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フラン・オブライエン『ハードライフ』(1961)
ハードライフ (文学の冒険シリーズ)
大澤正佳訳、国書刊行会(2005)

《それから暫く悪天候が続いた。》p147

 筑摩書房の『世界文学大系』第68巻(ジョイス2・オブライエン)に収録の「スウィム・トゥー・バーズにて」「第三の警官」、集英社の『ギャラリー世界の文学』第5巻(イギリスIV)に収録の「ドーキー古文書」という、とてつもなく偉いんだかとてつもなくくだらないんだかわからない奇作・怪作を紡ぎ出したアイルランドの大作家、フラン・オブライエン。「ドーキー古文書」の感想はまえに書いたことがあるが、この人の、文学全集じゃない単体の単行本で読める唯一の長篇を読んでみた。

 時は19世紀末、主人公兼語り手のフィンバー君は幼くして両親を亡くし、5歳違いの兄メイナスと共に遠縁の親戚ミスタ・コロッピーの家に引き取られる。以下、そこでのぱっとしない暮らしと兄弟の成長が語られていく。
 長篇と言うより長めの中篇といった趣きで、小説自体はかなり辛気くさいというか地味、との噂だったが、たしかにそれはそうだった。
 この小説では、「スウィム・トゥー・バーズにて」のように主人公が小説を書いてその小説の中でさらに登場人物が小説を書いてさらにその小説の登場人物が小説から脱出を試みるというドタバタがアイルランドの伝承と混じり合ったりしないし、「第三の警官」や「ドーキー古文書」のように自転車に乗っている人間の尻とサドルが分子レベルでくっついて自転車人間および人間自転車が生まれつつあるとの憂慮が語られたりもしない。だが、それで何が否定されるというのか
 この『ハードライフ』では、学校に行かされても体罰ばかりで楽しくないし、偏屈老人ミスタ・コロッピーが客の神父と食卓で繰り広げる恒例と化した宗教談義はひたすらうっとおしい、ドロップアウト気味の兄が次から次に手を染めるおかしな商売(綱渡りの通信講座、怪しい飲み薬など)はうさん臭くて心配になるしで、フィンバー君の心はいつまでも晴れることがない。天気や家の様子など、身の回りを描くのに使われる言葉の多くは《陰気》《どんより》《死んだような空気》といったものだ。
 でも、これはこれで悪くないじゃないかとわたしは思った。
 この冴えない主人公の、何をしようとしても頭がつかえてしまう窮屈な感じや、それが何だかはっきり言えないが(はっきり言えないからこそ)薄く鬱屈する不満を抱えたまま続く成長の歳月は、ただの面倒な年寄りに見えながら裏で何らかの社会活動に邁進しているらしい(しかしその内実は決して明かされない)ミスタ・コロッピーに代表される、「どうもよくわからない背景があるっぽい」気配だけはするこの小説のありようとうまくマッチしているし、もしかするとそれが、作品の舞台である19世紀末から20世紀にいたるアイルランドのなにがしかの空気をたくみに描き出しているのかもしれない(それもよくわからない、というのは読者であるわたしの無教養のせいだけれども)。

 小説最大の山場は、コロッピー氏がある事情からアイルランドを離れ、とある場所でとある重要人物と会うことになる場面からはじまるのだが――って、もったいぶる必要もないと思うので書いてしまうと、コロッピー氏がヴァチカンで時のローマ教皇ピウス10世に謁見する場面からはじまるのだが、そこで何が話され何が起きたのか、語り手フィンバー君は、コロッピー氏に同行した兄からの手紙で間接的に知らされる役回りでしかなく、しかも肝心の手紙は、対話の内容をイタリア語とラテン語で忠実に(翻訳なしで)伝えるだけだ。これじゃ何もわからない! だがフィンバー君は、そこに格別の不満も漏らさないのである。何だこれ。そしてこのぱっとしない顛末から来るぱっとしない読後感が、繰り返すけど、これはこれで悪くないのだった。

 あのフラン・オブライエンがこういう小説も書いていたのか、という意外性も手伝い楽しかったのだが、いっそう強く願うようになるのは「あのフラン・オブライエンを、図書館に行かなくても読みたいときにもっと気軽に手に取りたい」ということで、筑摩書房と集英社には、「スウィム・トゥー・バーズにて」と「第三の警官」、そして「ドーキー古文書」を文庫にしていただけないものでしょうかとあらためて希望する。
 わたしの目にはもうはっきり見えているんだけど、ちくま文庫の茶色い背に『スウィム・トゥー・バーズにて』なんて文字は、すごく似合うと思うのである。
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