趣味は引用
ビオイ=カサーレス『モレルの発明』 [17]

《海水の混じり合う沼地から、私は、丘の上のほうを、そして博物館に住んでいる避暑客たちを眺めている。》p20

 モレルの機械は電気を動力源にしている。その電気は水力で発電される。メカに弱い「私」もうすうすわかっていたが、発電機は海辺のポンプにつながっていて、潮の満ち引きをエネルギーに変える仕組みになっている。

 モレルは周囲の潮の周期に目をつけて、この島を自分の発明の舞台にした。ここなら永遠に発電が続けられ、機械は動き続け、自分たちの模擬像は再生され続けると見込んだからである。
(その見込みはまちがいで、ときどき機械は停止してしまう。潮の調査が不充分だったのだ)
[…]今日の午前中、潮が満ち始めた。映像が出現するまえに私は出かけた。機械の仕組みを解明しようと考えて、地下室に赴いた(こんなふうに潮の干満に弄ばれることがないように、できれば機械の欠陥を補修するつもりだった)。》pp147-8

《機械は潮の力を動力として動く。
 小潮がある程度つづいたあとに、潮が連続して押し寄せ、低地の水車まで達した。機械は作動しはじめ、永遠に映像を送り出すレコードは、そのまえに止まっていた場面から、ふたたび動きはじめたのだ。》p166

 潮によって動く機械が映像(実体のある映像)を生み出し、「連中」の7日間という“作品”を現出させる。そこから閉め出されている「私」は、はじめのうち彼らを生身の人間だと思っていたので、見つからないように逃げ出し、海辺の低地に身を潜めたのだった。
《すべてを奪われて、私はいま、島のなかでもっとも狭苦しい住みにくい場所に閉じ込められている。週に一度海水に覆われてしまう沼地だ。》p18

《この二週間に三度の大潮があり、水があふれた。昨日の大潮では運良く溺れ死なずにすんだ。あやうく海水の不意打ちをくらうところだった。樹に刻んでおいたしるしによると、大潮は今日のはずだった。明け方眠りこんでいたら死んでいただろう。一週間に一度みせる猛烈な勢いでたちまち水位が上がってきた。》p36

 こんなにも住みにくい低地で、「私」はたえず海水におびやかされ、かと思えば「連中」の様子を見に丘の上まであがったりする。活発な男である。そのエネルギーはどこから来るのか。
《昨日の午前、低地に海水があふれた。これほどの大潮はいままでに経験したことがなかった。雨が降り始めて、水位はさらに上がった(ここは雨がめったに降らないが、降り出すと極端に激しく、暴風を伴う)。避難場所を捜さなくてはならなかった。
 滑べる坂、激しい雨、吹き荒れる風、そしておい茂る枝と戦いながら、丘を登った。礼拝堂(島で最もさびしい場所)に隠れようと思いついたのだ。》p39

 海辺(低地)と建物(丘の上)の上下移動を繰り返し、水に浸されながらひとりで手記を書くのが「私」である。「私」の書き続ける手記がこの小説なのだ、という体裁を『モレルの発明』はとっている。
《高潮のときはここでは眠れないし、それ以外の日でも、ほんのわずか水位が上がっただけで眼が覚めてしまう。しかもその時間がいつもまちまちなのだ。この海水浴にはいつまでたっても慣れない。なま温い泥水が私の顔に覆いかぶさり、一瞬息がつまるときがいつ来るか、いつ来るかと考えていると、なかなか寝つけない。》pp130-1

 ここに並べたような部分ばかりをまとめて眺めていると、“潮で発電して映像をつむぎだすモレルの機械”と、“潮に浸されながら手記を書く「私」”というのは、あからさまなくらいはっきりと、重ね合わされているように見える。そのようにしか読めない気さえする。つまりこうだ。

 いっぽうでモレルの装置が作動するのと並行し、もういっぽうで手記を作り出す「私」という装置が作動する。どちらの装置も、目的は“作品”をつくることであり、この場合、つくるとは、記録・保存・再生のワンセットである。すべては「私」の手記に書かれていることなので、手記のほうがモレルの機械をすっぽり包みこむように見えるし、書かれる内容がなければ手記はないのだから、モレルの機械が「私」の手記に動力を供給しているようにも見える。

 機械を発明したモレルのことを、「私」は憎んだり讃えたりしているが、態度はどうあれ、『モレルの発明』という場において、「私」とモレルは共犯関係にある。モレルは「私」のことを知らず、「私」のほうでは自分の手記がもつ意味を知らないが、結局ふたりは同じようなことをしている。そして、切り離すことができない。

(A)機械と「私」のはたらきが似ている
(B)映像を生み出す機械と、それも含めてすべてを提示するこの手記が似ている
(C)機械を作ったモレルと、手記を書いた「私」が似ている

(A)から(B)につなげるのは問題ないと思う。では(A)から(C)にスライドさせるのはどうか。こちらの移行では、(A)は“登場人物が小説に果たす機能”で、(C)は“小説のなかでの立場”なのに、それを強引に混同しているので無理がある。そこで混同させたままにしておくと、どんなことが言えるだろうか。


→[18]


モレルの発明 第2版 (フィクションの楽しみ)モレルの発明 第2版 (フィクションの楽しみ)
(2008/10)
アドルフォ・ビオイ・カサーレス

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