趣味は引用
阿部和重「ABC戦争」(1994)
ABC戦争―plus 2 stories
『ABC戦争』(新潮文庫、2002)所収

《――おれはほだなちゃっこいけんかぐらいなごどさいちいちかむてらんねえがらよお、はじめはしかとしとっただな、ほしたらあいづらだげでごじゃごじゃはじめだしてよお、なにがはなすもいづのまにがでっかぐなってっでえ、んだがらひっこんでるわげにいがねえべえ、おれどしてはよお、ほんでおれどがでできたらあっつもだまってねえっだな、ほだいしてるうぢにまあだややこすぐなってったんだ……
 湯村によれば、〈争いごと〉がその規模を拡大させていったのはこのようなわけがあったからなのだという。どのようなわけか。大物である彼は当初(…)》P58
 
 山形生まれの「わたし」は、中退した高校で起きた「戦争」に興味を抱き調査を始めた。「わたし」は出来事を間接的にしか知りえない。通学電車内の対立。巻き込まれた者たちの困惑。状況を再構成しようと努めながらも、渦中にあった一人が綴ったノートや同級生の時を経た証言は不確かなものでしかないと繰り返す「わたし」の語りは、これらのあやふやな手がかりに輪をかけて当てにならず、無駄な饒舌を続けるばかりだ。
「戦争」の2年後に「わたし」は調べを行い、さらにその5年後にこの文章が書かれているというややこしい設定の中、見事なほどくだらない喋りはちっとも事実に向かわない。噂でも伝承でも何でもいいが、出来事を媒介するそういったものにどんな加工処理を施すと小説になるのか、その手続きを(手続きだけを)実況中継したのが「ABC戦争」で、この中篇は、出来事が小説に変わる瞬間を写し取ろうとする。小説の真似をすることで、「戦争」の現場に居合わせなかった「わたし」と読者を小説が生まれる場に立ち合わせ、それをもって小説に似た何かをつくろうとする。この生真面目な意図を「わたし」は隠そうともしないし、実況中継が実況中継の真似事でしかないことだって百も承知である。文庫巻末の解説で「情報公開」小説と呼ばれている所以だが、そこを公開すれば面白いということになるのか、世の小説がみなそんな自意識過剰になったらうんざりじゃないかという心の声に、でもひとまずこれは面白かったよ、と答えられる根拠は、最初の引用だけで充分だと思う。「どのようなわけか。」
 小説を真似ようとしてできあがるものが、実は小説に似た何かではなく、小説ではないか。阿部和重は笑える。そして小説を書いている。
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