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2004/04/05

その85 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び (ちくま文庫)

前回…] [目次


・「トライステロ」を知っている者が、秘密を隠す微笑をする
・「トライステロ」の刺客の姿を、実際に舞台上に出す

 どうしてこのような演出を加えたのか、というエディパの(そして読者の)問いに、ドリブレットは答えない。
 演出からして、この人は「トライステロ」なるものについて何かを知っているにちがいない。それを教えてもらえれば、自分が巻き込まれている探求の大きなヒントになるはずだ。何の根拠もないままそんな直観を抱くエディパに、ドリブレットは言う。
 きみたちは言葉(words)に取り憑かれているんだ、あの芝居が存在するのは、台本のコピーの中でも、もとのペーパーバックの中でもなく、ぼくの中なんだ――
"That's what I'm for. To give the spirit fresh. The words, who cares? They're rote noises to hold line bashes with, to get past the bone barriers around an actor's memory, right? But the the reality is in this head. Mine. I'm the projector at the planetarium, all the closed little universe visible in the circle of that stage is comingout of my mouth, eyes, sometimes other orifices also." (p62)

《「だからぼくの存在の意味があるんだ。精神に肉体を与えること。言葉なんてどうでもいい。言葉ってのは俳優の記憶を取り囲んでいる骨の障壁を突破するための、ゴール・ラインの小ぜりあいを押さえておくための、機械的な音だろ? だけど、現実はこの頭の中にあるんだ。このぼくの頭の中。ぼくはプラネタリウムの映写機だ。あの舞台の円形の中に見える閉ざされた小宇宙はぜんぶ、ぼくの口から、目から、ときにはそのほかの穴からも、出てきたものさ」》p96/pp107-8

「言葉なんてどうでもいい」と断言するドリブレットの言葉から、それでも考えていくと、彼が言っているのはこのようなことになるかと思われる。

 ドリブレットが芝居で表現したいのは、台詞(言葉)のひとつひとつではない。それは手段でしかない。
 頭の中に何かがある。その何かを外に出すためには、言葉で書かれた戯曲が必要になる。
 ただしそれは、何かを言葉(役者の台詞)で表現する、ということではない。何かは言葉に翻訳できないものである。
 おそらく、言葉というのは道路のようなもので、便宜的にそれを利用することで、頭の中にあるものを外に運び出せる(表現できる)。重要なのは道路を使って外に出される何かであって、道路ではない。
 言葉=道路、というたとえを使うと、何かはトラックの荷台に載せられて舞台上に運ばれてくるかのようなイメージになるが、ドリブレット自身の比喩に従えば、何かは「ぼく」の台本を介して、つまり役者の体と言葉を映写機として、プラネタリウムのように舞台上へ投影される。ドリブレットはそう考えている。
 プラネタリウムで見るべきなのは、投影された星座であり小宇宙である。映写機をつつきまわしても仕方がないのと同じように、芝居を見て言葉ばかりを云々するのには意味がない。
 どれだけ細かく言葉をたどっても、何かは見つからない、ということだ。

 では、星座として、小宇宙として投射される何かとはなんのことか。
 ここまで、頭の中にある何か、という言い方をしてきたが、もう一度ドリブレットの台詞を(言葉を!)見れば、彼はあっさり、頭の中に現実があると言っている。
the the reality is in this head. Mine. I'm the projector at the planetarium
《「現実はこの頭の中にあるんだ。このぼくの頭の中。ぼくはプラネタリウムの映写機だ」》

 だから、上の説明の何かはすべて、ドリブレットにとっての現実、と置き換えて読むことができるはずである。

 そうやって読み直してみると、これはひどくおそろしい考えだ。
 ぼくの言葉をどれだけ細かく調べても、どれだけ精密に台本を読み解いても、ぼくが見ている現実はつかめない。だからそんな意味のないことはやめたほうがいいよ、と、彼はそう言っている。
 おそろしい考え、とさっき書いた。そのおそろしさは2種類ある。

…続き


*上記引用中、ここがどういう意味なのか自信がない。

They're rote noises to hold line bashes with, to get past the bone barriers around an actor's memory, right?
《言葉ってのは俳優の記憶を取り囲んでいる骨の障壁を突破するための、ゴール・ラインの小ぜりあいを押さえておくための、機械的な音だろ?》

 人間の頭の中にある(頭蓋骨に囲まれている)記憶は、ふつう、外には出てこない。でも俳優は、自分のものではない言葉(劇の台詞)を喋ることで、じつは自分の記憶を外に表現できる、というようなことだろうか。大事なのは頭の中にあるもの(この場合は「記憶」)のほうで、それを引き出すために使われる台詞ではない、と。

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