趣味は引用
読中日記 (8)

 ハードディスクが壊れたまま、1ヶ月以上放置していたデスクトップをようやく修理した。人から借りていたノートパソコンよりも、はるかに快適なのでおどろく。ごめん、人。

 私も忘れかけていたが、この「読中日記 2009夏」は、もともとピンチョンInherent Vice 読書日記のつもりではじめたはずだった。が、「予習」のつもりで読み出した『ヴァインランド』に意外に手間取ったのと、なにより私がひんぱんにサボるので、前回の7でようやく日記は9月に入り、Inherent Viceまだ読みはじめていない、ということになっている。
 Inherent Vice 、「ピンチョンなのにすごく簡単でびっくり!」みたいな感想をネットでちらちら見かけるくらいおどろきの読みやすさらしいんだが、私にはたいしてやさしくなってなかった。9月の第1週で最初の40ページだけ読んで、それから3週間、手に取っていないから、読解力が足りていないばかりか、根本的にやる気が欠けている気もする。もう10月だ。

 ところで、ずっと待っている宮沢章夫『時間のかかる読書』の紹介が、河出書房新社のサイトに出ていた。
  → http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309019444
わずか1時間ほどで読み終わる短篇小説を、11年余の時間を費やして読み解きながら、「読むことの停滞」を味わいつくす文学エッセイ


■ 9月6日(土)

・注文したい衝動とたたかう。
  → ジョジョ4部“花札”『ジョジョの奇妙な花闘(はなばとる)~杜の花~』(「@JOJO」より)

 公式サイトから、受付終了が「2009年10月26日17時」なのをメモ。


■ 9月10(木)

・「たけくまメモ」のこの記事の最後で、晶文社が文芸部門を閉鎖するらしいと知って悲しい気持ちになる。だって晶文社といえば、私の本棚で不動の位置を占めるこの3冊をすぐに思い出すからだ。

 リチャード・ブローティガン『アメリカの鱒釣り』
 エイモス・チュツオーラ『やし酒飲み』
 ホルヘ・ルイス・ボルヘス『幻獣辞典』

 しかしよく考えたら、うちのこの3冊はみんな古本で買ったものだったから、私は晶文社にさっぱり貢献していない。でも晶文社は古本が似合う、そこがよい、と開き直る。


■ 9月15日(火)
穂村 そうそう、こないだ、菊人形展に行ったんですよ。菊の花がいっぱいあって、すごい数。そこに中学くらいの三人連れの女の子が来てたんだけど、一人の子が「これ全部菊かもしれないんだって…」て言ったんです。そしたら友だちが「“かもしれない”じゃなくて菊なんだよ!」って(笑)。「だって菊人形展って書いてあるじゃん」って言うわけ。で、言った子は黙っちゃったんだけど、僕、そのとき「これ全部菊かもしれないんだって」っていうのは詩だと思ったの。
一青窈 うん、うん。》p104

穂村弘『どうして書くの?』(筑摩書房)を読んだ。
 これは穂村弘が行った対談を集めた本で、話す相手は順番に、高橋源一郎、長嶋有、中島たいこ、一青窈、竹西寛子、山崎ナオコーラ、川上弘美、高橋源一郎(2回目)。
穂村 […] 「これ全部菊かもしれないんだって」って言った子は、会場に入ったとき、あまりに菊、菊、菊だらけの空間にびっくりしてしまって、見渡す限り全部菊っていう強烈な感覚を伝えるために、そういう不思議な日本語になってしまったんじゃないだろうか。で、何が言いたいかというと、僕たちの仕事って、結局「これ全部菊かもしれないんだって」って言葉を探すことですよね、毎日。
一青 そうですね。》p105

