趣味は引用
福永信『アクロバット前夜』(2001)

リトルモア(装幀・造本:菊池信義)


 ずいぶん探していて、ようやっと古本屋で見つけたので買って読んだ。
 それはもうすごい勢いで読んだ、というのは誇張ではない。

 この小説は、というかこの本は、ほかで見たことのない変なつくりになっている。日本語の小説本だが、本の左側が閉じてあって右開き。本文は横書き。でもそれくらいなら珍しくない。
 想像してほしい。
 まず1ページの1行目を横に読む。左端から右端まで読み、視線はページをぐるっと戻って2行目を左端からまた右へ進む、というのではないのだ。
 そうではなくて、1ページ目の1行目は、そのまま右に、次のページの1行目に続くのである。それもまた、3ページ目の1行目に続いていく。
 各ページの上端、1行目だけを右に右にと追いかけて本をめくり続け、最後、121ページの1行目を右端まで読んだところでようやく、文章は1ページの2行目に戻る。そして今度は2行目だけを追って、私はページを最後までめくることになる。
 より正確には、1ページ目は「目次」で本文は2ページ目から始まり、偶数ページが見開きの左、奇数ページが右になっているから、すると121ページまでたどり着くまでには、59回ページをめくることになる。
 そして1ページの行数は27行なので、単純に計算すると、この本を読了するには59回のページめくりを×27行ぶん繰り返すことになる。
(もっと正確には、ページ最下端の27行目は80ページで途切れているので、この本の「終わり」は最終ページではなくそこである)

 1行が本の厚さと同じだけ続くこのような体裁によって、ふつうの本なら1回しかしない「最後までページをめくる」作業をそれより26セット多くこなすように強制されるこのような体験は、「珍しい」のほかに何を生むのか。

 単純なことに、これがかなり気持いいのである。

 小説というのは原理的に読み飛ばしができないものなのに、「ちゃんと読む」のが「1行読んだら次、の速さでページをめくる」でもあるというのは、それだけで爽快だった。
 私はこれをおもに電車のなかで読んでいたが、ちょっとだけ周囲の目が気になった。こいつは何をしているんだ、と思われていなかっただろうか。
 逆に、この本を読んでいるのが私の隣の人だったら、私は黙って、半歩離れたと思う。「ああ、これは近づかないほうがいいタイプだ」とおそれながら。だって、こんなスピードでページをめくるのは、本に対してする動作ではない。「この人は、本の読みかたを知らないのだろうか?」
 でもそれを言うなら、ふつうの小説本だって、ページ右端の1行を上から下に読み、また上に戻って2行目を上から下へ読み、また上に戻って(中略)左端の行の最下端まで進んだら次のページの右上――という、細かい視線の往復によって1ページが読まれるのである。
 それはあまりに小さく、当り前すぎて意識にのぼらなくなっている動きであるわけだが、あらためて考えると、実にちまちましている。それはそれでせわしないじゃないか。
『アクロバット前夜』で、長い長い1行を読み終えるたびに最後のページから最初のページまで戻るという、大がかりな、そして実際に手を使う往復運動を余儀なくされてはじめて、そんなことに思い至った。
(もしかすると、現行のページ組み・行組みが一般的になったのはたまたまで、本の印刷法はみんな、この『アクロバット前夜』式でもありえたのかもしれない――とまで一瞬思って、「いや、ない」と打ち消した)
 
 ページをめくる際に自分の読んでいる行を見失うと致命的なことになるので、この本の左ページ左端と右ページ右端には行番号が縦に小さく並んでいる(それでも、たびたび見失う)。
 また、この書式では「改行ができない」という問題(ほかで類を見ない問題)が発生するため、それは「/」記号で代用されている。「///」は「1行空き」のしるしだ。
 爽快のためには、異次元の面倒もある。やはり通常の体裁はなるべくして「通常」になったのかもしれない――でもそう思うのはその「通常」の枠から考えているせいかもしれない――と、ここでもまた往復運動を繰り返す。
 こんな読書もあるのである。

 ここまで、本の体裁についてしか書いていない。では中身はどうなのか。
 こんな形で印刷されてしまったら、もう小説はどうでもいい、ということにはならないと私は思った。むしろ逆。そのことについてはあした書く。
 
…続き


アクロバット前夜アクロバット前夜
(2001/05)
福永 信

商品詳細を見る



本書刊行時の評をふたつ見つけたので貼っておく。

小説集「アクロバット前夜」福永信(毛利義嗣)
http://www.dnp.co.jp/museum/nmp/artscape/recom/0106/kagawa/mouri.html

「世界最速の小説」(浅田彰)
http://www.kojinkaratani.com/criticalspace/old/special/asada/i010515b.html
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