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2011/09/17

内田百閒『東京焼盡』(1955)


旺文社文庫(1984)

 昭和19年11月1日(水)から、翌20年8月21日(火)までの生活をしるした日記。このあいだ百閒は奥さんと共にずっと東京にとどまり、5月25日の夜には自宅を焼かれた。それからは、人の家の庭にあった3畳の小屋を借りて終戦までをやり過ごす。
《○ ナゼ疎開シナカツタト云フニ行ク所モ無カツタシ又逃ゲ出スト云フ気持ガイヤダツタカラ動カナカツタ
○ 何ヲスルカ見テヰテ見届ケテヤラウト云フ気モアツタ》
「序ニ代ヘル心覚」

 何を食べたか。何が起きて、何をした。会社に行った、 行けなかった。いつから下痢をしていつまで続いた。天気は何時までこうで、それからこう変わった。ラジオを誰にもらい、しかし壊れてしまった。周りの人間の様子。市街の変化。日記の記述は、なぜ、とあきれるほど細かい。
 なにより異様なのは警報の克明な記録で、警戒警報→空襲警報→空襲警報解除→警戒警報解除、と続く様子が、日によっては何回も、時刻付きで記される。どうやってメモしていたのかおどろきながら、いつのまにか、空襲という異常事態が日常に割り込み、「よく起こるもの」として日記に組み込まれていくのを、自然なこととして読みそうになっている。

 空襲があったから、今日は会社に行けなかった

 めまいがする。当然だ。そして、異常だ。そこに何度でもおどろいてしまう。生活は空襲も飲み込んで続く。よくある言い方だけど、ほんとうにそうなっている事態は、よくはない。
《ただ思ふ事は、寿命の縮まる様なこはい思ひをした後で、空襲警報が解除になり、ほつとした気持で今度もまた無事にすんだかと思ふ時、お酒か麦酒が有つたらどんなにいいだらうと云ふ事で、いつもそればつかり思ふなり。》4月4日

 年が明けてから、物資はいっそう乏しくなっていき、使い途のなくなったお金が余って、食べものはない。お酒がない、お酒が飲みたい、お酒を飲んだらうまかった。お酒がない(以下ループ)。拡大する空襲の被害は、百閒と、何かれとなく百閒の世話を焼いてくれる近辺の人たちのすぐそばにまで及ぶ。
《雙葉の一郭は大変な火勢にて、すつかり火の廻つた庇だか天井だか解らぬ大きな明かるい物が、燃えながら火の手から離れて空にふはりと浮かび、宙を流れる様に辷[すべ]つて、往来を越して土手に落ちた。土手も燃えてゐる。土手が燃えるかと更[あらた]めて感心した。アスフアルトの往来には白光りのする綺麗な火の粉が一面に敷いた様に散らかり、風の工合では吹き寄せられて一所にかたまつたり、又一ぱいに広がつたりしながら、きらきらと光つてゐる。道もせに散る花びらの風情である。[…] 大分寒くなつたが、雙葉の火に暫く向かつてゐると暖かくなる。》4月14日

 ああ、なぜいまそんな名文を、と小さくうめき、こちらまで胃が縮こまる感覚をおぼえながら、ますます強く思うようになるのは、はやく戦争終わってくれということで、この日記に書かれる人間たちが、つまり百閒と同様、この時代にたしかに息をして生活していた生身の人間たちが、親切な人もそうでない人も、なるべく死なずに済みますようにと願いながら、日記が8月15日まで進むのを待つようになる。
 そして気付くのは、百閒にしろほかの誰にしろ、ここに描かれている人たちは、家がなくなったり火から逃げたり、風呂に入れなかったり満足な食事もとれなかったりといった状況のもとで生きていたばかりか(それらは一応、ほんとうに一応だけど、想像はできる)、なんと、8月15日に戦争が終わることを知らないままで毎日を辛抱しているということだった。これにはちょっと呆然とする。
 もちろん、発表がどうあれ、首都もあちこちの都市もこんなに空襲を受けているんだから、戦局が思わしくないことは知られていただろう。覚悟を決めていた人だってずいぶんいただろう。でも、終わったあとから見ればこの上なくはっきり打ち立てられている「区切り」がいつ来るのかを、この人たちは、わかっていない。その心持ちばっかりは、うまく想像するのが難しい。しばらくがんばっても「こんな感じか?」と思えるようにはならなかった。
 だから、状況の内側で書かれたこの日記は、過去についての記録であるのと同時に、過去についての記録ではない。変なはなし、終わったあとから書かれるものは、次々にあたらしいものが出てそれより前のものを古びさせていくのに、「リアルタイムで書かれたもの」は、更新ができないためにこそ、古びないかのようだ。それはもしかすると、ないものはなくせない、という百閒の不思議な理屈とすこし似ているのかもしれない。
《忘れてゐる物なら焼けたも焼けないも同じ事である。又忘れてゐない物でも、有つた物が焼けて無くなつたのだが、無くなつたところから云へば有つた物も無かつた物も同じ事である。もともと無かつた物も焼いた事にしようと私が教へる。ピアノ三台、ソフア一組、電気蓄音機、合羽坂の時分から家内が欲しがつたのを許さなかつた電気アイロン、それから蒸籠、ミシン等、惜しい事にみんな焼いてしまつた、焼けたので無くなつた。もともと無かつたかも知れないが有つたとしても矢つ張り同じ事である。》7月1日

《岡山は六月二十九日の午前二時頃B29七十機の空襲を受けた。人死にが多かつたと云ふ話を聞いたが町は大体無くなつたのであらうと思ふ。[…] 些とも顧ない郷里ではあるが敵に焼き拂はれたと云う事になれば人竝[ひとなみ]以上の感慨もある。しかしどうせしよつちゆう行つたり来たりする所でもないとすれば記憶の中の岡山は亜米利加もB29も焼く事は出来ないのだから、自分の岡山は焼かれた後も前も同じ事であるかも知れない。》7月21日

 この『東京焼盡』、私はたまたま古本で安かった旺文社文庫版で読んだけど、中公文庫にも、ちくま文庫の百閒集成にもふつうに入っていた。たいして厚くないとはいえ、一気に読むものではないけれども(私は3ヶ月かけて読んだ)、日記の日付と実際の日付を合わせて読んだりしても面白いのじゃないかと無責任に思う。



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