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小島信夫『墓碑銘』(1960)
墓碑銘 (講談社文芸文庫)
講談社文芸文庫(2007)

《「いいか」彼はまわりの者をふりかえった。「お前たちにだって、あんまり来てもらいたくなかったんだ。国家のためなんて思っていたらえらい間違いだぞ。お前たちのためだ。それでなかったら、そんなに皆さん、よろこび勇んでおいで下さったわけはないからな」》p74

 なんだかもう、大変なのである。
 日本人の母親とアメリカ人の父親のもとに生まれた浜仲富夫は、母親およびその再婚相手である床屋の店主、そのあいだに生まれた妹という家族をもち、中国の租界にあるミッションスクールの寮でトマス・アンダーソンという別名を使い暮らしていたが、昭和16年12月に日米が開戦してスクールが即日閉鎖されると、外見はまったくのアメリカ人でありながら日本人として生きることにする。それは本人にとって当たり前の選択だった。選択とも言えない。だって日本人なのだから。
 だが、いくら日本語を話すのに不自由がなくても、金髪碧眼・大柄な青年が自分を敵国人とみなす日本人の中で日本人として生きていく方法がどこにあっただろう――みずから日本の軍隊に入るという強攻策のほかに。

 そんなわけでトマスもとい浜仲は入営するのだが、自分では志願のつもりだったのがたんなる徴兵として扱われるところからはじまって、彼の軍隊生活は酸鼻を極める。軍人勅諭を暗唱できるよう努力しても、そこでは、アメリカ人の姿をした日本人はアメリカ人なのである。
 でも、「なのである」という断言ほど、この主人公とこの小説に不誠実なものもない。日常にも遍在するせせこましさや陰湿さ、暴力性が極度に高まり、彼ならずともひどい目に遭わせられる軍隊生活の不合理や無茶を、出自のねじれ(断言のできなさ)から浜仲は3倍増しで押しつけられ、かといってそれを告発するのでも受け入れ同化するのでもなく、ただ、身をもって大変な思いをし続ける。
「自分って何者なのか」という問いを彼に突きつけ苦しめるこの状況は、同時に、彼が「自分って何者なのか」と苦しんでいることを許さない。そして状況というのはまわりの人間のことであるので、浜仲の前や後ろを通り過ぎ、または併走する、それぞれに面倒くさい人びとの面倒くささもねちっこく描かれる。
(アメリカ人の姿をした日本人、というありかたからは、安易な連想ながらフォークナーの『八月の光』が思い出され、そういえば浜仲がずっと妹に(自分の母親と、日本人である義父のあいだに生まれた純粋な日本人である妹に)寄せる憧れも、なんだかフォークナーっぽい気がする。そのような話も巻末の解説で、アメリカ文学者の千石英世氏がちょっと述べている)

 軍隊内部での数かずのドタバタの中には、「…これはもしかすると、笑わせようとしているのでは?」と思えなくもないものもいくつかあったが、みみっちさが肝なのであまり弾けなかった。もっとも、ここにあるユーモアが、どれもこれも気を滅入らせる方向にはたらくユーモアに映るのは、読んでいるわたしの足腰の弱さのせいかもしれない。大変だ。
 大陸で長いことうんざりな日々を送っていた浜仲たちは、小説の後半で船に乗せられ移動する。そこから1ヶ所だけ引用。
《三艘の小型輸送船からなる船団のうち私たちの乗った船には聯隊本部、聯隊砲、通信隊、行李弾薬班などの特別部隊がのりこんでいた。聯隊砲、通信隊の馬や指揮官の馬ものりこんでいたので、あふれんばかりであった。それに荒天で波が高く、忽ち吐気を催しはじめた。装具はたがいの吐瀉物でよごれてきた
 軍旗は袋をかぶせて、旗手が支えていた。旗手がよろめくたびに、兵隊はその旗にふれないように、吐きながら身をよけたので、そのあたりは、なおぐあいがわるかった。それよりなおぐあいがわるかったのは、旗手が吐きはじめたことだ。》p281 太字は引用者

 この一節は、これから先「戦争」という言葉を聞くたびに、映画「プライベート・ライアン」冒頭のシーンと並んで自動的にあたまに浮かんでくることになるだろうとわたしは思う。
 なお、こんな船でもって浜仲たちが運ばれたのはレイテ島であり、そこで迎えるこの小説の終わりがどのようなものになるのか大まかには予想はつくものの、それでも、ラスト一文の切実さはそこまでの300ページ超の大変さを受け止めて押し返す、強烈なものだった。極限状態が人を裸の姿にするというのは比喩ではなかったのである。
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