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2004/04/01

その18 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び

前回…] [目次


 サン・ナルシソの眺めは、以前、はじめてトランジスターラジオの内部を見たときのことをエディパに思い出させる。家と街路の配置は、印刷された回路に似ている。彼女にはその両方が、自分に何かを伝えようとしていると思えるのだ。
there were to both outward patterns a hieroglyphic sense of concealed meaning, of an intent to communicate. There'd seemed no limit to what the printed circuit could have told her (if she had tried to find out); so in her first minute of San Narciso, a revelation also trembled just past the threshold of her understanding. (p14)

《そのどちらについても、外面のパターンに一種神聖文字的[ヒエログリフィック]な感じがあって、意味を秘めているよう、何かを伝達しようとしているようだ。印刷された回路には(エディパさえ探り出そうという気になれば)語ることのできそうなことが限りなくあるように思われた。同様に、サン・ナルシソ市を見た最初の一分間、一つの啓示がやはりふるえていたのだ、きわどいところで彼女の理解の閾を越えていたが。》p25/pp28-9

 いきなり「秘められた意味」(concealed meaning)が設定されて、対になるように「啓示」(revelation)という言葉が置かれている。

 (1)隠されていたものが、(2)明らかになる。これを探求の構図とするならば、ここでこの小説は、視点人物であるエディパの目を通し、探求のモードで世界を見ていると言えるだろう。ピアスの遺産とは何か、という謎から小説は動き出したわけだが、それにしてもこのエディパの姿勢には、なんだか「探求を求める気持」が過剰ではあるまいか。
「意味が秘められている」のではなく「意味を秘めているように」見え、「○○を伝達してくる」のではなく「何かを伝達しようとしているように」エディパには感じられるという。根拠はない。どうしてそんなふうに考えてしまうのか?
 そんな性格なんだと言ってしまえば身も蓋もないが、どうせなら、いっそ上述したように、この「探求の目で世界を見る」エディパを通して語るのが小説Lot 49 の基本姿勢なのだととらえておいたらどうだろう。

 そしてこの小説は、わざわざ「啓示」なるものをほのめかしたうえで引っ込める。お預けを食ったのはエディパであり、われわれ読者だということになる。釈然としない。

…続き

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