趣味は引用
「クローバーフィールド」(2008)、「クロニクル」(2012)

■ 「クローバーフィールド」(2008)

クローバーフィールド/HAKAISHA スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]
マット・リーヴス監督

 (なんだかよくわからないが)ニューヨークの一室で若者たちがパーティーを開いて(なんだかよくわからないが)男女関係がもつれたりしていると、(なんだかよくわからないが)外に巨大な怪獣が現われて(なんだかよくわからないが)盛大に破壊の限りをつくし、(なんだかよくわからないが)軍隊が出動して応戦する夜から朝までを、一般人の回していた一台のビデオカメラが記録していた。(なんだかよくわからないが)それがこの映像である――ということになっている映画。
 カメラを任されているのが、若者でいるあいだは人気者になれないだろうタイプの男(そこはよくわかる)なのが切ない。でもそれ以外はとてもよかった。

 一人称カメラは“そういう設定”であるだけなので、あちこちの都合よすぎる撮り方に「都合よすぎる」といった不満は特にわかないし、リアルっぽくしようと工夫を凝らせば凝らすほど、その作為のために画面はますます作りものめいて見えてくるという倒錯が楽しい。ここでは、リアル感と作りもの感が同じものである。「がんばれ作りもの!あと俳優!」と声援を送らずにいられない。
 いや、そんなことではなくて、とてもよかったのは「なんだかよくわからない」まま始まって「なんだかよくわからない」まま進み、「なんだかよくわからない」まま終わることだった。これはネタバレではない。
 
 この映画を見てみようと思ったのは、2014年9月7日(日)にあった『モンスターズ』(B・J・ホラーズ編、白水社)刊行記念の古屋美登里×岸本佐知子トークショー(@紀伊國屋書店新宿本店)で岸本さんが名前を挙げていたからだった。
 もし本当に怪獣があらわれたら、イケてる者もそうでない者もみんな等しくこんなふうにわけのわからないまま右往左往し、騒いで逃げて転んで迷って泣いて叫んで、つまりなんにもできずにオロオロするだけだろう、「そこがすごくいい」みたいなお話だった(わたしの記憶によります)。
 これはまさにそういう映画で、ときおりギョッとする瞬間もあるしそういう方向を狙って作られているのだろうに、見終えるとたいへん穏やかな気持になっている自分がいた。
 ずっと前に見た、同じような趣向の「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」(1999)だと、カメラに撮られている数名がそれぞれヒステリックに叫ぶだけでひどく神経にこたえ、最後まで見るのが辛かったのとはぜんぜんちがった。
 大勢の群衆の全員が(そう、一人残らず全員が)等しなみにゼロになるという状況にはどうしてこんなに心が安らぐのか。それは映画の作りではなく、見る側の問題なのかもしれない。ひとまず、作りものってすばらしい。

 あともうひとつ、「あの橋を渡ってどこどこへ逃げよう」とか「あの子のアパートは○番街だから地下鉄の路線ならこのへんで」みたいなご当地感が満載なので、ニューヨークの地理のわかる人がうらやましくなった。こんな羨望は、たとえばウディ・アレンの映画を見てもおぼえないと思う。
 なお、作中に「今日は5月23日土曜日」との発言があるので舞台は2009年のはずで、公開年からすると未来を描いていた模様。


■ 「クロニクル」(2012)

クロニクル [DVD]
ジョシュ・トランク監督

 毎日がパッとせず、辛いことは山盛り、これっぽっちも楽しくなくて、ついにビデオカメラによる自分撮りにまで手を染めてしまった(「生活のすべてを記録するんだ…」とか言っちゃう)高校生のアンドリュー君とあと二人が、ひょんなことから超能力を手に入れる。トレーニングで力を強めていく過程と引き起こされるスペクタクルが、彼ら当事者の撮影した映像と、実際にその場に居合わせたカメラ(防犯カメラとか他人のスマホとか)の記録した映像の切り貼りで構成されている――ということになっている映画。
 でも問題はそういう画面の設定(カメラが複数なので一人称ではないけれど、広く“found footage”というジャンルにくくられるらしい。なるほど「本物の映像もの」ということでしょうか)ではなく、アメリカの高校生活のおそろしさだった。
 弱肉強食のパーティー。車で通学。明朗快活で人望のある生徒は政治家志望を公言してはばからない。タレントショー。自分が魅力的だとわかっている女子。こっちの名前とカバンを知っている不良。またパーティー。おそろしいったらない。これはクロニクルというよりアポカリプスなんじゃないか。
 中盤でアンドリュー君にあることをする(未遂)モニカの罪は、その後、鳥山明と大友克洋の両先生がなぜかシアトルで戦う展開を見るにつけ、あまりに重いと言わざるをえない。街をあんなことにした責任の一端は、何の超能力も持たないはずのあの女子にある。
 それとあと、アンドリュー君の父親(元消防士。保険金で酒浸り)がひどい男なのは間違いないが、一途にひどいのか、ひどいところにプラスしてそうじゃないところも同居していると言えるのか、判断つけにくいのがかえってよかった。
 どうでもいいけど、“地面にあいた、深そうな謎の穴に入ってみる”のに際して、プラトンの洞窟の比喩を連想する人間はふつういないと思います。
 獲得した超能力を駆使して巧みに自分撮りをするアンドリュー君の、笑えて悲しい表情が印象的だった。

 ○  ○  ○

 手持ちカメラっぽい映像を装った映画というのはどんなふうになっているのだろうという関心で、その点が公開時に話題になっていた映画を二本続けて見たのに、得られた教訓は「パーティーが災害の始まり」。知ってた。それ、知ってた。
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