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2010/10/10

その7 /10月10日(日)  上巻P736-862

逆光〈上〉 (トマス・ピンチョン全小説)

前回…] [目次

■ やっと上巻を読み終えた。862ページあった。原書は1巻本だから→これ。ちょう格好いい)、上下巻の区切りは「真ん中あたり」で事務的に切ったんだろうに、もろもろの期待を煽りに煽ったところで「下巻に続く」。お見事。
《しかし、それが意味するところは……興味をそそるその可能性がすぐ手の届きそうな場所にあるということなのではないのか……。》上p771

《まるでジブラルタル海峡が二つの世界の間の形而上学的な分岐点になったみたいに。》上p808

《最近は、厳密な意味での現実ってものが存在しなくてね。》上p829

地球の曲面のすぐ向こうにある夜から姿を現そうとしているのは何なのか?上p854

■ 大西洋の西と東でいろんな集団がいろんな思惑によりうごめいているらしい話がいちばん派手で(待ち合わせ場所はゲッティンゲン?)、でも、それより「上」で展開する〈不都号〉話が一足先に鍵になるっぽいのかな。
 いっぽう、鉱山の話はちょっと地味。いずれつながるんでしょうが。

■ 派手な話はまず登場人物が派手。国際的な悪事をもくろむケンブリッジ大教授とか、実数と虚数を経めぐる四元数の原理を自分の体で実演するヨガ数学者とか。驚異のはったり・与太話をどんどん重ねていく。
「やりすぎる」という書法。

■ 対して鉱山話は、父娘の確執とか血の復讐とか男女の力関係が逆転する瞬間だとかを凝縮リアリズムでじわじわ語っていく感じなんだが、忘れちゃいけないと思われるのは、こちらだって(派手話と同じで)やりすぎ書法でできている、ということ。本当だろうか。

■ とはいえ、より期待しちゃうのは派手な話の派手な展開で、注目される「別の世界」は、どうも期待以上に小説世界を撹乱する模様。
 ついていけるか不安だけど、しかし、「衣擦れの音を無化する消音フロックコート」なんかが出てくる話に不安を覚えるのは、根本的に間違ってる気もする。

■ 上巻の終わりが見え、読むのが加速してきたところで出てくるマヨネーズ講義には笑った。卵黄には意識があり、
《「マヨネーズには間違いなくサディスト的な側面がある。見逃しようがないわ」》上p845

 マスタードはまた別の話である。階級闘争談義もこれと同じ筆致として読みたい。
 そのごマヨネーズ工場がフューチャーされるあたりは、はっきり悪ノリだった。『逆光』は、V-2ロケットの工場ではなくマヨネーズ工場に忍び込む話だと言っておきたい。

■ 関係ないが、甥を男娼宿に案内した叔父の台詞が、「アヒルを水場に連れて行くような自然な感じだったよ(上p769)

■ 最後。
《直線的なメロディーは音の高低と時間の記録だから、メロディーを演奏するってことは時間という要素、ひいては死すべき運命という問題を音楽に導入することになる。それに対して、僕らウクレレ演奏者は弾いた和音の無時間性を手放すことを嫌がっている》上p855

 下巻に続く!

…続き

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