--/--/--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2010/07/04

読めるだけ読むM&D その13

前回…] [目次
10年待った

 私の読書が遅々として進まないあいだにも、1日ごとに夜明けは早くなり、フィルターの掃除されたクーラーが熱気を外界に排出すると、通っている整体では施術中に蚊に刺されて無言でムヒを手渡され、すなわち、万事滞りなく月日はめぐって、今年はじめの告知から延びることなく、邦訳『メイスン&ディクスン』が刊行された。
 みなさんはもう買われただろうか。私も6月29日(火)に買いました。ピンチョンの新刊ハードカバーが、上下巻並んで平積み台の一角を占めている様は壮観でした。そして帰り道で雨に降られて少し泣いた。

 それでこのMason & Dixon 読書日記をどうするか。
 翻訳が出るまでに読み終えておく、なんてのははじめから目標になく、読めるところまで読んであとは翻訳に切り替えようという、たしかそんなつもりだった→「その1」
 でもそうなると、前回までのような、合ってるんだか合ってないんだかわからない(というか確実に合ってない)要約のリレーを続ける意味はない。
 日本語なら即“読める”というものではもちろんないにせよ、内容把握のうえで段違いにクリアである翻訳を使ってあらすじの要約をするのは、ミネラルウォーターで洗濯する、みたいなもったいなさがある。かつ、翻訳で読みはじめたら、もう二度と原書のページは開かないか、開いても、すでに日本語で読んだ部分の原文がどうなってるかを眺めだけで、“読めない英語にうんうんうなりながら文意を推測する苦労”はできなくなるだろう。
 それはそれで、惜しい気がした。
 なので自分でも「よせばいいのに」と思いながら、私はもうしばらく、原書とにらめっこしてみよう。ああ、よせばいいのに!

 ネット上では翻訳で読んでる人の感想が続々と出てくるだろうし(「買った」「読みはじめた」の報告はいくつも見た)、私が「?」でまるまる飛ばした部分の面白さに盛り上がったり、あれやこれやの話題が沸騰すると思われる。
 ささやかながらピンチョンが好きなのにそういうのに加われないのはちょっとさびしいが、そんなことよりなによりおそれるべきは、読んでいる途中の感想がつぶやかれ、私を追い越し、先の展開を教えてくれることだ。
 だから当分、ツイッターのTLは薄目で追って、巡回ブログも“ピンチョン”の文字を見たら「わー」とかいって引き返すことにしよう。それで本に割く時間が増えればいいのだが、たんにフラストレーションがたまっていくだけなんじゃなかろうかという気もすでにする。
 ひとまず、邦訳の上下巻は本屋の袋に再度しまいこんだ。原書に挫折するまで、この袋はもう開けない。「ながーいよ」とうめきながら続けるのか、それとも夏のあいだに挫折して、このブログ自体がうやむやになっていくのか、私は後者だと思うんだけど、ともあれ、“読めるだけ読む”のである。
(続く)

 いやちがう、(続く)じゃなくて読書日記だった。

■ 第23章(pp228-37)

 まだディクスンの地元の話。アメリカへ行くことについてイエズス会士と議論になったりするんだが、「中国では、風水のせいで360°の真円がない」とかひどい話があった。「365.25°になっちゃう」「そりゃ1年の日数だろ」
 こういうのをどんな顔で読めばいいのかといえば、ケラケラ笑っていればいいと思うんだけど、こういう与太話はぽんぽん飛び出し、イギリスの地下にめぐらされた通路の話とかしているうちに酒場のオーヴンからはイギリス初のピザが取り出され(ディクスンはケチャップを提供、第8章を参照)、あげく狼男が月に吠える。
 これまでもずいぶん出てきたし、これからもどんどん出てくるのだろうこのような小ネタの数かずについて、「これは伏線としてあとで活きるんだろうか?」などと悩むのはたぶんまちがいだと思われる。小説の進行に連れて、車窓を流れ去っていく風景みたいに、その都度その都度、楽しんでいればよいのじゃないか。私の場合はそんなふうにしかできない、ということなのだけれども。


■ 第24章(pp238-45)

 ディクスンの青年時代が、父母の出会いから語られる。製図工として働きつつ、心の中に架空の世界地図を作っていたのはよい話だが、またも時間は現在に戻り、酒場の飲み仲間に誘われて川の石炭船に乗ってみたら、霧の中から現れた(明らかに偽物の)インディアンに襲われかけたりする。
「これはアメリカについての何かメッセージなんだろうか?」と疑心は暗鬼を生むものの、翌日、ついにディクスンとメイスンはアメリカ行きの契約を結ぶ……結んだのかな?
 白人が肌に色を塗って有色人種に仮装する、というのは『V.』にも『競売ナンバー49の叫び』にもあったと思う。すぐばれるだろう、というバカバカしさは嫌いじゃないです。


■ 第25章(pp246-53)

 じつはこの25章でもって第1部が終わる。

 第1部:Latitudes and Departures (第1~25章)
 第2部:America (第26~73章)
 第3部:Last Transit (第74~78章)

 M&Dはこういう構成になっていて、ようやっと次からがこの小説の本体、「新大陸に線を引け!」になるかと思われる。
 さあ、そう考えるとそわそわして落ち着かない。さらに、8ページしかないこの章のほとんどはメイスンとディクスンの会話、しかも1年半ぶりに再会したふたりは、酒を飲んでしたたかに酔っ払いながら言い合っているので、ほとんど何にもわからなかった。
 たぶんメイスンは、このアメリカ測量行に王立協会の陰謀を幻視しており、その部分では正調のピンチョン的登場人物だ。ディクスンはもっとおおらかなやつなので、“気にするメイスン:気にしないディクスン”の関係は、『V.』でいう“ステンシル:プロフェイン”の関係に似ている。
 ただし、あるのかないのかわからないV.にまつわるもろもろを背骨にした(つまり背骨がぐにゃぐにゃしているのが面白い)『V.』に較べて、どれだけ与太話に逸れても、M&Dには固い背骨があるようだ。
 それがたぶん植民地と奴隷の話で、この章でもアメリカについて、「まーた原住民を殺してるところに行くのかよ・・・」みたいなうんざり感がおそらく語られていた。 ――そうか、それで痛飲してたのか!?といま一瞬思ったが、読み返すよりも先に進みたい。

 メイスンの「なんの話だっけ?」というひとことで第1部は終わった。それにしても、翻訳に目をつぶって耳を閉じ、わざわざこんな調子で進めることにどんな意味があるのかは、私にもさっぱりわからないのだった。
…続き



トマス・ピンチョン全小説 メイスン&ディクスン(上) (Thomas Pynchon Complete Collection)トマス・ピンチョン全小説 メイスン&ディクスン(上) (Thomas Pynchon Complete Collection)
(2010/06/30)
トマス・ピンチョン

商品詳細を見る

トマス・ピンチョン全小説 メイスン&ディクスン(下) (Thomas Pynchon Complete Collection)トマス・ピンチョン全小説 メイスン&ディクスン(下) (Thomas Pynchon Complete Collection)
(2010/06/30)
トマス・ピンチョン

商品詳細を見る

コメント

非公開コメント

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。