語の本を読んだのが一九三九年九月だったということに、いくらかは起因する。わたしがなるべく正確に描こうとしたのは、プルーストの作品に関する記憶でしかない。だから、これは言葉の本当の意味では文学批評ではなく、わたしが多くを負っていた作品の思い出、私が二度と再び生きて読み直すことができるかもわからなかった作品についての思い出を提示したものである。》pp13-4

《わたしたちにはまだ思考し、そのときの状況と何の関係もない精神的な事柄に反応することができる、と証明してくれるような知的努力に従事するのは、ひとつの喜びであり、それは元修道院の食堂で過ごした奇妙な野外授業のあいだ、わたしたちには永遠に失われてしまったと思われた世界を生き直したあの時間を、薔薇色に染めてくれた。》pp17-8

 6ページしかないこの序文がまず全文引用したくなるくらいすばらしいけれども、続く講義の再現(筆記されたノートを元に、解放後のチャプスキが作成した本文)はもっとすごい。
 プルーストの人となりから語り起こし、時代背景やフランスの文学状況を概観しながらほかの多くの作家・思想家の言葉を紹介して、同時代の絵画なんかも引き合いに出しつつ講義を進めていくのだが、チャプスキはその該博な知識に照らしてあの大長篇の印象を大まかに述べるだけにはぜんぜんとどまらず、小説を語る際には、ごく小さな細部の“引用”をいくつもいくつも行うのである。
 大階段を掃除してじゃがいもの皮を剥いたあと、極寒の食堂に集った捕虜仲間を相手に具体的な場面を詳細に説明しながら、スノビズムについて(!)、貴族の自尊心のむなしさについて(!!)、講義が続けられる。《わたしたちにはまだ思考し、そのときの状況と何の関係もない精神的な事柄に反応することができる》。チャプスキはそのすべてを、記憶だけでやってのけるのである。
《コンサートが始まり、急にヴァントゥイユのソナタが鳴り響きます。ヴァイオリンのメインモチーフは、何よりも幸せだった恋の日々を思い出させました。彼がこの曲を初めて聞いたのは、毎日夜会に参加するために来ていたヴェルデュラン夫人のサロンでした。そこで彼は類まれな美しさを備えた現代曲を発見したのでした。彼がヴァントゥイユに心酔していることはヴェルデュラン家のサロンのみんなが知るところとなり、彼のためにこのモチーフが数え切れないほど演奏されることになりました。オデットのそばに座って、このモチーフを聞いていた彼は、彼女への愛に満たされて、二つの感情をひとつに結びつけてしまいました。無関心な社交界の聴衆に向かってヴァイオリンで演奏されるこのモチーフを聞いたいま、自分が逃れようとしていた幸福な過去が何であったかを、はっきりと具体的に理解します。心臓が痛むほど胸を掻きむしられながら、彼は永遠に失われた幸福を生き直すのです。》pp67-8

 この本への讃辞はすでにたくさんある。わたしのツイッターに流れてきただけでも、芳川泰久(週刊読書人ウェブ)高遠弘美(ALL REVIEWS)サンキュータツオ(朝日新聞)山本貴光(日本経済新聞)の各氏による評が読めて、どなたもチャプスキの記憶力に驚嘆している。それはもちろんそうである。訳者による懇切丁寧な注のおかげで、講義の中でなされた引用の多くは、『失われた時を求めて』の本文から(または、その他の作家のその他のテクストから)該当箇所が示されて、彼の記憶の正確さを裏打ちしてくれる。
 でもその上で、あくまでその上で、わたしがひときわ強く打たれたのは、それら記憶に基づく引用の、けっこうな数が間違っていることだった。そのことを教えてくれるのも、訳者の入念な注である。
《「一九二三年まで」はチャプスキの記憶違い。》p107

《チャプスキの記憶違い。『失われた時を求めて』にそのような人物は登場しない。》p111

《この論文にはチャプスキが述べている「ドイツ的要素の強調」は見当たらない。》p117

 そして何度も繰り返される、《このエピソードの出典は不詳》、《引用は出典不詳》、《出典不詳》…… さらには注の中で、チャプスキじしんのこんな言葉も引用されている。
《わたしは記憶で引用しているので、たぶんテクストを捏造しているはずだ。ロザノフは不正確で勝手に改変した引用について批判された際に、ふてくされて答えた。「正しく引用するほど簡単なことはない。ただ、本のなかを探せばいいのだから。だが、引用が自分のものになるほど血肉化され、自分のなかで置き換えられるようになるのは、はるかに難しい」。もしもわたしが引用文を改変しているとしたら、それは手元の本を探すことができないからであり、ロザノフのような天才的な作家と同じ権利も磊落さももたないからである》pp112-3*「ロザノフ」はロシアで革命前夜に大きな影響力を持った作家とのこと

 チャプスキはこのように謙遜しているが、はたしてそうだろうか。
 わたしが言いたいのは「チャプスキ、さすがに無謬ではなかった」という当たり前のことではない。そうではなくて、それが実際に行なわれた環境のあまりの特異さはもちろん、そのせいで必然的に混入したチャプスキの記憶違い・勘違いもまた、この連続講義の記録を特別なものにするのに大きな役割を果たしている、ということだ。
 ロザノフがふてくされているように正確な引用は1通りしかないが、間違った引用は引用者の数だけある。そして1つの引用ならともかく、3つ、4つ、5つの引用箇所をすべて同じように間違って引用する人間はこの世に2人と存在しない。間違い方のほうにオリジナリティはあり、それにより講義はいっそう唯一無二になった。
 これについては、巻末に訳者の見事な評言がある。わたしが付け足すことなんて本当は何もなかったんだけど、もう書いてしまった。
《二十代の頃に読んだ本が、四十代になって、ようやく意味がわかることがある(実際に、チャプスキは二十代の画家として読んだプルーストを、四十代の将校として回想した)。時間とともに開示される意味とは、プルーストの作品の主題そのものでもある。そう考えると、捕虜収容所内でチャプスキが想起したプルーストこそは、逆説的に、最も純粋な読書体験の記録と言えるかもしれない。解放後に講義を再現するにあたって、あえて原文を参照しなかったのは、彼にとって最も貴重なプルースト像を、正確さによって裏切りたくなかったからではないだろうか。》p184

 極限状態にあっても、まったく関係のない物事に没頭できること。しかも、没頭しながら間違って、行為をなおさら特別なものにできること。それくらい、人間は自由である。少なくとも、それくらい自由になることだってできるはずである。そのために必要なのは意志と教養と、あとやっぱり、意志と教養だと思った。
『収容所のプルースト』は、薄いけれども熱い本である。

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