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2009/12/10

読中日記(18)


前回…

 保坂和志の「未明の闘争」連載第3回が読みたくて本屋へ「群像」2010年1月号を買いに行ったら(しかし2010年て)、隣に置いてあった「文學界」1月号でも保坂和志の新連載がはじまっていて、たまげた。
 でも今日は、この2ヶ月くらいで読んでおぼえているもののメモをいくつか。


「モンキービジネス」2009 Fall vol.7 物語号

 この文芸誌、最近では月刊か、すくなくとも隔月刊に早まったように感じられる。ぽつぽつ拾って読んでいるうちに次の号が近づいてくる(次号vol.8は1月20日発売)。

モンキービジネス 2009 Fall vol.7 物語号


 今度のvol.7では、マグナス・ミルズ「聞けみ使いたちの」(柴田元幸訳)がいちばん面白かった。クリスマスを海辺のゲストハウスで過ごそうとやってきた「私」。しかしなんだかあてがはずれて、宿のあるじとも噛み合わず、たしかにいるらしいほかの客にも会うことができない。
 それだけの短篇小説(13ページ)で、何が面白いんだかわからないが、3回続けて読んでも面白い。起きてくると朝食の時間は終わっていた。1人で外に出るがだれにも会えない。帰ってくると夕食の時間は過ぎている。ツリーの電球はチカチカして切れた。ほかのみんなは楽しんでいるらしい。
 すべて平易な言葉だけで、どこにも思わせぶりなほのめかしはないのに、「書かれてあるのとはぜんぜん別のことが起きているのではないか」という感じと、「いや、まったく平凡なことしか書かれていない」感じの両方がする。そして、どっちの場合でも面白い。
《風に頭を低くして歩き、時おり立ちどまっては海鳥たちが波の上でアクロバットをくり広げるのを眺めた。畑のひとつで牛が何頭か体を寄せあい、海に背を向けて立ち、彼らのために置かれた干し草の梱を鼻先でつついていた。遠くにちらほら低い建物が見えた。いくつかは農家で、あとは貸別荘だろうか。けれども、全然見えないのは、人間の姿だった。今日は私以外誰一人、海岸の小径を歩くことを選びとらなかったのであり、セッジフィールド氏の言うほかの宿泊客たちは影も形もなかった。反対の方向に行ったのだろうか。》p163

 これを、たとえば幽霊譚、と決めつけて読んでしまっては面白さは半減する。なんだかわからないが面白い、という状態にとどめておきたい気にさせる、変な小説。唯一、タイトルだけが意味深だけど、これも思わせぶりというよりは、「なんか、変なの」くらいの印象。
 それにしても、よくこんな、まるで派手さのない不思議な小説を見つけてきて、まるで派手でなく、不思議なままに訳すよなあと思われたことだった。

 連載陣では、ダニイル・ハルムスは相変わらず好調、そして岸本佐知子「あかずの日記 7」も面白かったが、こちらは、「この人がこういう方向に行くのか」というおどろきが強かった。いずれ単行本にまとまったら、『ねにもつタイプ』のファンとかみんなびっくりするだろう。まだ続くんだろうけど、今回がクライマックスではないか(でも、前回もそんなふうに思った気がする)。


■ 岸本佐知子といえば、新潮社「yom yom」の白い表紙号に載っていた読書エッセイも面白かった。こちらは立ち読みだったので引用できないが、タイトルを「すごいよ!! ヨシオさん」といって、いや、ここからだれが片岡義男の絶賛文を予想するだろう。
 思い出ばなしふうのゆっくりした書き出しから徐々にピントを合わせていって加速、最後の1文までびしっと決まっている。思わず文庫の棚に行って、紹介されていた『花模様が怖い ―謎と銃弾の短篇』を捜してしまった。
 この人の書評集が早く読みたい。


■ しばらく前に、近所の古本屋でちくま文庫の『芥川龍之介全集』8巻揃いを手に入れた。申し訳ないほど安かった。ちまちま読んで、まだ2巻だが、「邪宗門」という短篇におどろいた。初読。

芥川龍之介全集〈2〉 (ちくま文庫)

 たぶん「地獄変」なんかと同じ時代の京が舞台で、大殿と若殿との確執、うつくしい御姫様、典雅な駆け引きなんかがつらつらと述べられていって、そこに突然、「摩利の教」の沙門(キリスト教の僧)があらわれる。
 この異形の沙門=摩利信乃法師は天狗みたいに描写され、奇怪な術をふるういっぽう、いろいろ因縁があるらしく、ある日、阿弥陀堂の建立供養の場に乱入する。この場面がなんだかすごい。
《[…]廓に囲まれた御庭の池にはすきまもなく、紅蓮白蓮の造り花が簇々と咲きならんで、その間を竜舟(*)が一艘、錦の平張り(*)を打ちわたして、蛮絵(*)を着た童部たちに画棹(*)の水を切らせながら、微妙な楽の音を漂わせて、悠々と動いて居りましたのも、涙の出るほど尊げに拝まれたものでございます。》

《その御仏の前の庭には、礼盤(*)を中に挟みながら、見るも眩い宝蓋(*)の下に、講師(*)読師(*)の高座がございましたが、供養の式に連なっている何十人かの僧どもも、法衣や袈裟の青や赤がいかにも美々しく入り交じって、経を読む声、鈴を振る音、あるいは栴檀(*)沈水(*)の香などが、その中から絶え間なく晴れ渡った秋の空へ、うらうらと昇って参ります。》pp326-8

 乱れ打たれる(*)は注のマーク。それも含めて、きらびやかな言葉の洪水にくらくらする(しかもこれ、非人の小屋が立ち並ぶ夜の河原の場面のあとに描かれる)。で、こんな阿弥陀堂で、くだんの摩利信乃法師と、名だたる仏僧たちが超能力で対決するのである。
《横川の僧都は急に印を解いて、水晶の念珠を振りながら、
「叱。」と、嗄れた声で大喝しました。
 その声に応じて金甲神が、雲気と共に空中から、舞下ろうと致しましたのと、下にいた摩利信乃法師が、十文字の護符を額に当てながら、何やら鋭い声で叫びましたのとが、全く同時でございます。この拍子に瞬く間、虹のような光があって空へ昇ったと見えましたが、金甲神の姿は跡もなく消え失せて、その代りに僧都の水晶の念珠が、まん中から二つに切れると、珠はさながら霰のように、戞然と(*)四方へ飛び散りました。
「御坊の手なみはすでに見えた。金剛邪禅の法を修したとは、とりも直さず御坊のことじゃ。」》pp334-5

 いったい何が起きているのか、クリリンの気持で読むわけだが、芥川龍之介はSFXもCGも見たことないんだよなと思うと、こういうイメージの典拠ってどこにあるのか不思議になる(何か転倒しているだろうか)。
 それでこの戦いはどうなるんだ、とあわててページをめくり、私は本当にびっくりした。詳しくは書けないので、ぜひ現物にあたられたい。摩利信乃法師もすごいが、芥川も、ものすごい荒技を使うのである。読んでよかった。

…続き

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