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モンダウゲンと巻きひげの話
V.〈上〉 (Thomas Pynchon Complete Collection)  V.〈下〉 (Thomas Pynchon Complete Collection)

小山太一+佐藤良明訳(新潮社、2011)

以下の文章には、『V.』を読むうえで有用な知識はなんにも含まれておりません


 新潮社から新訳が出たトマス・ピンチョンの『V.』(1963)のうち、上巻と下巻にまたがる第九章「モンダウゲンの物語」は、1922年におけるドイツの南西アフリカ保護領を舞台にしています。
 
 大学を出たばかりの技術者クルト・モンダウゲンは、空電の調査を命じられはるばるこの地までやって来たものの、5月のある日、原住民のボンデルスヴァールツ族が反乱を起こしたと知らされる。
 あわてたモンダウゲンが避難した先は、フォプルという農園主の屋敷。そこは外界から切り離された、ヨーロッパ各国の白人たちの集う社交場になっており、彼らは酒池肉林の“籠城パーティー”を始めていた。
 パーティーの続くあいだ、屋敷ではあやしげな男女が次々に登場してそれぞれの思い込みをモンダウゲンの耳へ一方的に注ぎ込み、やがて壊血病にうなされる彼のあたまには、これに先立つ1904年の原住民大虐殺の記憶が(他人の記憶なのに!)フラッシュバックする――
 
 喧噪を遠くに聞きながら、薄暗く淫猥で残酷な内容に満ちているこの章は、語られ方もまた複雑で、パーティーの様子はこのあと30年以上も過ぎた1956年にモンダウゲンの口から別の人物に伝えられ、その人物がさらに別の人物に語り直す、という枠組みが用意されています。
 だからこの物語には、もとの体験談から相当に変形が加えられている、と、話の始まる前にも話の途中でも読者への注意が促されており、そういった設定を素直に受け取るならたいへんややこしいことになっていくはずですが、いま、ここで取り上げたいのは本当にごくごく小さな一部分でしかないので、じつは以上の説明にはたいして意味がありませんでした。
 
 さて、モンダウゲンがフォプルの屋敷に到着した翌朝、屋根にのぼって作業をしてから、ふと視線を下に移す場面があります。まずは、国書刊行会から出ていた旧訳(1979)を引きます。
(うちの国書版は、奥付によると「1979年初版」→「1989年新装版」となっていますが、新装版にする際に訳に手を入れたとは明記されていないので「1979」ということにしました)
国:《モンダウゲンのいる所からは下の中庭風な場所ものぞくことができた。はるかな砂漠の激しい砂嵐をくぐって来た日光は、開いている張出し窓に当ってはね返り、まるで強化されたような強烈なまぶしさで下の中庭に射し込み、真紅に染まった地面ないしは水たまりを照らし出した。そこからは二筋の巻きひげが近くの戸にまで延びていた。モンダウゲンは戦慄を覚えて凝視した。》上p319

 モンダウゲンは、《真紅に染まった地面ないしは水たまり》と《二筋の巻きひげ》を見て脅えますが、それが何だったのか、この部分だけではまだわかるようになっていません。ただし、それは翻訳のせいでは絶対にない。原文はこうです(手許にあるのはこの版
 Back here Mondaugen could also see down into a kind of inner courtyard. Sunlight, filtered through a great sandstorm far away in the desert, bounced off an open bay window and down, too bright, as if amplified, into the courtyard to illuminate a patch or pool of deep red. Twin tendrils of it extended to a nearby doorway. Mondaugen shivered and stared. (p249)

 下線と太字にした部分を訳文と照らし合わせれば、言葉がきちんと対応しており、非常に正確な訳になっているのが見えると思います。ズレのない直訳。《二筋の巻きひげ》も、Twin tendrils で間違いない。
 
 だから、さっきの部分を読んで、《真紅に染まった地面ないしは水たまり》と《二筋の巻きひげ》に対し「?」と疑問をおぼえるとしたら、それはもともと、作者が明示していないせいであり、つまり、ここではまだわからなくてよいのだ、と言っていいはずです。
 そして実際、1ページあとで、この中庭から人間の発する苦痛の叫びが聞こえてきて、モンダウゲンはさきほど目にした真紅のものが何だったかを察している様子です。そこを読んで私も「そういうことか」と一応の納得はできました。
 しかし正直に告白すれば、それでも私は、「巻きひげ」のほうはわかりませんでした。それは読解力の不足、と言われても仕方ありません。なぜ仕方ないのかは後述しますが、いずれにせよ、国書版の訳は正確だったというのがポイントです。
 
 ところがいまの部分、今回の新潮社版ではこのようになっているのです。
新:《近くに目を転じて屋根の上のモンダウゲンが見下ろすと、中庭のようなものがあった。はるか遠くの砂漠を舞う巨大な砂嵐を通して差し込む太陽は、開いた出窓のガラスに当たって下向きに撥ね返り、あたかも反射によって光量を増したごとく、中庭にぎらりと射し込む。そこでは、濃い赤色の平面が光を受けて輝いていた。ひょっとすると、赤い液体の溜まりだろうか。細い流れがそこから二本延びて、近くのドア口に達している。モンダウゲンは思わず震え上がって、じっと見つめた。》上p352

