趣味は引用
「生活考察」Vol.01(2010)


「生活考察」という雑誌が登場。作ってる方のブログはこちらで、どんな雑誌かも入手法もここに書いてあります。“ある種の”ライフスタイル・マガジン。

 ちょうど1年くらいまえ、「WALK」という雑誌で、20人あまりの執筆者全員から日記を募り、1冊がまるまるぜんぶ日記のかたまりになっているという号を面白く読みました→これ
 あれを編集された方の新雑誌がこの「生活考察」ということで、それにまたタイトルがタイトルなので、同様に日記・身辺雑記寄りのものを予想していたましたが、めくってみれば内容はいろいろ。
 生活書く人もいれば、生活について書く人もいて、前者は日記に近づくし、後者は、たとえば小澤英実さんのように、女性が仕事しながら生活することについての考察になる(「あたし、この戦争が終わったら……」)。さらには、赤羽のディープな漫画を描いている清野とおるさんへのインタビューまでありました(読んでなかったその漫画が読みたくなった)。

 どうしてこんなにバラエティー豊かな誌面ができたのかといえば、それは「生活」というくくりが巧みだからで、この雑誌を一冊読むだけでも、ヒトのする行動で「生活」から漏れるものはないと思わされます。
 いや、なんかちがうな。それを「生活」と見る視点さえあれば、ヒトのする行動は、およそ何でもこの枠ですくい取れる・だからすくい取ってみてよ、という依頼に執筆者がそれぞれ応えてみた、というか。応答のバラつきが読みどころです。

 日記、という話でいえば、すこし前の「新潮」2010年3月号が作家52人のリレー日記1年ぶんを掲載して話題になりました。私も読んだ。これについて、たしかネットのどこかで、あのリレー日記で読む価値があるのは×人だけ、というようなことを書いてる人がいて、それは日記の読みかたじゃないのでは、と首を傾げたのを思い出しました。その人は、赤の他人のウェブ日記を2年分まとめて読む、とかしたことないんじゃないかな。私は今もよくしています(って、いばることではない)。
 この興味が何に発するのかいまひとつ説明できないものの、「生活考察」今号で、そのような関心にいちばん引っかかってきたのは、栗原裕一郎さんの「超身辺雑記トムソン」でした(この人は「WALK」日記号でも、たしか自炊を中心に長大な日記を書いていて読み応えがあった)。
「スロークッカーと私」と題された今回の4ページでは、マイナーな調理器具・スロークッカーを説明し、欠点と利点、実際に使ってみた様子、と細々したことを書き、その歴史までまとめておきながら、せっかくなので最後に普段は作らない料理を、とスペインオムレツに挑戦した結果、これスロークッカーじゃなくてフライパンでよかったんじゃね? という感想で終わる。
 この、盛り上がらない感じが素晴らしいと思いました。これは日常だ。日常という生活。そこを書いていいんだ、というささやかなおどろき。

 それとやっぱり触れておきたいのは、福永信さんの「日付と時間のある文章」。これは福永さんが、「群像」の“創作合評”に参加した経験から舞台裏を説明したうえで(ゴシップ的な意味ではありません)、つぎに、最近そこで取り上げられた自作「一一一一」の読まれ方について意見する、そういう文章になっています。率直に言って「もっとちゃんと読み、もっとちゃんと論じてほしい」ということになり、ある評論家の姿勢に苦言が呈される。
《うまくいえないのなら、いえないままでいいんだから、読者は、その「うまくいえなさ」を鋭敏に読み取るものだから、それが読むことなのであって読まれる側が、流すことだけは、まずい。》

 この雑誌のなかでもかなり異色な文章ですが、小説家の「生活」の枠にはここまで入るんだな、と、考えてみれば当たりまえのことを思わされました。
 ……いや、なにより、その評論家のした読みまちがいと同じまちがいを、こないだ「一一一一」を読んだとき→これに私もしていたことを知らされ、申し訳なさで夜中にああ、とうめきました。失礼しました。

「生活考察」はネット通販のほか、一部書店でも買えるようです。もういちど貼る。次号も楽しみです。
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