 自分たちのしている言葉を使う仕事とはどんなものなのか、みたいな共通テーマがあるようだけど、たとえば一青窈やナオコーラと話すときは、言葉のありかたについて「教える」感じがわりあい強く、それが川上弘美が相手になると、どうしても自分には小説が書けない、とほとんど「甘える」かのような姿勢になっていたりする。高橋源一郎とは「いっしょに考える」感じか。
 対談の内容とも連動するそんな姿勢の変化のせいで、どこを読んでもそれぞれに面白い(竹西寛子とは、なかなか話題を交差させられない様子がスリリング)。
 何年か前、たしかエッセイ集の『現実入門』が出たときに、ある有名な書評家が「穂村は自分がいかにダメで情けないかを笑えるエッセイに仕立てているが、コイツ、本当は何人もの女と付き合ってきたスケコマシなんだ、みんな騙されるな!」みたいなことを書いているのをたまたま目にして、私はもうほんとうに、心の底から、そんなことはどうでもいいじゃないかとあきれたのをおぼえているのだが、あのとき、自分がおぼろげに感じ取っていた「この人の書くものにとっては、事実はどうかなんて関係ないはず」という印象がどこから来るのかを、穂村弘じしんが山崎ナオコーラ相手に説明していた。
穂村 […] 僕も「どこまでがほんとうですか」とよく聞かれる。でも、言葉自体にそもそも運動性があるわけです。言葉が言葉を呼ぶというか、一行目が二行目を呼び、一行目と二行目が三行目を呼ぶというような。エッセイの場合は、自分がその運動性の中に入っていく感じですね。
山崎 読者がですか?
穂村 ううん、書き手が。渦を巻いている言葉の運動性の中に、自分の過去の経験や世界観を持ってざぶざぶと入っていくような……。
山崎 お、今、いい表現をしましたね。
穂村 言葉の渦そのものは書かせる力なんだけど、同時にそれは書き手の経験や考えを押し流して純粋な言葉の羅列に解体してしまう力でもあるから、そこへ押し流す力と書き手はせめぎあう。自分の経験や考えが出るという意味ではノンフィクションだけど、そのとき言葉の渦との化学反応のようなものが否応なく表出するわけです。》pp184-5

自分の経験や考えが出るという意味ではノンフィクションだけど」なんて、かなり過激なことを言っていると思う。ここらへんを読んでいると、それこそ「自分の経験や考え」から出発しながら、唯一無二の言葉の連なりとしてひとまとまりの文章を作り出す、岸本佐知子が連想されたりもする。
(川上弘美は対談の中で、穂村&岸本は文章意識が似ているという旨の発言をしているから、私の思い込みもあながち的外れではないと思う)
穂村 言葉の側からの要請に従うケースが多いので、矛盾がいっぱいあっても気にしないです。》

 それにしても、対談って、その場でぽんぽん言葉のやりとりをするんだろうに、穂村弘は自分の特異な考えの説明がすごくうまく、じゃあそれは特異じゃないんじゃないかと一瞬思わされるほどで、たとえとして出すエピソードも絶妙にわかりやすいし、相手が言い切れていない感覚の言語化まで巧みにしてしまう。かゆいところに手が届くとはこういうことかと舌を巻きながら、たまに独走しすぎているところでも笑わされる。
 あと、オビにも引用されているんだけど、
穂村 僕にやれるならバンドだってやりたいよ。フィギュアスケートだってやるよ(笑)。
川上 またそうやって偽悪ぶる(笑)。本当は言葉がいちばん好きなんだよね。フィギュアやバンドじゃなくて。》p247

 どう考えても、これは、ずるい。


■ 9月16日(水)

・きのうの続き。穂村弘の対談集『どうして書くの?』で、長嶋有の発言。「長嶋有」のほかに「ブルボン小林」名義でも仕事をすることについて。
長嶋 […] でも結果論ですけど、名前を二つもっていると楽ですよ。もちろん同じ人間が書いているわけだけれども、ナショナルとパナソニックだって、自分で言ってるだけで同じ松下だから(笑)。でも意味がある気がするでしょ。》p50

 太字にしたのは私だが、ここが無性におかしい(ためしに飛ばして読んでみると、この部分があるのとないのとでは大違いである)。何なんだろう、これと思いながらまた対談を読み返した。文庫化なった『ジュ・ゲーム・モア・ノン・ブリュ』もはやく買いたい。

 それとあと、長嶋有たちゴニングミの手になる同人誌「メルボルン01」、「イルクーツク02」の両方に、穂村弘はゲストとして呼ばれて座談会を行っている。友達同士の雑談みたいな場のなかで、穂村弘は『どうして書くの?』収録のどの対談にも勝るとも劣らない話芸を存分に繰り広げ、とても面白い。あの2冊はまだ手に入るのかわからないが、これは「自分はその同人誌を持っている」という自慢ではないと思うんだ。
 ちなみにこちらの長嶋有との対談では、“セックスがしたければセクハラはしてはいけない”という、ものすごいたとえが出ていた。あくまで、たとえである。




どうして書くの?―穂村弘対談集どうして書くの?―穂村弘対談集
(2009/09)
穂村 弘

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