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《その結果、死にやすくなる(笑)》p65
文藝 2009年 05月号 [雑誌]

「文藝」の夏号が穂村弘特集だったので買って読んだ。
(1)谷川俊太郎と穂村弘の対談、(2)角田光代との対談、(3)編集部からのインタビュー、の3本が、読みでがある。ほかに、穂村弘の短歌をもとに黒田硫黄がイラストを描いたりしている。くわしい目次はこちら

(1)に、こんな部分があった。
穂村 我々の日常生活は、水平方向のコミュニケーションのための言語に満ちてますよね。僕も含め、多くの言葉を扱う人間はそういうものに対する反発や嫌悪からスタートする人も多いと思うんです。たとえば居酒屋にいって「マスター、ノダちゃん最近どう?」みたいに言ってる人を見るとピクッとして、「マスターって平気で呼ぶ感覚が許せん」という感じが僕はいまだにあって、「この醜い奴らに自分の言葉を熱湯のようにぶっかけて目を覚ましてやる」と思ってしまう時があるんですよ(笑)。
谷川 すごいな、それは(笑)。》p30

 そして(3)にも。
穂村 高校時代、たとえば喫茶店で一人でぼーっとしているときに、常連が入ってくるなり「マスター、ノダちゃん最近どう?」みたいに言ったりすると、そういう言葉がこの世の中に満ちていることに違和や嫌悪を感じてはいました。そんな風に言えない自分は世界に入っていけないような。一方、塚本邦雄の歌はそこから恐ろしくかけ離れた言葉の連なりで、「そうか、自分が普段取り囲まれている言葉とは全然違う言葉の世界がこの世にはあるんだ」という驚きがあった気がします。》p55

 同じエピソードの繰り返し、というのではなくて、これはこの人の「説明のための例」なんだと思う(だから居酒屋だったり喫茶店だったりする)。ほかにもたくさんの“例”をストックしていて、それを自在に引き出しながら語っている様子が、おそらく明快ではないはずのことを明快に説明していく姿からうかがえてすごく面白い。そんなに明快に喋っちゃっていいの、とも思ったが、この人の本領は短歌なんだから、たぶんいいんだろう。
 言葉をつかう根っこにある野望なんかについて語る(1)(3)にくらべて、女性の正しいほめかたはいかなるものか、とか話している(2)の角田対談はどうなのよと思ったが、しかしやっぱり、あちこち面白い。
穂村 現実の思いがけなさって、楽しい半面とネガティブな半面があるじゃないですか。僕はどうしてもネガティブなほうに対する恐怖が強いんです。未知なことにすごくワクワクするっていう人はけっこういて、エッセイとかでことさらそれを強調して書く人もいるけど、僕はそういうのを読むと傷つけられた気がする(笑)。「見知らぬ人との旅先での出会い最高!」みたいに書かれると、それを最高と思えない自分はダメなのか……。
角田 たしかに。
穂村 角田さんは自分は現実対応能力があると思ってるんだ。
角田 穂村さんよりは、ですよ(笑)。[…] 私は今、ボウリングでハイタッチできるんですよ(笑)。》p36

穂村 親が子どもを受け入れて愛する時には、子どもの個性は基本的に関係なくて、子どもは子どもであればいいわけで、そこには完璧な自己実現というか自己の受容がありますよね。自分が自分であるだけで愛されるという。でも、思春期くらいから、当り前なんだけど、クラスの女の子はそういうふうには愛してくれない(笑)。》p46

 ひとつめの引用での「見知らぬ人との旅先での出会い最高!」というまとめかた、ふたつめの引用での「でも」から「(笑)」までの落とし込みかた。これもストックしてある例なのかどうか、この人なんでこんなに面白いんだろう、と真剣に不思議になるいっぽうで、こんなに翻弄されているのはまさか自分だけじゃないよねと不安にもなる。

 それにしても、と戻ってくるのは(1)谷川俊太郎との対談で、かたちとしては「穂村弘が谷川俊太郎の話をうかがう」かんじになっているが、なかには、谷川俊太郎の書いた短歌を穂村弘が批評するような部分もあり、異分野の名人戦みたいな様相を呈する。
 そこで穂村弘はたびたび、ノダちゃんとマスターの現実を、言葉で覆せるんじゃないかと語るんだけど、世界が先か言葉が先か、谷川俊太郎の姿勢ははっきりしている。
谷川 […] 僕は実際の自然に触れるということはほとんどないんですよ、面倒くさくて。しかし人間が作ったものよりも自然のほうが優れているのは抜きがたくあります。つまり言語を信用していないんですね、最初から。
穂村 ただ言語って、人工物/自然物のどちらとも言い切れないすごく不思議なものですよね。僕はそこに過大な期待があって、何か神様の裏をかくというか、神が初めて見るような詩の一節が自分の手に乗る瞬間が訪れるんじゃないかという妄想が常にあるんです。
谷川 その思いは過去にはありました。吉本隆明の有名な言葉があるじゃないですか、「世界を凍りつかせる一行」だっけ。あれを読んだときは「おっ、これは!」と思ったけど、今はまったく思わない(笑)。
穂村 それは僕にはすごい絶望ですよ(笑)。
谷川 絶望じゃないですよ。だって言葉とはいくらでも戯れることができるわけだから。それできれいなものをいっぱい作れるなんて素晴らしいことじゃないですか。
穂村 谷川さんにそう言われるとショックです。「いけるぞ」とは言ってくれないんですか(笑)。
谷川 だって言語ってそういうものじゃないもの。》pp22-3

 順接か逆説か、つながりももうまく把握できないまま自動的に思い出されるのは、高橋源一郎が『ゴーストバスターズ』(1997)のエピグラフとして引用した谷川俊太郎の詩の一節、
《一篇の詩を書く度に終わる世界に繁る木にも果実は実る》

 であって、ここだけ見るかぎり、そして引用の意図を勝手に忖度するかぎり、この一行は穂村サイドの気がしていたんだけど、書いた本人の口から直接に上のようなことを聞かされると、ただの一読者である私まで何か非常に「ああ…」というかんじになってきて、思わず、穂村弘のもう10年近くまえの本になる『短歌という爆弾』を本棚から出してめくってみたりした。
《あれはまちがいだった。あれはまちがいだった。世界を変えるための呪文を本屋で探そうとしたのはまちがいだった。どこかの誰かが作った呪文を求めたのはまちがいだった。僕は僕だけの、自分専用の呪文を作らなくては駄目だ。ああ、そうか、ともうひとりの僕が思う。三階教室の窓の外には、名前のわからない樹の先っぽが揺れていた。》p251


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(2003/05)
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*《一篇の詩を書く度に[…]》の題は「一篇」、『世間知ラズ』(1993)に所収

*これまでの穂村弘関連:
 ・『もうおうちへかえりましょう』(2004)
 ・「ユリイカ」黒田硫黄特集&「ユリイカ」川上弘美特集(2003)
 ・「神様」(川上弘美と対談)
 ・「本の雑誌」コラム(2004年12月号)
 ・直球勝負(「ちくま」2007年5月号)
 ・『短歌の友人』(2008)
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