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2010/03/29

最相葉月『星新一 一〇〇一話をつくった人』(2007)

星新一〈上〉―一〇〇一話をつくった人 (新潮文庫) 星新一〈下〉―一〇〇一話をつくった人 (新潮文庫)
新潮文庫(2010)


 新潮文庫今月の新刊で、金曜に買って帰った最相葉月『星新一 一〇〇一話をつくった人』の上下巻を、土日かかって読了した。(今週、電車の中で読むつもりだったのに!)
 この評伝が3年前に単行本で出て、山ほどの賞賛を受けていたときに、「そのせいで、何か、読むのがこわい」と思ってしまった私のような人がもしほかにもいたら、それでもやっぱり、文庫化を機に読むのをすすめます。これは本当に、予想よりも面白く、こわい本だった。

 日常の行動範囲内に1軒たりとも本屋がなかったせいもあり、小学生のころ、「文庫本というのは、中学生から読むものだ」と思い込んでいた。小学生が手を出すと怒られる、と本気で信じていたように思う。こういう性格はいまも治らない。
 そんな自分が中学生になって、町まで遠出し、はじめて小遣いで買った文庫本が、角川文庫の星新一『地球から来た男』だった。それから2年で筒井康隆を発見し、そのエッセイから海外文学の世界が見えてきて、あとは「今に至る」でまとめられるのが私の読書遍歴だ(遍歴してない)。自分が星新一の本を次から次へと読んだのは、あのあいだの2年間に限られる。
 だから、筒井作品の中でいちばん強烈におぼえている『虚航船団』を、高校生になった最初の4月、学校から帰る夕方のバスで開き、「こんなすごいものがあるのか!」とおどろいて、次の日が日曜で、いちにち文房具と鼬の戦争を読んでいたころには、もう星新一は読まなくなっていた。
 それでも、やはり筒井の『原始人』に入っている、「諸家寸話」「筒井康隆のつくり方」なんかで紹介される星新一のエピソードが好きで好きで、ああ、このひと作品だけじゃなくて本人も面白いんだなあとうれしくなった、こともおぼえている。

 だもんで、この『星新一』でいちばん「うわわ…」となったのは、星がショートショート1001編を達成した(昭和58年)つぎの年、筒井が『虚航船団』を発表し、「あまりに的はずれな批評が頻出していたので」(p343)星が筒井論を書いてあげた――というくだりからうしろの部分だった。筒井はその評にたいへん感謝する。
《だが、近くにいた編集者たちが受けた印象は少し違う。加藤和代によれば、この『虚航船団』前後から、新一は筒井との間に距離を感じるようになっていたのではないかという。》下巻、第十二章

 ここよりあとは引用しにくいし、どういうことになったのかをまとめてしまうのもはばかられる。
 上巻、星の実父の姿と、星がその“遺産”にふりまわされる様子が描かれるのをハラハラしながらずーっと読んできて、下巻の第八章で筒井康隆が登場したとき、私は前述の『原始人』を本棚から抜いてきて、もういちど笑ってからこの評伝に戻ったのだが、まさにそれについて星新一の方ではどう思っていたかまで知らされて、なんだか背筋が冷たくなった。こういうことを何となく予想していたから、3年前の私はこの本が手に取れなかったんだと思う。
 
 星新一から筒井康隆へ、というコースをたどった自分は、どうしても、うしろめたい気持になってしまった。もちろんそんなのは勝手な思い込みで、私のうしろめたさは星新一にも筒井康隆にも関係がないはずなんだけど、私の思い込みは私にとっては本物なのだから……って、なんかもう、ここから先はぜんぜんまとまらないのでもうやめるが、このうしろめたさのために、私は『星新一 一〇〇一話をつくった人』を読んでよかったと思う。さらにあと3年くらいしたら、この立派な評伝について何かもっと書けるかもしれない。いまはこんなにぐだぐだにされてしまった。
 とりあえず、今日の電車では『地球から来た男』を読み返そうと思った。なんだこの感想。

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