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2004/04/09

その115 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び (ちくま文庫)

前回…] [目次


『急使の悲劇』本文の謎に捕まったエディパは、エモリー・ボーツに会うべくカリフォルニア大学へ突撃するが、ボーツ教授はもうこの大学にいなかった。いまはカリフォルニア州サン・ナルシソ市のサン・ナルシソ大学で教えているという。
 結局、またもこのサン・ナルシソ――ピアス・インヴェラリティ肝煎りの土地――にすべてが集まっていく成り行きを、エディパは「当然」だと受け入れるようになっている。しかしここでは、いま28歳のはずのエディパが大学のキャンパスに足を踏み入れて、自分の学生時代とのギャップにおどろく、という出来事への寄り道がなされる。
 作中の「今」は60年代中頃のはず→その16なので、学生たちは活発に政治運動へコミットしている。エディパが学生だった、10年くらい前の「臆病」で「退屈」で「後退」していた時代とはまるで別の宇宙だと書いてある。
In another world. Along another pattern of track, another string of decisions taken, switches closed, the faceless pointsmem who'd thrown them now all transferred, deserted, in stir, fleeing the skip-tracers, out of their skull, on horse, alcoholic, fanatic, under aliases, dead, impossible to find ever again. (p83)

《別世界の話。別な軌道のパターンへと一連の別な決断が下され、転轍機のスイッチは切られ、かつてスイッチを入れた、顔なき転轍手たちが、いまはみなあわてふためいて転職し、脱走し、捜索を逃れ、発狂し、ヘロインに手を出し、アルコール中毒になり、狂信者になり、偽名を使い、死に、二度と見つけられなくなっている。》p128/pp144-5

 この陰惨なイメージの妥当性は判断がつきかねるのというのが正直なところだが、「時代は決定的に、不可逆的に変わった」、「エディパはデモには向かないが、戯曲のおかしな語句を追跡するのは上手である」ということが、変わる前の時代に対して、そしてエディパに対して、いくらか冷笑的な様子で語られているようなのはわかる。
 冷笑的という言葉がよくなければ、あたらしい世代が古い世代のことを、時代の順番を逆にして、大人が子供を見るような調子で語っている、という言い方にでもなるだろうか(このLot 49 が発表されたのは1966年で、いわば変革の渦中だったはずだ)。
 それで、と言おうか、それにもかかわらず、と言おうか、エディパは自分が得意であるところの調査を再開し、今度はジョン・ネファスティスの住居を訪ねる。

…続き

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