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2016/04/19

たのしいタイムライン

alios

「なんともない日々の わたしたちのタイムライン」

 福島県のいわき市にあるいわき芸術文化交流館アリオスというところで上演されたミュージカル、「タイムライン」を見てきた。
 2016年4月3日(日)の13時からの回で、市内の実家に前日1泊し、これを見てからスーパーひたちで帰京した。同じ日の夜にもう1回やっていたほかは、前の週の3月26日(土)に福島県文化センターで2回やっただけ。いまのところ再演されるかもわからない。これ以上記憶が薄れてしまう前に感想を。
(わりと直前まで、上演は中通りの県文化センターでしか予定されておらず、「いや、できれば浜通りのアリオスでもやったほうが…!」と勝手に念じていたので実現してよかったが、その話はあとで書きます)

 作・演出:藤田貴大、音楽:大友良英、振付:酒井幸菜、写真・映像:石川直樹といった方々が製作に携わり、舞台の上でじっさいに演じたのは、募集に応じた福島県の中学生と高校生。
 というのは、これがパフォーミングアーツプロジェクトという県の事業によるものだからで、つまり、このミュージカルができたのは「2011年の震災があったから」ということになるのだと思う。

 震災があって、できた演劇。
 そう考えると大人は(わたしは)なにか構えてしまうけれども、はじめに書いておくと、出てくる十代の面々にはだれひとり、いっさい・まったく・これっぽっちも、そういうところはなかった。彼ら彼女らにはほかにやることがたくさんある。中高生は忙しい。そういう演劇だった

 どういう演劇だったか。客席から一段高い横長の舞台は、左右を切って幅を奥行と合わせた正方形にして使われ、余った左右のスペースにも椅子を並べて客席にしてある。
 舞台の正面奥には上演中に楽器を演奏する人たちのスペースがあり、その背後の壁はスクリーンになっている。小道具は学校によくある椅子くらいしかない。いたってシンプル。
(ほんとうはスクリーンを除いた三方から舞台を囲み、見下ろすように客席が配置されるのが理想だったのかもしれない。なぜかというと、べつにどこが正面でもいいように作られた劇だったからというのと、正方形の中には何本も線が引かれ、地図のような模様になっているのが、舞台から一段低いふつうの客席の、特にまだ傾斜のついてない前のほうの席からだと見えにくいような気がしたからだ。それでわたしは舞台すぐ横のパイプ椅子を選んだ)

 さて、ええと。
 震災があり、それに「対して」というのではなくても、それを「受けて」何かをつくるとしたら、それは日常を扱うものになると思う。生活を描くものになると思う。
 震災というのは、非日常的な出来事というか非日常そのものであるため、その反対語は「日常」の「生活」だろうから。でも、劇的ではないのが日常なので、それを舞台の上に乗せる(=劇にする)には、どうしたって、日常に構成の手を入れる必要がある。いつもの平凡な日常をもとにして、「いつもの」も「日常」も手放さずに、平凡から離れる必要が。

 1日の始まりと同じく、朝から演劇は始まる。まだ薄暗い舞台の正方形の中に、たくさんの人間が横になっている。女子が多い。彼女らは数人ずつばらばらに立ち上がり、家族の声なんかが挿まれるなか、口々に歌うような「オハヨー」という声が呼び交わされて、それは半分はあいさつだけど、半分は劇の台詞で、短い歌だった。
 こういった、もともとは日常のふるまいでありながら、その半分を演劇の身ぶりに変えられた声や体の動きが、舞台を組み立てる。
「タイムライン」が90分を通して行なっていたのは、生活のなかの題材を用いて別のかたちをつくる、このような変換作業であるように見えた。
「なんともない日々の わたしたちのタイムライン」

 舞台の全員が見えるようになると、男子は1人だけであとは女子だった。衣装は統一されていても、身長も体格も、声の大きさもさまざまな人たちが、数えていくと20人を越えるくらいいる。
 彼女らが登校したことになって、ホームルールから順番に、1日の進行に沿って劇は進む。時間割で区切られた時間はどれも変換されている。何に?というと、ゲームになっている。
 たとえば最初のホームルーム、出欠確認の場面では、全員が輪になって1人ずつジャンプ→1周したら2人ずつジャンプ→3人ずつジャンプ、4人ずつジャンプ…、と続いて、途中で失敗したら最初からやり直す。
 次の国語の授業だと、何らかの規則(よくわからない)に従って接続語を言い合ったり、というふうに、ひとつひとつの場面でやることがルールとして決まっていて、ただし本番ではそれこそぶっつけ本番として、20人超がそのゲームに挑戦する姿を見ることになる。
(挑戦というと実際以上に真剣な感じになってしまう。真剣は真剣だったが、彼女らは真剣に遊んでいた)
 それから英語・数学・社会・給食・掃除・体育・音楽、と続いていく1コマ1コマで、日常のふるまいから取り出された動きが拡大され、反復されて、ダンスになり歌になる。クイズになる時間まであった。
 たぶん最初は小さかっただろうあれこれの動きを作り、取り出し、組み合わせて大きくしたのを練習して練習して、本番ではあらためて即興でやっている、そういうプロセスのぜんぶが舞台の上に見えていた気がする。

