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その23 ― ピンチョン Lot 49
The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

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 わたしは誘惑されている、わたしを罠にはめようとする陰謀がある――エディパの抱いた警戒心を裏返せば、つまり、「自分はだれかが誘惑を試みたくなるような人間である」、という意識になるはずだ。それを自負とまでは言えないのは、この前提に彼女が無自覚だからである。
 もちろん今の状況は、何か陰謀があるのでは、といぶかしむのも当然の無茶なものではある。そこは何度でも確認したい。だが、メツガー自身が彼女を誘惑しようと目論んでいるのではないかと疑うにしろ、(「その21」にあったように)天上の何者かがこの男を差し向けたのではないかと疑うにしろ、エディパは、「なぜそのような計画が自分に対して仕組まれるのか」とは考えていない。
 そんなことまで考えている余裕がない、という説明は「あり」だと思う。ただし、余裕がないことと、自分はだれかが周到な準備をしてまで働きかけてくるほどの理由がある人間だと認めていることは、じゅうぶん並立すると思う。

 読者から見ても「偶然」のひと言では片付けられない不自然な状況の中に彼女はいる。だから、上記の理屈に照らして考え直すことをせず、いきなり陰謀説に飛びつくのを、ただの被害妄想と決めつけられるものではない。そこはいくらでも譲歩する。それでも、次のように見ることはできないだろうか――
 エディパには、手の込んだ陰謀(誘惑)が仕組まれるほど自分はたいした人間である、つまり自分は世界にとって意味をもった存在である、と信じたい気持がある。
 自分のまわりに陰謀がある――だれかがわたしを罠にはめようとしている――この発想は、じつは、自分には意味があるという根拠のない確信や、もっといえば、自分には意味があってほしいという願いから出てくるものではないのか。だれかが自分を騙すのであれば、自分には騙されるだけの価値があることになるのだ。被害妄想はそんなふうにして発現し機能するのかもしれない。

 今後、エディパのまわりでは、不自然な出来事や偶然のようなそうでないような符合が続々と発生し、奇妙な「つながり」が垣間見られる。
 そのどこまでが、うしろに「陰謀」といった何ものかの意図があると考えて当然のものなのか、どこからが「陰謀」を想定するのは正気を逸した被害妄想でしかないものなのか、両者のあいだで線の引きかたをあれこれ考えることが、そして、そのうち境界を定めるどころか徹底的に道に迷っている自分に気付くことが、Lot 49 を小説として読む作業であると思う。だからこれからもそうしよう。

…続き
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