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その88 ― ピンチョン Lot 49
競売ナンバー49の叫び (ちくま文庫)

前回…] [目次

She left, and was all the way outside before thinking, I went in there to ask about bones and instead we talked about Trystero thing. (p63)

《その場を去り、ずっと外へ出てしまってから、私は骨のことをききに行ったのに、その代わりにトライステロのことを話していたと思った。》p97/p109

 いやいや、実際のところエディパは、骨の話もしていなければ、トライステロのことも何ひとつ聞き出せなかった。
「骨のこと」とは、『急使の悲劇』中の骨のエピソード(ファッジオの兵士が湖に沈められ、その骨が炭として使われる)と、ピアス・インヴェラリティ絡みの骨のエピソード(イタリアの湖から引き揚げられたアメリカ兵の骨が炭として利用される)が似通っているのには何かつながりがあるのか、という問題だった→その76~

 あれはどの程度まで偶然だったのか(how accidental it had been)と、エディパは考えている。こんな類似がまったくの偶然だとは思えないでいるのだ。これはエディパの考えすぎではなく、当然の疑いだと思う。
 メツガーは、喧嘩していたにもかかわらず→その81、エディパを待っていてくれた。ここでこの第3章は終わるのだが、最後の最後で、この小説は何かの念を押す。
Metzger had been listening to the car radio. She got in and rode with him for two miles before realizing that the whimsies of nighttime reception were bringing them KCUF down from Kinneret, and that the disk jockey talking was her husband, Mucho. (p63)

《メツガーはカー・ラジオをきいていた。エディパは車に乗り込み、彼といっしょに二マイルほど走ったところで、夜間の受信状態の気まぐれからキナレットのKCUF放送が入っていて、いましゃべっているディスク・ジョッキーは夫のムーチョだと気づいた。》p98/p110

 これもまた、どの程度まで偶然なのか、エディパといっしょに読者も考え込まざるをえない出来事である。
 まったくの偶然にはとても思えない。であれば、つまり偶然ではないつながりがあるならば、そのつながりを仕組んだものがいるはずで、その存在に発する何らかの意図が働いていることになる。それは何か。
 骨の話にしろ、ラジオのムーチョにしろ、偶然ではない、と決めてしまえば推論は確実にここまで進展していくはずだが、当のエディパがどこまで意識しているのか、それを明らかにしないうちに章の区切りが来てしまう。

 次回から(やっと)第4章。

…続き
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