 なかでも、曲に乗せて台詞を歌うのではなく、日常で発される言葉を歌のように聞こえさせるという点で、この「タイムライン」はミュージカルを見慣れないわたしにも珍しいかたちに見える、ミュージカルだった。
 終わりに近づくにつれて何度も何度も繰り返し歌われ、徐々に高揚を巻き起こしていくフレーズが
ふゆがたのきあつはいち つよめのかんき かんき かんき
(冬型の気圧配置 強めの寒気 寒気 寒気)」

だったのには、「そんなのありか」とびっくりした。ありだった。ありどころか、これ以上のものはないと思った。どの年のどの冬のどの日でも、その配置はありうる。これまでも、これからも、ある。
(そうそう、うしろで楽器を演奏している人たちも出演者なのを忘れてはいけない。どうしても目は役者として演じている人たちを見るけど、音楽もずっとかっこよかったし、うしろのスクリーンには、写ルンですで撮った日常の写真が流れ続ける)
「なんともない日々の わたしたちのタイムライン」

 ふつうのものしか出てこない。でもそういったものも、舞台の上ではふつうであるだけではない。
 数字でしかない数字、出演者の年齢もそうだ。中学生と高校生ということだから、単純に最年少が13歳で最年長が18歳だったとすれば、いま2016年に18歳の人が、2011年には13歳だったことになる。
 目の前の正方形の中を縦横に走り回って飛び跳ねる、いちばん幼そうな顔といちばん大人びた顔に目をとめて、そのあいだに見える幅がちょうど5年という長さだと考えると、舞台の上に5年の時間が乗っている。そういう時間の示しかたもある。
 具体的なものを使って、別のものもあらわす。こんなふうにして劇に変換された日常として、わたしは「タイムライン」というミュージカルを見た。

 劇中、たしか2ヶ所だけ、海についての言葉があった。「私の部屋からは海が見える」みたいな台詞と、学校のあと、夜に何人かで連れ立って「海を見に行く」やりとり。この県で海が見えるのだったら、それは北から相馬・双葉・いわきと続く浜通りの、それも海べりの地域しかありえない(福島県はとても広い)。
 けれども「タイムライン」が扱うのは、地震でも津波でもなかった。震災を指さしているように聞こえた台詞(歌詞)は「やっぱりあの日も 朝は訪れた」だけだったが、それだって、そのように聞いてもそのように聞かなくても変わらないように響いた。どの日常だって非日常から直接つながってきたし、それを言うならどんな非日常だって日常につながっていく。

 じゃあ、どこがいちばん劇だったのか。演じている――というか、舞台の上に出ている――30人ちょっとがずっとたのしそう、というところ。その一点を動力にして、タイムラインは流れている。


 そしてこれが、アリオスという場所で上演されたことの意味を、舞台で広がる「なんともない日々」に、勝手に重ねてしまう。
 いわき市に実家があるわたしは、2011年の3月をはさむ前後の1年弱を、たまたまそちらで暮らしていた。だから、この「芸術」「文化」のために作られた大きな劇場施設が、地震と津波のあと長いあいだ、避難所のひとつになっていたことや、建物じたいもダメージを受けて、劇場としての再開まで半年以上かかったことを知っている。ここは非日常の現場だった
 そのような場所で、5年経ったあとに「なんともない日々」を劇にした「タイムライン」が上演されたのは、とても健全だと思う。健全というのは、まっとうなことがまっとうになされたこと、つまり、いちばんふつうであることを言うのかもしれない。ふつうのことがよかったと言いたくてここまで書いた。
 3月26日の福島市での公演を見た細馬宏通さんの耳をお借りすると、わたしが「これ以上のものはない」と思ったあの歌詞は、このようにも聞き取れるという。
「冬型の気圧配置 強めの寒気 喚起 歓喜」

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