2004/04/11

その111 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び

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 何世紀にもわたって〈テュルーン、タクシス〉の敵であり、そして切手を偽造してきた集団がいるのではないか、と2ページちょっとの間にまとめて喋ったあとで、コーエンは押し黙ってしまう。どうやら、自分の口から出た可能性におそれを抱いているようだ。
 W・A・S・T・Eの頭文字についてエディパが訊いても答えてくれず、そして丁寧に、こんなことまで書いてある。
She'd lost him. He said no, but so abruptly out of phase now with her own thoughts he could even have been lying. (p79)

《もう彼は手の届かないところへ行ってしまった。彼は、知りませんと言ったが、彼女じしんが考えていることとは、にわかに位相を異にしていたから、嘘をついているとも思われた。》p122/p137

 少し前にファローピアンに話を聞いたとき、彼も最後は曖昧に言葉を濁して逃げており→その105、エディパはエディパで徹底的に問い詰めることはできないでいたのだった。ここでもまた、彼女の聞いた話はウソかもしれない、と含みが残せるように登場人物の心理が調整してある。
 うまいんだけどずるいのじゃないかという読者の気持にお構いなく、コーエンはエディパのグラスにタンポポ酒を注ぎ足す。この酒は、季節がめぐってタンポポの咲く季節になると発酵を始めるという。「まるでタンポポに記憶があるみたいなんですよ」。
 No, thought Oedipa, sad. As if their home cemetery in some way still did exist, in a land where you could somehow walk, and not need the East San Narciso Freeway, and bones still could rest in peace, nourishing ghosts of dandelions, no one plow them up. As if the dead really do persist, even in a bottle of wine. (p79)

《ちがうわ、とエディパは思った。悲しかった。まるでタンポポのふるさとの墓地が何らかの形でいまも存在しているみたい、と言うべきだわ。どこか、ひとが、ともかく歩ける国、そうして東サン・ナルシソ高速道路などを必要としないところ、そうして骨がいまも安らかに眠っていて、タンポポの幽霊に養分を与え、骨を掘り起こす者などいない国で・・・・・・まるで死者がほんとうに生きつづけている、酒瓶の中にさえ生きつづけているみたい、と。》p122/pp137-8

 自分が今いる世界とは異なった、別の世界をエディパは幻視している。そんな場所が「あるみたい」、と。
 これを、可能性の中に潜む世界、ととらえれば、自分には触れられない真実→その107の属する世界や、あるいはそれこそ〈テュルーン、タクシス〉の敵が活動している世界といった、この章で急に活性化してきた“別世界”たちが思い浮かぶ。
 そして“別世界”が活性化するというのは、そういったものへのエディパの感度が強化されたということでもある。

 ともあれ、この玄妙な名文で第4章は終わる。WASTE印を落書きしていたコーテックスに始まり、史碑や指輪、そして何より偽造切手といった、具体的で手に取れる手掛かりが次々にエディパのもとへ集まってきて、それらの手掛かりが指し示すのは黒衣の集団、とまとめられそうである。
 それだけなら、どんどん謎を追いかけようと一直線に進んでいきそうなものなのに、並行してエディパの中では探求を探求として成り立たなくさせる変化も起きて、話を複雑にしている。何より、彼女じしんを複雑にしている。

その89」や「その100」では、「手掛かりを結ぶ秩序は(見つけるのではなく)私が自分で創るものだ」という覚悟が述べられていた。
 探求とは、たんなる宝探しのように自分と別のところに隠されている真相を発見するだけの行為にはとどまらない。真相は、主体的なコミットによって自分で創り出すものなのだとエディパの考えは深まり、そして彼女は迷いつつも、そこに自分を投じてやろうと決めたのだった。
 でもこれは、全面的なやる気の増進にはつながらない。「真相は自分が創るもの」という理解の裏返しというか、「その99」では「自分が探すせいで、何かがあることになってしまう」というおそれから、彼女が探求をためらう姿が描かれていた。
 さらに「その107」から「その108」になると、「いや、もともと真実なんて私の手には届かないものなのでは・・・」という極論、探求がスタートしたばかりにしてはあまりに早すぎて遠すぎるあきらめに、彼女は囚われかけている。
 これらの覚悟とためらいとあきらめは、順を追った心境の変化ではなく、3つが3つながら(そもそも3つとも分けられないかたちで)入り混じり、それで彼女の言動は細かく揺れ動いている。腰の定まらないそんな状態で行なわれるのが、エディパの探求である。

 探求を進める方向と、いわば探求を解体する方向。ふたつの方向を行き来する往復運動でLot 49 は進んでいくようだ。
 いま、一歩引いて考えてみると、なんとも不思議なやり方で動力を取り出してくる小説であるなあと感心するが、いっぽうで、主人公の心労は察するに余りある。
 小説はあと半分だ。

…続き

*上に引用した、エディパが夢みる別世界の部分を、原文と志村訳に佐藤良明訳(新潮社)を加えてもういちど貼る。
 No, thought Oedipa, sad. As if their home cemetery in some way still did exist, in a land where you could somehow walk, and not need the East San Narciso Freeway, and bones still could rest in peace, nourishing ghosts of dandelions, no one plow them up. As if the dead really do persist, even in a bottle of wine. (p79)

志村訳:《ちがうわ、とエディパは思った。悲しかった。まるでタンポポのふるさとの墓地が何らかの形でいまも存在しているみたい、と言うべきだわ。どこか、ひとが、ともかく歩ける国、そうして東サン・ナルシソ高速道路などを必要としないところ、そうして骨がいまも安らかに眠っていて、タンポポの幽霊に養分を与え、骨を掘り起こす者などいない国で・・・・・・まるで死者がほんとうに生きつづけている、酒瓶の中にさえ生きつづけているみたい、と。》p122/pp137-8

佐藤訳:《違うでしょ、エディパは悲しくなった。そうじゃなくて、タンポポの故郷だった墓地が、まるで今も存在しているみたいに、と言うべきよ。 みんなまだそこを歩けて、イースト・サン・ナルシソ・フリーウェイなど必要ない、骨たちも安らかに眠っていて、タンポポの蜜に滋養を与え、骨を掘り起こす人もいないみたいに――と言うべきでしょ。ワイン・ボトルの中でも死者は、死んだままでいられるみたいに、と。》p124
*太字は引用者

 太字にした箇所が、文字面の上では逆になっている。
 原文の"the dead really do persist"をどちらの意味でとるかのちがいなんだろうけれど、ここでは、“墓地に眠る骨が工事で掘り起こされているこの世界とは別の世界”が思い描かれているわけだから、埋められた骨が(タンポポ酒の中のタンポポのように)埋められたままでいられる → 死者が死んだままでいられる、ということで佐藤訳のほうがいいんじゃないかと思う。
《死んだままでいられる》は、そこだけ見るとちょっと強い気もするが、死者が何ものにも邪魔されることなく静かに死者のままでいられる、ということだろう。
 そしてこう考えてみると、志村訳の《死者がほんとうに生きつづけている》というのもやはり、死者がその状態のままであり続けるということを言わんとしているのじゃないだろうか。

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