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2012/07/29

「生活考察」vol.03 (2012)

seikatsu03


(1) しばらく前にツイッターで、
「就職することを目的とした活動を就活といい、結婚することを目的とした活動を婚活というのにならって、生きることを目的とした活動を生活と名付けたからみんな使うといいよ」
といった感じのツイートを見かけたおぼえがあり、いまここに記憶で再現できるくらい気に入った。生きるための活動、それが生活。

(2) もう10年くらいむかしになるはずだが、ウェブ日記やブログのサービスがたくさん生まれ、ネット上のあっちでもこっちでも、ごく普通の人がたくさん、日記を綴るようになった。
 はじめは友達のものや、ネタ性の強いものを読んでいたが、そのうち“知らない人が、ただ毎日の生活を書き留め続けた記録”こそがいちばん面白いと気付いて、夜な夜な、見知らぬだれかのウェブ日記を半年分くらいまとめ読みするようになった。
 日付によって区切られて積み重ねられていく、日常の記録。その綿々とした連なり。記録される内容は地味でも平凡でも、それを書き続ける人がおり、読み続ける自分がいる。書き続けられ、読み続けられる、生活。
 ああ、こんなに面白いものがほかにあるだろうか、と嘆息しながら友達に同意を求めると、多くの場合「すこぶるキモい」「そんなに暇なのか」と返されるばかりでおどろいた。
 それではじめて、世の中には、赤の他人が公表する生活の記録を面白がって読む人間と、そうではない人間、の2種類がいると知った(私の見るところ、中間層はあまりいない)。どちらがよくてどちらが悪いという話ではないことは何重にも念を押すとして、そのうえで、この好みのちがいは、この好みについてだけではない何か決定的な断絶をあらわにしているような気がする、と書いておく。

(1)に感じ入り(2)を好む、普遍的というほどではないらしい自分のこの趣味嗜好はいったい何に由来するんだろうと浅く考えながら、しかし理由を考えてもわからないのが趣味嗜好なのかもしれず、またも別の他人の日記を2年分まとめて読むなどしてぼんやり過ごしているうちに、いつのまにか、巡回するブログも減ってしまった。
 あるいは自分がネットに使う時間の大半を、ツイッターを追いかけるのに費すようになってしまっただけかもしれないが、そのツイッターはと言えば、楽しいことは楽しいんだけど、たとえごちゃごちゃに編集したタイムラインではなく個人のツイートをえんえんさかのぼったり逐一チェックしたとしても、断片的にすぎて「他人の生活をまとめ読む」実感を得るのはむつかしい。生活は、他人の生活は、どこに行った。

 そこに「生活考察」がやって来たのである。
 vol.01の刊行が2010年4月、vol.02が同10月、そして2012年4月にこのvol.03が出た。入手法と目次はこちらだ。
 これは日記ではない。でも、“ある種の”ライフスタイル・マガジンである。様々な書き手が様々に、様々な書きようでもって、生活のことを書く。ひとつも似ていない。ある人は自転車のことを書くし、ある人は日記を書くことについて書き、ある人は原稿料について書く。皿洗いにおけるBGMの役割を語りあう人たちもいる。または、上京した母との数日の記録。などなど。
 入れる器が「生活」という底をしっかり持っているから、入っている中身がどんなにバラバラであっても、じつはバラバラになっていない。しかし読んでみるとやっぱりバラバラで、それぞれがそれぞれに面白い。
(この様々ぐあい、各人各様っぷりについては、このインタビューで編集発行人からさすがに見事な説明がされている。《特集を組む必然性を感じなかった》。この方針でできあがった実物を読むと、本当にその通りだと思う)

 だからこのvol.03についても、どれもこれも面白かったのだが、すべてについて感想を書くのはたいへんなので、まったくの好みで3つだけに絞る。ほかのもみんな面白い、ということが面白い雑誌です。


■ 「とんと記憶にございません。~岸本佐知子 vs. 岸本佐知子~」

 私見では、今号いちばんの飛び道具だったと思われる。
 翻訳家の岸本佐知子さんが、日々、何かにつけてメモを取っている、というのをずっと前のトークイベントで聞いたことがあり、「だが、あとで読んでも意味がわからない(そもそも、読めない)ものも多い」旨のお話だったので、どんなものだか、無難なところを拝見したいと思っていた。それがここに実現。
 掲載されるのはメモの切れ端34枚と、その内容について、現時点からのコメント。以下に例。
「サッカーのピッチは つば臭いかどうか確かめたい気持ち」

「“攻めの汚部屋”」

「なんか、ショールとか好きなんだよね」「前世はお婆さんだったんじゃない?」


■ 伊藤健史「アンチマヨネーズ宣言」

《マヨネーズが嫌いだ。》の一文から始まる、マヨネーズ嫌いから見たこの世界の報告書。
 私じしんはマヨネーズを必須の構成材料とする食べ物(コールスローとか)以外にすすんでマヨネーズをつけようとは思わない、だから自分はマヨネーズ苦手派のほうに分類されると思っていたが、この筆者の前ではとてもそんなこと言えない。なにしろ、筆者にとっては
《食事をするにあたりマヨネーズマスキング(マヨネーズが使用されていると思われるメニューを除外する作業)を試みると、飲食店のメニューが一気に牙を剥いて襲いかかってくる。》

のである。なるほど、そういうことになるのだったか。村上春樹の「ラーメンが食べられない。だから中華料理屋の前も通れない。だれも同情してくれない」という話を思い出したりもした。
 弁当のおかずをマヨネーズが跳梁跋扈するさまを撮影した写真と、そこに添えられたキャプション(鮭に襲いかかるマヨ)は、隠されているわけでもないのにこちらの目には見えていなかったものを突きつけてくる、静かな告発の声である。


■ 松田青子「とらやの紙袋」

 日常妄想エッセイのように始まって、徐々に切実さを増す。
 嫁姑の確執が描かれるのを1ページ読んだところでそれは語り手の脳内に格納され、その語り手が職場での当たり障りを避けようとするみずからのふるまいを1ページ説明してから強く反省し、残り1ページで(最初の脳内嫁に鼓舞されて)本当に伝えたかったことを臆せず伝える――と書いても意味がわからないだろう。その伝えたいことが「とらやの紙袋」の話で――と書いてもますます見当がつかないだろう。
 とても面白いのでぜひ実物を読まれたい。急な視点の引き、突然の方向転換、それでいてたしかにこうでしかありえない経路をたどる3ページ。その中のどこかで小説が立ちあがり、サンダルつっかけて遊びに行ってしまったような印象がある。こういう文章が私はいちばん好きかもしれない。黒地に金の虎。黒地に金の虎!


 3つのつもりだったがやっぱり追加。

■ 辻本力「シリアル自由宣言」

 この「生活考察」編集発行人の辻本さんによる、“シリアルの食べ方の工夫”。具体的なメニューはこちらのブログに詳しいが(このブログ右端の「最新タイトル」欄がすばらしい)、こういった小冒険を真似するかはともかく、これを読んで私は、めったに買わないシリアルをまとめ買いに走ってしまった。いわば「生活考察」が(生活の考察が)私の生活に入り込んできたわけで、次号も楽しみでならない。

 最後にもういちど、入手法と目次はこちらです。

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