趣味は引用
その91 ― ピンチョン Lot 49
競売ナンバー49の叫び (ちくま文庫)

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 スタンリー・コーテックスは、〈ネファスティス・マシン〉の設計図を取り出して、その原理と働きをエディパに説明する。マシンの実物はこの場にはない。
From a drawer he produced a Xeroxed wad of papers, showing a box with a sketch of a bearded Victorian on its outside, and coming out of the top two pistons attached to a crankshaft and flywheel. (p68)

《引出しからゼロックスで複写した書類の束を出したが、図面には、外側に、顎ひげを生やしたヴィクトリア朝の人物のスケッチのついた箱があり、箱の上部には二つのピストンがクランク軸とはずみ車につながっている。》p105/p118

 説明のほとんどは、エディパとコーテックスの会話を通してではなく、それをまとめた地の文によってなされている。しかし地の文といっても、エディパの理解に寄りそった文章になっているので、マシンの仕組みについて、曖昧なとらえ方、間違った理解が含まれかねないという点には注意が必要になるはずである。
 逆にいえば、エディパの誤解と、それをそのまま受け取ってしまう読者への誤解の伝播をおそれないという意味で、ピンチョンはずいぶん勇気のいる書き方をしていると思う。
 そのような面もあり、小説に描かれた装置の説明をあらためて説明していくのはややこしく、本当は『急使の悲劇』の内容をまとめる(「その61」から21回かかった)のと同じくらい難しい。とはいえ、自分に読めるように読んだ内容をメモするのがこの読書ノートであるから、読めるように読んでメモするだけである。以上は不要な前置きだった。

 それでネファスティス・マシンだが、上の引用にもあるように、基本的には箱の形状をしている。
 箱の中では、たくさんの分子がそれぞれでたらめなスピードででたらめな方向に飛び交っている。こう書くと何か特別な感じがするが、これは箱の外、ふつうの空間とまったく同じ状態である。
 ただし、この箱の内部には、〈マックスウェルの悪魔〉と呼ばれる極小の知的生命体が鎮座ましましている。悪魔は、なにしろ悪魔であるから、自分の周囲を飛び交っている分子を、スピードの「速い分子」と「遅い分子」に選り分ける(sort out)ことができる。
 それがこの悪魔の唯一の能力で、ほかに悪魔らしいことは何もできないのだが、分子の速い/遅いは、エネルギーの多い/少ないの言い換えであるから、悪魔が選り分けを続けていくうちに、速い分子だけが集まった区域(=温度が高い)と、遅い分子だけが集まった区域(=温度が低い)ができることになる。つまり、装置の内部に温度差が生まれる。
 そして温度差さえあれば、それを利用して熱機関を動かすことができる(=箱から突き出たピストンを上下動させることができる)わけである。

 このとき悪魔は、(1)箱の内部にいて、(2)分子を選り分けている。ここが大事なところで、これだけだと、熱力学的には何の仕事もしていないことになるらしい。外部からエネルギーを持ってきているわけでもないのに、ピストンは動き続ける。だからこれは永久機関だ

  ○  ○  ○

 この装置のキモである〈マックスウェルの悪魔〉を考案したのは、実在の科学者、ジェイムズ・クラーク・マックスウェルである。悪魔がどのようにして分子を“選り分ける”のかは、ふつうこのように解説される:

 箱の内部には、真ん中にしきりの壁があって、空間をふたつの部屋に分けている。しきりには、分子だけが通り抜けられる小さな穴と、それを開閉する扉が付いている。
 悪魔はこの扉のそばにぴったり貼りついており、速い分子が左の部屋から右の部屋に入ろうとすると扉を開ける(右から左に入りそうな場合は閉める)。逆に、遅い分子が右の部屋から左の部屋へ入りそうなときも扉を開ける(左から右へ入ろうとする場合は閉める)。
 この開閉を続けていくうちに、右の部屋は速い分子だけが集まって温度が上がり、左の部屋には遅い分子だけが集まって温度が下がる。めでたく温度差が生まれ、エネルギーが取り出される(熱機関が運動する)。

  ○  ○  ○

 当然のことながら、マックスウェルにとって悪魔は仮想上の存在だった。しかし、その悪魔が本当に入っているのが〈ネファスティス・マシン〉で、装置の外側には、このマックスウェルの顔写真が貼ってあるという。繰り返すが、いまエディパが目にしているのは設計図だけで、実物はここにはない。

 まだこれだけでは説明は終わらない。装置を動かすには、もうひとつ必要なものがあるという。

…続き
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