2004/04/09

その99 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び

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She opened her mouth to ask, but didn't. It was to be the first of many demurs. (p71)

《口を開いて、そうきこうとして、やめた。それは、これから経験することになる、数多くのためらいの最初のものであった。》p110/p124
*太字は引用者

 探求を始めたエディパは、どういうわけか、その最中に不思議な「ためらい」をおぼえて立ち止まる。しかもその「ためらい」は、「これから数多く経験する」ものだとまで書いてある。

 隠された何かがあるなら、それを知りたい。エディパは好奇心で動いている。
 だが、まるで『急使の悲劇』の〈トライステロ〉を思わせる黒衣の集団が実在したことを示している史碑や、『急使の悲劇』の台本のもとになった、17世紀の戯曲を収めているペーパーバックといった手掛かりが実際に集まってくると、なんだかいかにも都合がよすぎるようで、「だれかが私を騙しているのでは?」とあやしみ、しようとした質問を飲み込んでしまう。
 このように考えれば自然なリアクションである気もするが、それに加えてもうひとつ、ここでは、“自分が探すことによって何かがあるとわかってしまう、それがこわいから質問がためらわれる”、という気持も感じられる。

 いまの段階では予想もつかない何かをこれから発見してしまうのが漠然とおそろしい、と書いてしまえば単純なことかもしれない。
 しかしこのあたりで、「隠された何かがある → それを自分が発見する」という順序から、「自分が探すせいで、何かがあることになる」という順序への転倒がエディパの中で起きているように見えてくる。

“知りたい、だけど騙されたくはない”という警戒心と、“探したら、あることになってしまう”という恐怖心。ふたつの気持から、エディパはアクセルとブレーキを同時に踏んでしまう。
She opened her mouth to ask, but didn't. It was to be the first of many demurs. (p71)

《口を開いて、そうきこうとして、やめた。それは、これから経験することになる、数多くのためらいの最初のものであった。》p110/p124

 何より見過ごせないのは、こうやって主人公が「探しながらも、とことんまで突き詰めるのはためらってしまう」反応をするように状況をお膳立てしていくことによって、小説の側では、「見つかった物事のあいだにつながりがあるのかどうかを登場人物にきちんと確認させるという作業をすっ飛ばしたまま、あたらしい事象を次々と作中に加えていく」ことが可能になっている、という点である。
 巧みであると同時に、ずるいと思う。つまり、非常に巧みだと思う。

 そして、エディパの「ためらい」という反応がこちらの心を特別にざわつかせるのは、この部分を読み返すたびに、『急使の悲劇』でもって、終盤でやっと「トライステロ」と名指される集団のことを、まだその名前は出さないまま間接的に存在をほのめかすだけで劇を進めていく中盤で採用されていた、《新しい表現形態》のことを思い出すからだ→その71
 トライステロの名を「呼ばない」ためにドリブレットが導入した、あの演出上の工夫は《一種の儀式化された躊躇》(a kind of ritual reluctance)と説明されていたのだった→その72

『急使の悲劇』で起きたことをいまのエディパになぞらえると、この小説が不思議な見え方をする。
 劇の登場人物たちは、演出により「躊躇する」ことになっているので「トライステロ」と口にできない。そうさせているのはドリブレットだ。
 それに対してエディパのほうは、みずからの意志で質問をやめている――と言えるのかどうか。小説の主人公であるはずの彼女も、ここである程度以上の質問(探求)を「ためらう」ことになっているのではないか。演出家ならぬ、この小説によって。
 小説の中に出てくる劇の登場人物と、小説の主人公とのちがいが不意に消えて、エディパは自分で警戒したり恐怖を感じたりしつつも、役者のように動かされている。読者の目に彼女はそのような二重のあり方で映る。
 Lot 49 のこの手つきは、ほとんど魔法のように見える。こんな書き方って、ありなのか。

 エディパの“発見”はまだまだ続く。

…続き

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