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『ねたあとに』のあとに

■ せんじつ長嶋有『ねたあとに』の感想をわーっと書いたけれども、いちばん大事かもしれないところを自分が書き落としていたことに、ググっていて見つけたほかのかたの評を読んでいて気がついた。

 → http://d.hatena.ne.jp/Trou/20090212
   「花と石ころ」より、2009年02月12日)

とくに「2/2」
これが、周到に用意された伏線であったならば、そこには「懐かしい」思いなど生じません。あくまでも、それがほんの思いつきの、読み流される程度の文であったからこそ、それが、遠く離れたページで思い起こされることに心を揺り動かされるのです。この小説には、そういうものがたくさんある。作者すらも懐かしく思い出しながら書いているのではないか、というくだりが。

小説を読むのには時間がかかる。その時間の経過のなかにいると当り前すぎてスルーしてしまうが(してしまったが)、読んでいる小説のなかでも時間が流れている、というのはすごいことだ。すごいというか、奇妙。
ほんとは「それから2年が過ぎた」程度でもすごいことが起きているはずなのに、『ねたあとに』のなかでは、時間が何気なく流れている。つまりちゃんと流れていた。
(「何気なく」の自然さに徹底して逆らうと福永信『コップとコッペパンとペン』になる。不自然すぎて逆に「何気なく」なってしまうあれもすごい)

これを新聞の連載で読んだ人は単純にうらやましい。
 
 
■ うらやましいといえばもうひとつ、
 
 高野文子「ねたあとに」原画展
 http://book.asahi.com/clip/TKY200903210100.html
 
4月2日まで。とうとう行く都合がつけられなかった。
高野文子に200枚の絵を描かせた、というのも偉業なのでは。
行けた人がうらやましい。


■ あと、上記ブログからいろいろたどっていって見つけたのが
 
 「穂村弘氏インタビュー」へのリンク
 http://www.koshinfu.com/homu.html
 
濃すぎるので1週間くらいかけて読みたい。
[…] 自分が俳句は駄目だっていうことを後追いで確認したようなことがあって、なんかの題詠の時に、僕が作った句があって、それが「春風やパントマイムのナポレオン」っていう句なんですよね。それは自分が短歌をやる時と全く同じ感覚で作った句なんですよ。全く同じ体感で作って、その後に歳時記を見ていて、原石鼎の「秋風や模様の違ふ皿二つ」、あれを見て、もうすべてわかった感じがして、もう絶対俺は俳句なんてやっても通用しないんだっていうことが、もう思い知るような感じで自分の中に入ってきて、これは作風の違いとかそういうものじゃなくて、全然レベルが違うっていう感じがしましたね。
 そのレベルの違いと同時に、すごい直感的にわかったことは、この「秋風や模様の違ふ皿二つ」っていうのを作ったやつは、一度もデニーズとかに入ってハンバーグ定食とかを食ったことがない。そうじゃなきゃこんな句は作れないっていう体感で、俺の句は千回以上デニーズに入った人間の、ハンバーグを千個以上今まで食った人間の句だ。結局食い物とか空気とか、それまでのすべてですよね。すべてがもうそこに現れてしまっていてね、彼は彼、僕は僕、っていうふうに納得して自分をごまかせないジャンルがあると。》
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