 この、無茶苦茶にクリアで、一本の明快なスジが通っているのを感じられる訳文には、たまげました。ここには、国書版から浮かんだ疑問のはさまる隙はなく、書いてあることが即座にわかります。読んだままわかります。すごい。私は興奮しています。
 もう一度、後半だけ切り取ってみましょう。
国:《(日光が)強烈なまぶしさで下の中庭に射し込み、真紅に染まった地面ないしは水たまりを照らし出した。そこからは二筋の巻きひげが近くの戸にまで延びていた。》

新:《(日光が)中庭にぎらりと射し込む。そこでは、濃い赤色の平面が光を受けて輝いていた。ひょっとすると、赤い液体の溜まりだろうか。細い流れがそこから二本延びて、近くのドア口に達している。》

 こう見比べると、新潮版は、逐語的だった国書版とはかなりちがって見えます。どうしてこうなったのか、こちらも原文と並べずにはいられません。
(日光が) too bright, as if amplified, into the courtyard to illuminate a patch or pool of deep red. Twin tendrils of it extended to a nearby doorway.

新:《(日光が)中庭にぎらりと射し込む。そこでは、濃い赤色の平面が光を受けて輝いていた。ひょっとすると、赤い液体の溜まりだろうか細い流れがそこから二本延びて、近くのドア口に達している。》

"a patch or pool of deep red"と、そこだけ見ればまったくふつうに並列されている patch と pool を、国書版はそのまま引き移していました(正確に見えました)。
 同じ原文を新潮版は、ただ pool の一語にアクセントを置いて読み取ることで、日本語の組み立てを変更し、一文増やしています。《ひょっとすると、赤い液体の溜まりだろうか》。
 tendrils も「巻きひげ」で済ませず「巻きひげ状のもの」と捉え、さらに“それが何なのか”にまで踏み込んで、訳を起こしている。ここまでするのか。あらためて、たまげました。
 一瞬、「訳しすぎ」とか「解釈を入れすぎ」に見えて、しかし読み返せば読み返すほど、原文にたしかに踏みとどまっている。それでいて、格段にわかりやすくなっている。やっぱり、すごい。
 何度でも繰り返しますが、国書版は「正確」だと思います。でも、あちらが「正確」なら、こちらの新潮版は何と言えばいいのか。あたまをひねっても、「もっと正確」以外の言葉が出てきません。子供か。

 第一章、「木偶のヨーヨー、ベニー・プロフェインが遠手点に到達するの巻」から、内容に笑うのはもちろん、読みやすさにも笑いが出るほど読みやすいなあと思いつつ、ページをめくってきて、上巻の終わり近くでこの部分にいたり、おどろいて旧訳と原書をめくってわかったことをここまで書いてきましたが、あるいは私は、おそろしく些細な点にひとりで大騒ぎしているのかもしれません。きっとそうでしょう。それはわかっています。
 しかしここが決定打になって、今回の新訳が、計756ページある全篇を、すべてこのようなレベルでバージョンアップしたのだということがはっきり意識にのぼり、それこそ、おそろしい気持になりました。そんなことのできる人がいるんだと。
 もちろん、今回の訳者のお二人は、国書版を下敷きにしてそのバージョンアップを図ったわけではなく(そのような作業だったらここまで変わらない)、うんうん唸ってあたらしい訳をイチから練り上げていったにちがいありません。だから、バージョンがうんぬんというのは、従来の旧訳を通過してから新訳を読む側、つまり私の受けた印象にすぎない。
 けれども、たまに原書をチラ見してあちこちつまみ食いすることはあっても、結局のところは翻訳に頼ってピンチョンの声に触れている読者(私のことです)は、翻訳を通して触れているからこそ、この“バージョンアップ”には何度でもおどろくし、「やあ、おどろいたなあ」と書いてもいいのじゃないかという気がしています。

 これまで私が読んできた、白い表紙がだいぶ汚れてしまった国書版『V.』上巻では、くだんの319ページだと、「巻きひげ」の一語にだけ鉛筆で丸がつけてありました。わからなかったのです。原書でも、"Twin tendrils of it"の下に「(まきひげ?)」と書き込みがしてありました。
 おまえ、『V.』を読むんだったら、謎はほかにいくらでもあるだろう、もっとこう、全体の構成とか、詰め込まれた材料とか、『V.』の航時性についてとかさあ、というのは、めまいがするほど正論ですが、私にとってはこの「巻きひげ」も謎のひとつであり、長らく心に絡まったままでいた蔓の一本でした。
 見てきたように、新訳の「モンダウゲンの物語」には、もう「巻きひげ」の語はありません。国書版の『V.』は、上巻だけまだ絶版になっていないようですが、もはや新潮版のほうが安い値段で出てしまいました。今後は、こちらが『V.』になります。
 それによってピンチョン読者は今後どんどん増えていくでしょうが(そうなるに決まっていますが)、これからはもう、「巻きひげ」に惑わされる人間はいなくなる。生まれようがない。
 だから、というのが理由になるのかわかりませんが、かつてはそんな不器用な読者がいたという記録として、ここに書きとめた次第です。
 あえて原書からチャレンジし、"Twin tendrils of it"に「(まきひげ?)」と書き込むかたがもしいらしたら、私はその人に気持よく金を貸したり、ビールをおごったりしたいと思います。

