--/--/--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2004/04/10

その104 ― ピンチョン Lot 49

The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

前回…] [目次


 史碑を見つけ、トート氏から話を聞いて、それでエディパはファローピアンに会いに行くことにした――と書いてある。いつも〈ザ・スコープ〉という酒場で登場するファローピアンはアメリカの私設郵便について調べているので→その50、〈ウェルズ、ファーゴ〉社や〈小馬速達便〉の配達人を襲った黒衣の集団についても何か知っているんじゃないかと踏んだからだ。
 その推論はもっともだし、たしかにこれからファローピアンがエディパに向かって喋るわけだが、ここでいちどストップして、「その97」でちょっと触れた、時間の乱れについて書いておく。

その96」で、ファローピアンがコーテックスの素性を勘ぐるやりとりがあった。その次に、そもそもエディパがどうしてその夜〈ザ・スコープ〉に来たのかという説明があり、それは「ほかにもいくつかの啓示」があって、「郵便と、その配達方法」にかかわる「ひとつのパターン」が出現したからだ、と書いてあった。
(パターンというのは、「郵便配達と、それを襲う黒衣の集団がセットで出てくる」という“型”のことだろう)
 ということは、小説に書いてある順序

(A)
・ヨーヨーダイン社でのコーテックスとの会話
〈ザ・スコープ〉でのファローピアンとの会話
・史碑
・ザップフ古書店
・養老院でのトート氏との会話
〈ザ・スコープ〉でのファローピアンとの会話

となっており、ページの順に従うこの読書ノートでも、当然これらの出来事はこの順で書いてきた。そしてこの順番だと〈ザ・スコープ〉でファローピアンと話す場面は2回ある。
 いっぽう、本文にある「二、三日あと」や「次の日」など時間の前後をあらわす言葉や、それらほど具体的ではないにしても、啓示やパターンを発見してエディパの探求の動機が確固としたものになるという、より重要そうな成りゆきのつじつまが合うようにじっさいに物事の起きたはずの順序を組み立て直すと、それはこのようになる。

(B)
・コーテックスと話す
・史碑を見つける
・ザップフ古書店
・(次の日)養老院でトート氏と話す
   *史碑・古書店・養老院は2、3日でまわっている
・ これらの情報を持って〈ザ・スコープ〉でファローピアンと話す

 つまり、エディパはファローピアンと1回しか会っていないはずなのである。
 べつに矛盾があるわけではない。〈ザ・スコープ〉に行ったのは最後なんだけど、小説はまず最初にそれを書き、そこから数日間をふり返る格好で史碑から養老院までの出来事を示してから、もう一度〈ザ・スコープ〉に場面が戻ったところで時間の流れがもと通りになったと考えれば、(B)の順で起きたもろもろを(A)の順で配置した、というふうに整理はつく。

 でも、とてもそうは思えない、というのが読んでいるときの印象である。

その96」で見た1回めの〈ザ・スコープ〉でのファローピアンと、これから見る2回めの〈ザ・スコープ〉でのファローピアンは、話す様子がまるでちがっている。それに1回めでは、ファローピアンはエディパについてきたメツガーと口論するが、2回めではメツガーがいない(少なくとも、描かれない)というちがいもある。
 だから実感としては、組み立て直した(B)よりも(A)の小説に書いてある順序のまま、エディパは〈ザ・スコープ〉に2回行っていると受け取ったほうがすんなり読める。
 ただし、繰り返しになるが、史碑やトート氏の話から「啓示」「パターン」を見出したという理由ができたからこそ、エディパはファローピアンの意見を求めに〈ザ・スコープ〉へ行ったはずであり、この因果関係を動かすことはできない。やはり(B)が正しい。
 そういうわけで、出来事の順序がどうにもおかしいものになる。これが「その97」でちょっと書いておいた、時間の混乱である。

 この食いちがいを、どう頭に収めるか。ここまで悩んでおきながらかんたんに答えを出すと、それは、小説には(A)小説に書いてある順序だけがあり、そこから(B)じっさいに物事の起きたはずの順序を再構成しようとするのが間違いだ、というものである。
 身も蓋もないが、こういうことはこれまでにも何度か書いていた(→その63 →その70)。

 もう少し具体的に言えば、というか(B)をあきらめきれないので(A)に統合するかたちで言えば、エディパが〈ザ・スコープ〉に行ったのは、やはり最後のはずなのである。最後のはずなのだけれども、そのシーンは分裂して、史碑から養老院までの出来事の前にも配置されている。分裂しているから、同じ日なのにファローピアンの態度も、メツガーがいる/いないも、別になっている。
 おそらく、これでいいと思う。
 小説はこんなふうにも書かれうる。これをピンチョンの書き損じ、と読むのは、端的にもったいない。急いで読むと読み流してしまうが、よくよく読むと時間が乱れていることに気付いて混乱する。そんなおかしな書き方を選んだ効果として、まずはこちらの頭が乱れるという点を挙げたい。これは案外、小さくない効果だと思うのだ。

 次回、ファローピアンの話になる。

…続き

コメント

非公開コメント

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。