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その103 ― ピンチョン Lot 49
競売ナンバー49の叫び (ちくま文庫)

前回…] [目次


 たしかに、手掛かりを探そうという自分の意志であちこちに足を運ぶことにしたつもりなのだが、予想を越える何かが出てきそうな予感にいきなり包まれてしまった――おそらくエディパはそんな気持でいる。
 She looked around, spooked at the sunlight pouring in all the windows, as if she had been trapped at the center of some intricate crystal, and said, "My God."
 "And I feel him, certain days, days of a certain temperature," said Mr. Thoth, "and barometric pressure. Did you know that? I feel him close to me."
 "Your grandfather?"
 "No, my God." (p74)

《エディパはあたりを見まわした。窓という窓から射しこんでくる陽の光におびえた。まるで自分が入りくんだ形の水晶か何かのまんなかに入っている虫のような気がしたのである。「神さま」と言ってしまった。
「そうじゃ、感じるんじゃよ、一定の日になると、一定の温度の日」とトート氏は言った――「一定の気圧の日になると、のう。あんたにゃわかるかのう? 身近に感じるんじゃよ」
「お爺さんを?」
「いや、神さまじゃよ」》p114/pp128-9

 自分が「入りくんだ形の水晶か何か」にとらえられてしまっているような思いに襲われる、という書き方から連想されるのは、『急使の悲劇』の演出家ドリブレットのことだ。エディパは楽屋で彼を見た瞬間、目を囲む「皺の網目」に絡め取られていた→その82。再掲する。
She couldn't stop watching his eyes. They were bright black, surrounded by an incredible network of lines, like a laboratory maze for studying intelligence in tears. They seemed to know what she wanted, even if she didn't. (p60)

《彼の目から視線をそらすことができない。きらきらと黒く、そのまわりは信じられないほどの皺の網目だ。まるで涙の中に入っている情報を研究するための実験室の紛糾した装置の迷路のようだ。彼女が知らなくとも、彼女が知りたいと思っていることを知っているような目であった。》p93/pp104-5

 さかのぼって考えれば、あの「皺の網目」は、丘の上から見下ろした街並み→その18や、入り組んだ地図→その26といった、エディパにとって“自分には読み取れないが、何か秘密を隠しているにちがいない”ように見える、神聖文字の1バリエーションとして映っていたのだった。
 いま彼女は、それまで外から眺めていたつもりの迷路の中に、とつぜん自分が放り込まれているのではないか、と気付く。
 そこでとっさに口を突いて出る言葉が「神さま」という、今回の最初に引用した部分になるわけだが、前々回で引いた台詞に引き続き、ここのトート氏との会話の流れもすばらしいと思う。
 陽当たりのよい養老院で、ひがなテレビを見ているらしいネジの緩んできた老人の口を通し、手で触れられず目に見えない存在を、自分のそばにたしかに「感じるんじゃよ」と語らせる。
 それはトート氏にとっては穏やかな奇跡だろうが、その彼の話を聞いて、いま、やはり自分の手の届かない正体不明の存在を感じ始めたエディパのほうは、《窓という窓から射しこんでくる陽の光におびえ》ているのである。

 このトート氏について、前回までに書き落としていた点があった。それは彼が年季の入ったアニメ好きだということで、エディパとの会話でも、自分の見ていた夢と、古いアニメがごっちゃになっていた。
 黒い羽根をつけた偽インディアン、という重要な話をしていたときも、祖父から聞いた思い出話と、むかし見たアニメがまざってしまったと言っている。それは「ポーキー・ピッグ」という豚の男の子を主人公とするシリーズ中の1本で、“真っ黒な格好をしたアナーキスト"が出てくるとまで説明されているから、注釈書でも Pynchon Wiki でも、「The Blow Out(1936)という作品だと同定されていた。探してみるとyoutubeで見つかった。もともとは白黒だったんだろうが、これである。




 さて、どうだろう。
 夜の闇に乗じ、〈小馬速達便〉の配達夫に襲いかかる、黒衣の秘密集団。そんな不吉な、そしてエディパにとっても読者にとっても、『急使の悲劇』でニコロを殺した禍々しい暗殺者と結びつけずにはいられない存在を導入するにあたり、重ねられているイメージは、これなのである。
(重ねているのはトート氏だけだ、という見方は、小説の外にあるこのアニメを作中の彼がはっきり指示して内外の結びつきを作ってしまっている以上、成り立たないと思う。それに、じつはエディパもこのアニメは見たことがあった、と書いてあるのだ)
 ここから先を読むうえで、この「The Blow Out」のことも忘れずにおきたい。

…続き
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