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衿沢世衣子『シンプルノットローファー』(2009)

シンプルノットローファー
太田出版

 中高一貫の私立女子校を舞台にした学園漫画。
 先々週あたりに立ち読みした「週刊文春」の読書欄で、ブルボン小林「キャラ」ではなく「個性」を描いていると紹介していたのが気になって買ってきた。タイトルも妙にかっこいい。

 短篇の連作になっている。20数人のひとクラスで、毎回ばらばらの1~3人くらいに焦点が当てられる。学校内で起きる何かしらの出来事に対する彼女らの反応と対応が描かれ、その繰り返しで季節も過ぎていく。
 とくに派手な話はないんだが、これが面白い。
 ある回では教室のうしろを歩いていただけの子が、別の回では主役扱いになっている、というようなプロローグ+13話を通して読んでいくと、なるほどひとりも同じ人がいない。
 同じにならないように描き分けているんだからそれは当たりまえのようでもあるんだが、たとえば、すごく機械に強い子(夏休みは電機屋でバイト)だとか、レタリングがうまい子(食費を削って映画館通い)、マッドサイエンティストの卵(化学部)みたいな極端な人ばかりなら、たしかに描き分けるのはやりやすいのじゃないかと思われる。
 すごいのは、とりたててそのような「特別さ」のない子、つまり普通の子たちも、その普通さを描き分けようとしているところである。
 そういう子たちは、外見的にも区別がつけにくい。
 いま、この眼鏡の子(ツダ)と話している子は、2話前でハンダゴテを使っている子(りょうちゃん)のそばにいるのと同じやつのはずだが、さてその名前は何だったか。
 答えのわかるコマがいつもうまく見つかるとは限らない。最終ページにクラス全員のプロフィールが載っていて、そこを見てしまえばくだんの子のあだ名はわかり、その名で呼ばれるシーンがあった気もするんだが、それはどこだったか。あるいは、負けず嫌いの「エイ」がバドミントンをしている横でひたすらヨモギを集めていた子には見おぼえがあるが、ほかのどの回で出てきたのだったか。
 なのでまたページをめくり直すことになる。
 しかしながら、名前がわからなくても(ちゃんとさがせば見つかる)、ほかの登場シーンが見つけられなくても(これも見つかる)、その子がどんな子かは、その場その場での普通の言動を通して描かれてしまっている、ということのほうがずっと大事である。
 これは地味だけどすごいと思う。というか、地味なままでやっているのがすごい。個性って、べつに才能に由来するものではないことが、ページをめくっているうちにわかるのだから。結果、だれだかわからなくても区別ができる。矛盾しているようだが本当だ。
 なので人物表は、巻頭ではなく巻末に、おまけ程度に付いているので充分である。髪の黒い子たちがとくに混同されがちでもかまわない。最後まで読んで、また最初のページに戻ると(ぜったいそうしたくなる)、台詞を喋っている子の横で、ただの脇役に見えていた子までもどんな子だったかを自分は知っていることになる。
 最初に短篇連作と書いたけど、このような読みかたは、たぶん長篇のそれである。

 毎回都合よくだれかが成長したりはしないが、かといって、小さな変化が起こらないとも限らない。そのような日常を描いた1冊のなかで、とくに気に入ったのは7話め「ハイロースト」(性格が真逆の2人が週番になって、だらしないほうがずっと引け目を感じつつ、距離を測る)の最後のコマだったけど、ところで、このだらしないほうといっしょに133ページでお弁当を食べている、わりと派手めの2人がどんな人間だったのかは、残念ながらフィーチャーされている回がなかったのでいっそう知りたくなった(おそらく1人は、プロローグの放課後、教室の机に鏡を立ててメイクしている子だと思うんだが)。

 ところで、才能によらない個性の描き分けという荒技を、しかも外見(絵)に頼るわけにもいかない小説でやれるものか考えた場合、「やれる」そして「やってみせた」例のひとつが、ブルボン小林 長嶋有の『ぼくは落ち着きがない』(2008)だと思う。こちらは高校(共学)の図書部の話。これの表紙を描いているのがまさに衿沢世衣子だったので、なるほどと思われたことである。


ぼくは落ち着きがないぼくは落ち着きがない
(2008/06/20)
長嶋 有

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