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2004/04/03

その34 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び

前回…] [目次


 何人もの登場人物が関わる状況の展開してゆく様子を三人称で描く。そんな小説の土台にあるのは「語りの信頼性」だろう(だからこそ、一人称の小説では「語られていることはどこまで本当か」が真っ先に問題になる――と思う)。
She may have fallen asleep
《眠ってしまったかもしれない

 書いてあることが事実かどうかわからないとする、この「かもしれない」(may)が最初のほころびになって、小説の織物がみんなほどけてしまう。極端に言えばそういうことにだってなりうる。

 エディパにはムーチョという亭主がいると書いてあったけど、それは事実か? エディパが死んだピアスの遺言状を受け取ったのは本当か? エディパがエディパという名前なのは信用していいのか?

 入れようと思えばどこにだってツッコミを入れられるようになる。
 もちろん、そのような形式の崩壊じたいを目標にした小説もあるだろう。しかし、ひとまずかっちりした探求小説の枠組みで動いていると見えるLot 49 を、そういう「いかにも前衛してみました」小説としてとらえるのは適当ではないように思う。
(そう思う理由は身も蓋もない。自分はこの作品を最後まで読んでいるので、ラストにいたってもその類の崩壊は起こらないのを知っているからである)

 逆に考えてみると、このような「事実なのかどうかわからない記述」――「書いてあることが事実かどうか定かではないとする記述」を挿むことによってピンチョンは、この小説をただの探求物語からわずかにずらそうとしているのかもしれない。そのためにスタートしてから約30ページ付近でレールに異物を置いたのだとすれば、そこから引き出せるメッセージは次のようなものになるだろうか。

「おれは事実だけを語っているわけではない、小説の中で起こっている出来事をストレートに過不足なく報告しているだけではないよ」

 いま書いてみて、これは作者ピンチョンの声というよりも、小説Lot 49 の声と言わないといけない気がした。

 ときどき、信用できないことまで語られる小説。たまに地の文が、起きたこと以上のことも伝えてくる小説。
 Lot 49 はそんな小説かもしれないと疑いながら読み進める必要があるように思う。ほかのことならいざしらず、小説を読むときにはどれだけ慎重になっても慎重すぎるということはないはずだ。

…続き

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