趣味は引用
読めるだけ読むM&D その7
Mason & Dixon

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■ 第10章(pp94-104)

 1761年6月5日(金)、ようやっと金星の日面通過が起こる。メイスンとディクスンも待っていただろうが、私も待っていた。そして私だけでなく植民地の白人も盛り上がり、そのさまを見て奴隷たちもおどろいている。
 みんなをひとつにする意味で、この天文現象は、宗教的体験とも並べられていた。あと、それが何月何日の何時に起きるかまで予測できていた科学の力について云々があった気がする。
 ディクスンの観測がメイスンのものとズレていたというのが面白い。でも時間が経つにつれ、白人は白人に、奴隷は奴隷に戻っていくのだった。
 それから4ヶ月してふたりはケープタウンを発つ。やれやれ。

(チェリーコークによってこの話が語られている居間では、日面通過がどういうことなのかの説明で、太陽系の模型が使われている。「地球儀」に較べると、「太陽系儀(orrery)」はものすごく落ち着きの悪い語だ。語呂も悪いし馴染みもない。太陽系儀。太陽系儀。繰り返しても同じである。
 ところで、居間の聞き手は双子だけでなく、どんどん親戚が増えている。それぞれがまた充実した背景を抱えているみたいだが、今後も活かされるのかは定かではない)

 あんまりウィキペディアばっかり引いていると呆れられそうだけど(学生だったら零点である)、最初の近代的「太陽系儀」を作ったコンビの片割れが、トーマス・トンピョン(Thomas Tompion)という名前だったというのはメモせずにはいられなかった。
 トンピョンとピンチョン。そんなことで喜ぶのは子供である。


■ 第11章(pp105-15)

 観測が終わったんだからはやくイギリスに帰ればいいものを、なぜかメイスンとディクスンはアフリカ大陸の西、セントヘレナ島に来た。なぜ。
(さらに、語り手であるチェリーコークはケープタウンを去るときふたりと別れ、東に向かったそうなので、セントヘレナにはいなかった。何をもとに語ってるんでしょう)

 セントヘレナは小さな島で、激しい波が打ち寄せる。ナポレオンが流されたのがたしかここだが、小説の時代はもっと前だ。ここでも奴隷の話が出てきて、さらには処刑台もあり、なにせ、奴隷制に処刑台がなかったら、十字軍に十字架がないのと同じなんだそうである。
 処刑台といえばメイスンで、この観測行に出るまえ、彼はロンドンで毎週金曜に行われる公開首吊りへ通い詰めていた、という話が第3章にあった。
 なんの偶然なんだか、その当時、首吊り見物のさなかに知り合った女性がこのセントヘレナに来ていて、メイスンのことをおぼえていた。なんだそれ。ふたりはミュージカルのように歌いながら再会を祝する。なんだこれ。
 フロリンダというこの女性、今後もストーリーに絡んでくるわけでない脇役だと思うんだが、例によって過剰なキャラ付けが施されている。処刑台を見ながらメイスンに放った第一声が、吊られている男性の身体の一部分についてだったのは、私の読みまちがいではたぶんないと思う。

 今回の部分を読んでいる最中に、理論社のサイトで連載されている長嶋有のエッセイが更新されていた。「安全な妄想」の第3回、「水金地火木土天海冥」は、奇しくも太陽系の話だったので、金星が、太陽系儀が、という話とかすかにリンクしているように私には思われて面白かった。
 こういう偶然があるんだから、首吊りファンの英国人ふたりが絶海の孤島で再会してもいいのかもしれない。長嶋エッセイのほうは、もう反則じゃないかという奇跡の語句が4ページめにあった。

…続き
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