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2013/04/26

蓮實重彦「フローベールの『ボヴァリー夫人』――フィクションのテクスト的現実について」(2012)

ボヴァリー夫人 (河出文庫)

 フローベールの『ボヴァリー夫人(1856)について、蓮實重彦の行った講演がとても面白かったのでメモしておきたい。もともとは「日本フランス語フランス文学会」の五〇周年を記念する大会で、「特別講演」として東大の安田講堂で披露されたもの(2012年6月2日)。掲載は「群像」の2012年9月号、図書館でコピーしてきて読みました。

 大まかにいってこの講演は、フィクションの「テクスト的現実」をないがしろにして小説を――『ボヴァリー夫人』を――読むやり方を批判して、するとどういうわけか、名だたるフィクションの理論家は多くが批判の対象になってしまうようだから、何が・どうしていけないのかを「虚構」「物語」などいくつかの観点から検証する。それから「テクスト的現実」に従った、かつ作品を豊かにする読解とはどんなものなのか、その一例を自分で実演してあげましょう、という構成になっている(もちろん、本当はもっといろいろ書いてある)。
 たとえば、『ボヴァリー夫人』の全篇を通し、主人公の名前が「エンマ・ボヴァリー」とフルネームで表記されるところは1ヶ所もない(!)というのが紛れもない「テクスト的現実」なのであって、にもかかわらず無造作に「主人公のエンマ・ボヴァリーは…」と書いてしまう論者はいったい小説を小説としてちゃんと読んでいるのだろうか、みたいなスタンスをこの人はとる(もちろん、本当はもっといろいろ書いてある)。
 そうなると、作品を「大まかに」「まとめる」ものはたいていテクスト的現実に背く危険をおかしていることになるのは想像にかたくなく、そのような要約を軒並み批判してまわる蓮實重彦の講演をこうやって要約するのが正しいふるまいなのかといえば「とてもそうとは思えない」わけだけれども、ええと、ここからの実演についてはこちらにもっと的確なまとめがあるよ。

2012-09-12 Wed 蓮實重彦「フローベールの『ボヴァリー夫人』――フィクションのテクスト的現実について」 (「やしお」
 http://d.hatena.ne.jp/Yashio/20120912/1347461470

 たしかに、いちどこれを読んでしまうと『ボヴァリー夫人』は「もはやそうとしか読めなくなってしまう。」
《こうしてみると、悲劇と呼ぶほかはない『ボヴァリー夫人』の物語が、作中人物の「性格」の違いによる心理的な「悲劇」として語られていないことは明らかでしょう。これを、「性格悲劇」を題材とした「心理小説」ととることは、「見せかけの自明性」に安住することでしかありません。それは、何よりもまず、まるで兄妹のように似ている男女が、その類似のはてに生じる齟齬を生きるしかないという悲劇なのです。テクストという「見せかけの自明性」は、「性格悲劇」を思わせる装いを超えて、しかるべき「読み方」に応じて否定しがたい「自明性」を露呈させるものなのです。それが、これまで述べてきた「テクスト的現実」にほかなりません。》pp184-5

 この面白さと説得力はいったい何なんだろう。
 これは『「赤」の誘惑――フィクション論序説(2007)を読んだときにも感じたことだけど、そして今ではおぼえているのはこのことひとつだけだけど、蓮實重彦は内外のさまざまなフィクション論を参照して理論的な言説を組み立てていくのだけれども、根っこにあるのは(いや、表層にあるのは、というべきでしょうか)「小説は言葉でできている」、それなのに「書いてあることをちゃんと読まない人間が多すぎる」という単純な事実の確認と嘆きであって(だって、高名なフィクション論者であっても、自分の扱うストーリーの要約を間違うのである)、その歎きの深さゆえにこの人じしんは逆の極端をきわめるところまで行ってしまう。
 単純なことを徹底するためにこういったぜんぶを書いている、というストレートな衝動がつねに文章のはしばしに(表層に!)見えているので、そしてその成果がスーパープレイになってあらわれるので、ついていくのが簡単ではないこういった小説論をわたしは読んでいるのだと思う。
 ――と、これはまあ、この人の書くものをわたしがそれくらいの水準でしか読めていないということでもあるけれども。
(そして、低い水準でしか読めない人間のほうが真に受けがちというのもよくある話だけれども)

 で、それはともかく、もうひとつどうしてもメモしておきたいことがある。
「群像」掲載にあたり5つの章番号を付けて構成されているこの講演には、本論の前後に「始めるにあたって」、そして「終えるにあたって」という部分があり、このどちらもがたいへん面白い。これがほかの本に収録されるかわからないので、要約でもまとめでもなく蓮實重彦の書いた文章そのものを、思い切り引用してしまいたい。文章の芸というのはこういうものだと思う。
《始めるにあたって

