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その99 ― ピンチョン Lot 49
競売ナンバー49の叫び

前回…] [目次


 探求を始めたエディパは、どういうわけか、その最中に不思議な「ためらい」をおぼえて立ち止まる。しかもその「ためらい」は、「これから数多く経験する」ものだと書いてある。

 隠された何かがあるなら、それを知りたい。エディパは好奇心で動いている。しかし、史碑(まるで『急使の悲劇』のトライステロを思わせる黒衣の集団が実在したことを示す)や、ペーパーバック(『急使の悲劇』の台本、17世紀の戯曲を収めている)といった手掛かりが実際に集まってくると、なんだか都合がよすぎるようで、「誰かが私を騙しているのでは?」とあやしみ、質問をやめてしまう。
 このように考えれば自然なリアクションである気もするが、それに加えてもうひとつ、ここでは、“自分が探すことで何かがあるとわかってしまう、それがこわいから質問がためらわれる”、という気持も感じられる。
 いまの段階では予想もつかない何かをこれから発見してしまうのが漠然とおそろしい、と書いてしまえば単純なことである。しかしこのあたりで、「隠された何かがある → 自分が発見する」という順序から、「自分が探すせいで、何かがあることになる」という順序への転倒がエディパの中で起きているようだ。

“知りたい、だけど騙されたくはない”という警戒心と、“探したら、あることになってしまう”という恐怖心。ふたつの気持から、エディパはアクセルとブレーキを同時に踏んでしまう。
She opened her mouth to ask, but didn't. It was to be the first of many demurs. (p71)

《口を開いて、そうきこうとして、やめた。それは、これから経験することになる、数多くのためらいの最初のものであった。》p110/p124

 そして何より見過ごせないのは、こうやって主人公が「探しながらも、とことん突き詰めるのはためらってしまう」反応をするよう持っていくことによって、小説の側では、「見つかった物事のあいだにつながりがあるのかどうかを登場人物にきちんと確認させるという作業をすっ飛ばしたまま、あたらしい事象を次々と作中に加えていく」ことが可能になっている、という点である。
 それがこちらの心を特別にざわつかせるのは、この部分を読み返すたびに、『急使の悲劇』の中盤以降、のちに「トライステロ」の名前を与えられる集団が劇の中で間接的に存在をほのめかされるようになったあたりで持ち込まれる、《新しい表現形態》のことを思い出すからだ→その71

 トライステロの名を「呼ばない」ためにドリブレットが導入した、あの演出上の工夫は《一種の儀式化された躊躇》(a kind of ritual reluctance)と説明されていた→その72
 劇の登場人物たちは、演出により「躊躇する」ことになっているので「トライステロ」と口にできない。それになぞらえていえば、小説の主人公エディパは、ある程度以上の質問(探求)を「ためらう」ことになっている。小説の中に出てくる芝居の登場人物と、小説の主人公との、あって当たり前だと思っていたちがいが見えなくなる。
 Lot 49 のこの手つきは、ほとんど魔法のように見える。こんな書き方って、ありなのか。

 エディパの“発見”はまだまだ続く。

…続き
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