2010/03/17

福永信の小説 その5

その1] [その2] [その3] [その4

 福永信さんの単行本未収録作品を読んでみるシリーズ、せっかくなので、最新の「一一一一三」も読むことにして、「文藝」を買ってきました。
 その前に、土曜日(3/13)のトークイベントについて、古谷利裕さんじしんが「偽日記」で書いていることが面白いです。
2010-03-13と、2010-03-14。特に後者。ABCDシリーズはやはり別格かもしれません)


「一一一一三」 (「文藝」2010年春季号)

 前回紹介した「一一一一」と似た趣向です。あっちがマンションのエレベーターにおける年上と年下の男2人だったのに対して、こっちのはじまりはこんなふう。
《――そこの旅のお方。
「なんでしょうか」
――二の足を踏んでいるね、どう見ても、完全に。
「ええ」》

 不意を衝かれていきなり笑いました。もとい、今度はどうやら、二股に分かれた道の前で往生している女子に、年長の男が一方的に語り続けるというかたち。さらに今作では、語り役が前半・後半で2人出てきます(すべて「たぶん」です、と、そこまで律儀にならなくていい気もしますが、一応)。
「一一一一」同様、語られる当人であるはずの聞き役は、語り役にひたすら承認を与え、背景が奔放にできあがっていきます。このシリーズが量産されて単行本一冊になったら、相当うるさい本になるのじゃないでしょうか。
(2人の人間が喋り合うのよりも、2人いるのに片方しか喋らないほうがうるさい感じがしそう、というのは発見でした)
 語りの内容は、メルヘン風と言えなくもない森の(たぶん)齧歯類とか妖精に加えて、ファミレスのチーフとか出てきます。あくまで比較でですが、背景の入り組み具合は「一一一一」より控えめに見受けられ、そのぶん、語りのミもフタもなさで引っぱっている感じです。
《――[…] 年長の者が次世代に伝えるべきことは、どちらが進むべき道で、またどちらがあの世への旅路であるか示唆することであろう。だが、かといって、やれあっちへいけ、やれ、こっちだと、先導してはいけない。
「そうですね」
――若者は反発するだろうからね、自分で考える、と。
「そうです」
――考えることが大切なのだね、何事も。
「おっしゃるとおり」》

 承認がぜんぶ、語られる内容への背信になっている。あと、小道具の再利用というか、「一一一一」でも出ていた“ワンカップ大関”と同じレベルで“輪廻転生”のモチーフが繰り返し使われるのですが、語る年長者、1人目の話のなかに出てきた小動物が2人目の話のなかに転生を果たすなど、不思議なことを平気で起こしていきます。
 この“平気でやってしまう感じ”は、“容赦のなさ”と言い換えても同じだと思いますが、今号の「文藝」で、ほかの小説はみんな明朝体で印刷してあるのに「一一一一三」だけゴシック体、というのが、この作家のあり方をはっきりあらわしているように見えました。


 とりあえずは以上です。「その5」まで続きましたが、楽しい1週間でした。

 図書館、それも、文芸誌のバックナンバーが置いてある図書館に行かないと読めない作品ばかりでアクセスが難しいですが(私の場合は片道40分でした)、ひとまず、6月末に『星座から見た地球』(新潮社)が刊行されたらみんなびっくりすることでしょう。ニヤニヤしながら待とうと思います。

コメント

非公開コメント