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その15 /10月23日(土)  下巻P673-795
逆光〈下〉 (トマス・ピンチョン全小説)

前回…] [目次

《それに触るたびに――軽く触っただけでも――声のようなものが聞こえるようになった。
「ここで何をやっているんだ?」とそれは言っているようだった。
「そんなことを聞くために家を離れてこんな遠いところまで来たのかい」》下pp675-6

《一人一人が空を飛ぶために必要な装置を黒い子ヤギ革とニッケル板で体に装着し、おでこには制御盤を見るための小さな電灯を着けた真面目な顔の少女たちは、再集結し、近づいてきた夜に向かって羽ばたいていった。》下p745

■ 下巻のp795まで読んで、第四部「逆光」が終わった。
 後半になるともう、「おいおいおい・・・!」と突っ込みたくなる展開が雪崩を打つ。興奮というより、笑って、それから感無量。
 残る最後の第五部は40ページ足らず。ここまで来ました。

■ 小説が進むにつれ増えたのは、「お、こいつ新キャラだ」とメモ→あとになって、他のことを確認するのにノートをパラパラ→さっきの人名を、ずっと前の別の場面でメモしてたのに目がとまる、というパターン。
 目がとまってもいいのにとまらなかった例も、きっと多くあったにちがいない。

■ これほど分量があり、複数の話が並行して、無数の人物が登場するんだから、「あの人間がここにも出てきた」的再登場は、気付けばうれしいけど気付かなくてもOK(、なので説明してもネタバレにあらず)と私は考えてきたんだけど、修正した方がいいかもしれない。面白いんだもの。

■ 最たる例。上巻p492で別れた二人が、千ページ以上を経過した下巻p683で、間接的・かつ一方的な“再会”を果たす(たぶん果たしてる)場面の奇妙な感激は、小説、それもこういう変な小説でしか味わえない感激だと思った。ひとことで言えば「なんかすげえ・・・」なんだけど。

■ そこから広げて、たとえば、空電の音(下p622)から『V.』を、切手談義(下p668)から『競売』を、下p738の「窓の外」から『重力の虹』を思い出すのにも、少しは意味がある気がする。でもこれは、「だから過去作読んどくべき」ではないので誤解なきよう。読者サービス?

■ 今作、「!」と思ったらあっちこっち読み返し、人物はなるべく見知っておくべきなのかなー(って、ものすごく普通のことだな)。
 自分的には下p679あたりから、何だろう、ある程度片付いたトランプの神経衰弱で、パパパパッとペアができていくかのような展開になるのがカタルシス。

■ ・・・そのカタルシスは、見方によってはもっと前から始まっていたとも言える。で、与太話につぐ与太話、たまにメロドラマ、演説、再び与太話、みたいな長篇を、第四部ラストでまたも与太話(ひみつ道具)で包み込もうとする姿勢と、包み切れなさが、「『逆光』らしさ」なのかも。

■ 何言ってるかさっぱりでしょう。私もです・・・って、まだ読み終えていないんだった。これからどうなるか、わからないんだけど知っている/知っているんだけどわからない。ああ、緊張してきたぞ・・・!
《カメラのためにほほ笑んでいるばかりでなく、声に出して何かを笑っていた――彼女が何に笑っていたのか、彼は思い出そうとしたが、思い出せなかった。ひょっとすると彼が彼女めがけて投げた雪玉が、目に見えない空中にとどまっていたのかもしれない。》下p794

…続き
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