 最後に、ここまで問題にしてきた、第九章の始まり近く、フォプル屋敷の屋根から見下ろした光景を、あとになってモンダウゲン自身が思い出す場面を引用しておきます。それはこの章がほとんど終わるあたりなので、中庭についての言葉が、“籠城パーティー”を前後から対称的に挟む格好になっているわけです。
 私が読んだ通りに、つまり国書版→原書→新潮版の順で書き写しますが、はたして新訳を手に取る前の自分は、ここまで読めばさかのぼってあの「巻きひげ」が何だったかわかる、と気付いていたのかどうか。それがどうにも思い出せません。
 しかし、そんな杜撰な読者(私のことです!)だってけっこう楽しくピンチョンを読んでいるし、ピンチョン作品のほうでもこちらに入口を開いていると感じる瞬間がしょっちゅうあるよ、ということも付け足しておきたくなりました。
 ピンチョン、面白いですよ。おすすめです。

国:《地平線の上に、南ア連邦の方角から、複葉飛行機が二機、群から離れた鳥のように、低空をのろのろと飛来した。「あれが爆弾を落したのだ」と、フォプルは一座の者に言った。彼は今や興奮のあまり、屋根にぶどう酒をこぼした。モンダウゲンはそれが二筋の流れになって軒まで流れて行くのを見守っていた。すると何故か、フォプルの館で迎えた最初の朝のこと、そして中庭の二筋の血(いつから彼はあれを血だと言うようになったのであろうか)を思い出した。鳶が一羽、屋根の低いところに舞い下りて、ぶどう酒をつつき始めたが、やがて飛び去った。いつから彼はあれを血だと言うようになったのであろうか。》上p373

 Over the horizon from the direction of the Union came two biplanes, flying low and lazy, like birds wandered away from a flock. "That's where the bombs came from," announced Foppl to his company. So excited now that he slopped wine on the roof. Mondaugen watched it flow in twin streams all the way to the eaves. It reminded him somehow of his first morning at Foppl's, and the two streaks of blood (when had he begun to call it blood?) in the courtyard. A kite lit lower down on the roof and began to peck at the wine. Soon it took wing again. When had he begun to call it blood? (p293)

新:《南ア連邦側の地平線から複葉機が二機、群をはぐれた鳥のようにのんびりと低空を飛んできた。「あれだな、爆弾を落としたのは」フォプルが一同に教えた。がぶ飲みしたワインが、興奮のあまり口からこぼれて屋根に落ちた。モンダウゲンが見ていると、ワインは二本の流れとなって庇まで這っていった。フォプル屋敷で初めて迎えた朝に中庭で見た二筋の血(自分はいつから、あれを血と思うようになったのだろう?)が思い出された。トンビが屋根の下のほうに留まり、くちばしでワインをつつき始めた。しばらくすると飛び立っていった。いつから自分は、あれを血と思うようになったのだろう?》p下41



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コメント
この記事へのコメント
こんばんは。古本万歩計と申します。しばらく前に、ピンチョン経由でこちらのブログにたどり着きました。ピンチョンを原書でも読んでいらっしゃるということで、毎回たのしく読ませていただいております。

私は完全にピンチョン全集からは置いてけぼりの状態ですが、今回の『V.』の新訳は少し気になっています。私も15年ほど前に原書を読んだことがあり、もはやその内容はほとんど憶えていないものの、読んでいたときにたしかに感じた熱っぽさと読み通したときの充実感はよく憶えています。このたびのエントリーを拝読し、あのときの興奮を今度は日本語でもう一度味わってみたくなりました。

ちなみに、私が読んだ版はPicadorのものでした。今、それを棚から出してきて確認しましたところ、残念ながら「巻きひげ」の箇所には印がついていませんでした。一方、繰り返し使われる "inanimate" という単語を丸印で囲んでいたことを思いだしたりして、とても懐かしくなりました。

長々と失礼致しました。また寄らせていただきます。
2011/04/13(水) 00:22:43 | URL | 古本万歩計 #-[ 編集]
こんにちは
丁寧なコメントをありがとうございます。
『V.』を原書で読まれたとのこと、ひたすら尊敬いたします。
私は原書は「辞書と首っ引き」どころか「訳書と首っ引き」になって
眺めた程度なので、今回の新訳・全集は本当にうれしいです。

> 読んでいたときにたしかに感じた熱っぽさと
> 読み通したときの充実感はよく憶えています。

私ももっと身を入れて本を読もうという気持になりました。
新訳『V.』、機会がありましたら、ぜひ書店でお手に取ってみてください。
2011/04/13(水) 23:24:48 | URL | doodling #OtUrN.LY[ 編集]
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