「現実」でもあれば「虚構」でもあるというオクシモロンめいた副題で予告されているこの講演では、いったい何が語られようとしているのでありましょうか。この副題が選ばれたのは、これという勝算があってのことなのでしょうか。それとも、それは近く刊行される予定の講演者自身の書物の題名でしかないのでしょうか。ことによると、講演者たる私は、その書物の内容を芸もなく要約して与えられた時間をみたすというはしたない振る舞いを、後期高齢者だけに許された特権としてあられもなく行使しようとしているのかもしれません。とはいえ、ことのほか昵懇の仲だったともいえない「日本フランス語フランス文学会」に対して、とりわけその創立五〇周年を祝うにあたって、そうした非礼だけは働くまいというそれなりの学術的な社交性は、この私にもそなわっております。いずれにせよ、私自身の書物の題名はこの講演のそれとは異なり、『「ボヴァリー夫人」論』という何の変哲もないものであり、四百字詰め原稿用紙に換算してほぼ千八百枚ほどの原稿はすでに数ヵ月前に編集者の手に渡っております。再読されたのち、さらにいくらかの加筆修正がほどこされてから印刷所に送られるのはおそらくこの晩秋、刊行は早くて来年の晩春、遅ければ麦秋のころかと思っております。
 本来であれば、この『「ボヴァリー夫人」論』は、いまから十年ほど前に脱稿されていたはずのものであります。ところが、講演者自身の老後の生活設計の無残な計算ミスによって、あるいは、その意志を遥かに超えた過酷な宿命に弄ばれてというべきか、一九九三年から二〇〇一年までの約八年間、私はどことも知れぬ不気味な無法地帯に拉致され、幽閉されておりました。できれば記憶からは遠ざけたいその幽閉空間が、こうして聴衆の皆様を前にしてみますと、どうもこの場所ともまったく無縁ではなさそうに見えてまいります。その視覚的な類似の不穏さに講演者自身ははたしてたえられるのか、心もとないかぎりであります。その八年間は、フローベールと向かいあうことはおろか、行政文書以外の文字を書くこともままならぬ日々ではあったのですが、とうてい取りかえしはつくまいと思われたその大幅な遅れが、かえって有利に働いたという側面もないではありません。これまでいくつもの雑誌に連載されたり、あるいは大学の紀要への定期的な掲載などとして部分的に発表していた『「ボヴァリー夫人」論』を、そこでの記述を間接的には反映しつつも、まったく新たな構想のもとに、最初の一行から最後の一行まで、改めてその全文を書き下ろすという息の長い執筆形態へと向かわせてくれたからであります。[…]p162

 この御老人、明らかに笑いをとろうとしている。であればじつは本論にも、そしてここで予告された『「ボヴァリー夫人」論』にも、そのねらいは薄く濃くただよっているのではないかとの疑いまで浮かんでくる。この2013年中に『「ボヴァリー夫人」論』が本当に読めるのか、楽しみでならない。
 そして「終えるにあたって」だが、この特別講演は、コレージュ・ド・フランスからゲストとして来てもらったアントワーヌ・コンパニョンという教授の話に続いて行われたものだったそうで(そちらも併せて掲載されている)、蓮實重彦は時代を半世紀ほどさかのぼる若いころの留学中に、そのコレージュ・ド・フランスで「極めて深い印象」を受けた、ジャン・ポミエなる教授の思い出を語っている。
[…] 軽快でありながらも荘重さをたたえたポミエ教授の孤独な人影は、私の目に、老齢の研究者の理想像のように映りました。明瞭でありながらも平明さからは思いきり遠いみごとに推敲された言葉は、その内容をすっかり忘れてしまったいまも、「権威」とは異なるあるなめらかな精緻さとともに、知性のおさまるべき場をたえず指し示していたように思われます。》p185

《私が深く印象づけられたのは、ポミエ教授が、「では、投影を始めて下さい」などとは口にされず、いつでも中指でこんこんと講壇の表面をたたかれ、その響きに応じて、助手がスライドを投影するという手はずになっていたことです。言葉を欠いていながらもなだらかに推移していたそのコミュニケーションが、奇妙な爽快さで記憶にやきついております。
 私は、ポミエ教授のような魅力的な老教授像におさまることには、みごとに失敗してしまいました。しかし、そんな私にも、ポミエ教授を模倣しうることがひとつあります。それは、視覚的な資料の投影をうながす教授が、講壇の表面を中指でこんこんとたたかれるその無言の仕草であります。コンパニョン教授の先任者の五十年近く前の講義を知っている数少ない証人の一人として、私もまた、ここでこんこんと講壇をたたき、その言葉を欠いた響きをもって、コレージュ・ド・フランスへのつきることのないオマージュとさせていただきます。》
p186

 講演録はここで終わり、あとには参考書誌のリストが続く。『ボヴァリー夫人』をめぐるこの講演録もまた言葉による(言葉だけによる)構築物であるから、ここに書かれてあった内容を踏まえながらこれを読むとき、「ポミエ教授」という言葉のうしろにポミエ教授その人を、「私」という文字の向こうに蓮實重彦本人を想定してしまうのは、「ここまで何を読んできたのか」とあきれられそうな、素朴にすぎる受け取り方なのかもしれない。
 しかし、いまの最後の挨拶を読んで、2012年6月2日のその時間、じっさいに安田講堂を埋めていた人びとの全員が(そう、きっと全員が)思わず、蓮實重彦の指が講壇をたたく小さな音――こんこん――を、耳をすまして待ってしまったであろう数秒間を想像するのを自分に禁じたままでページを閉じることはむずかしく(まず無理)、この講演の言葉によって、わたしの思い描くそのフィクションの安田講堂が、現実とも、この講演のテクスト的現実(!)とも離れたところに否応なく存在を始めているのじゃないか、という気持をおさえることもできないのだった。

 最後にひどく間違ったことを書いた気がする。ぜひ図書館で全文を読まれることをおすすめします。
→続き



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