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2010/05/06

読めるだけ読むM&D その6

Mason & Dixon

前回…] [目次

■ 第8章(pp77-86)

 ケープ植民地でのメイスンとディクスンは、次第に奴隷の側に入っていく。それはべつだん大所高所に立った人道的な理由からではなく、“料理がうまいので、マレー人の地区に入り浸るようになる”、という流れ。
 東洋のスパイスをふんだんに使った、クジャクのカレー風味やらガゼルの煮込み、タマリンドのピクルス、ヤマアラシの揚げ物などなど、どれもオランダ人の食卓には並ばない、というか、ふつうの白人だったら食べ物とも思わない食べ物のかずかずを、およそ何でもふたりは食べる。とくにディクスンは、市場で手に入れたケチャップがお気に入りで、オランダ人からは「あんなアジアの汚いものを」と眉をひそめられている始末。

 あと、"Krees"という変わった刄物が、マレー人と結びつけられてたびたび出てきた。こういうとき便利なのが注釈サイトで、たとえばここにピンチョンWikiの、Mason & Dixon のページなるものがあり、アルファベット順、またはページ順の注釈が作られている。
 もっとも、私の場合は注釈のない部分でずっとつまづいている(たんに英語が読めない)ので、いまいち使いこなせていないんだけど、上述の"Krees"なんかはここに写真まであり、作中で説明されるように妖しく波打っている刃のかたちが見られて、よかった。
 マレー人の料理男が、大小いくつもの鍋に目を配りながら、このKreesただ一本だけを操って生姜の皮を剥き、エビの背わたを取り、野菜を切って魚をおろす様子は、なんだか魔法のようでもある。
(実際、メイスンは悪夢を避けるお守りとしてこの刄物を受け取っていた)

 ところで、メイスンとディクスン(とチェリーコーク)を乗せてきたシーホース号は、さらに東を目指して港を発ってしまったようである。置いていかれた格好のチェリーコークにふたりは、「じゃあ、きみも天文学者のふりをしたらいい」とアドバイス。「5分あれば教えられるよ」。


■ 第9章(pp87-93)

 雨期に入って大雨が降ったりしている。
 オランダ人一家の娘たちが、山の上にあるメイスンとディクスンの観測所を訪れた。なのでふたりは、「金星の日面通過」について講釈する。
 彼女たちの反応は「イギリスでやればいいんじゃね?」という素朴なもので、その答えとしてメイスンは、“視差(parallax)”の説明をする。

 金星が太陽の上を通過するのを二地点から観測すると、その軌道はズレて見える。二地点間の距離が南北に離れていればいるほど、ズレは大きくなる。こうして得られるズレ、つまり視差を使っていろいろ計算すれば、地球から太陽までの距離を出すことができる。こんなチャンスは滅多にないので、この観測は、世界中に観測隊を派遣する国際的な共同プロジェクトだったらしい。メイスンとディクスンはその1チームであるわけだ。
(いま書いたことは、メイスンの説明からというよりむしろ、ウィキペディアの「金星の日面通過:観測の歴史」、あと「視差」を見た)

 ところで、“視差”という一語から思い出されるのは米作家リチャード・パワーズのインタビューで、みすず書房の『パワーズ・ブック』に入っている、「二つの弧が交わるところ」というものだ。最近、あんまり引用してないから、ここぞとばかりに引用する。
《――フィクションの可能性を、はっきりと見せてくれる作品との、具体的な出会いはありましたか?
パワーズ そうした最初の出会いは、ジェイムズ・ジョイスでした。彼からは、何というか、想像力が生み出す視差、とでも呼ぶべきものを、教えてもらいました。彼が語ったのは、非常に濃密な、リアリズム的ストーリーです。人生の、ある一日を要約したもの。一方で、それと平行する枠組みがあって、それは、前の物語と確実に接触しているけれども、それに対する知的なコメントにもなっている。つまりそこには、二種類の枠組みがあるわけです。そして、その二つの間には大きな隔たりがあるにもかかわらず、お互いが行き来をする。一体化によって得られる知と、観察によって得られる知。登場人物たちの人生が、この、いわば巨大なる百科事典の生によって二重化されていくのです。補完しあう二つの平面によって、三次元の世界を作り出すことができる、というこの考えを、やがて、初めて書いた小説『舞踏会へ向かう三人の農夫』で取り上げ、うまくいくかどうか、試してみたわけです。》pp28-9

『舞踏会へ向かう三人の農夫』は大好きな小説なので、書名が出てくるまで長々と引用してしまった。あの長篇のような変わった構成を→ここでちょっと書いたことがある、これまでのところMason & Dixon はとっていないとはいえ、メイスン/ディクスンという2者、さらには抑圧する側/される側という2者の両方を書くのは、大小いくつものズレを作り出すことになる。
 それらひとつひとつを視差だとすれば、そこからどんな奥行きが生まれ、何が立体視されるのだろう。あまりに読むのに時間がかかるので、自分はもはや読者というより観測隊の気分になってきた、でもそれならもっとよく見える望遠鏡がほしい――とか言葉遊びをしていないで、地道に続きを読むべきだという話ではある。まったく、読まずに書いてよければすらすら書けるのな。
 それにしても、『パワーズ・ブック』と『舞踏会へ向かう三人の農夫』があわせて出た2000年から、もう10年が経ったというのは、なんだかしみじみとおどろきだった。
…続き


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