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その16 ― ピンチョン Lot 49
競売ナンバー49の叫び

前回…] [目次


 Lot 49 以外の作品の話を持ち出すと、たとえば、18世紀のアメリカを舞台にしたMason & Dixon (1997)という長篇がある。自分は十分の一くらいで挫折してヘタレの面目を躍如たるものにしてしまったのだが、ある専門家によれば、これを書くにあたってピンチョンは当時の気象記録まで調べ、作中の日付と天候が合致するようにしているという。
 そんな話を聞いてしまうと、どうしたってLot 49 にも現実との整合性を探したくなる。たとえ、これから読んでいく第2章以降で主たる舞台になるのが〈サン・ナルシソ〉という架空の町であってもだ。
 とは言いながら、作中の「現在」が1964年なのか65年なのか66年なのかは、いまいちはっきりしない。これをどうとらえればいいのか。
 自分はこう考える。

 読んでみても年代を特定できないのは、年代を特定できないようにしておこうという作為のもとに書かれているからだ。

 この時代特有の風俗についてのコメントや、正確な年代つきで行われる歴史への言及をあちこちに組み込みながら、いっぽうでLot 49 は、寓話に接近しようとしている。現在時の曖昧さはそのあらわれではないだろうか。
 前回触れた、堂々と「1964年を舞台に」と書いている論文は、じつは次のように続いていた。
《しかしながらLot 49 は、決して1964年についての小説ではない。この小説は1957年から64年までスライドして、かかる「変化」の時代に生きる感触を写し取った作品である。雌伏してあたらしい時代が生まれるのを「待機」するのに費やされた、あの7年間についての小説なのである。》

 なんで64年で区切りますかという疑問はあり、その疑問はちょっと歴史を勉強すれば常識なのかもという不安に拡大するのだが、このとらえ方じたいは悪くないように思う。
 いま考えられるのは、これまで書いたので全部である。また別の情報が見つかったらお知らせしたい。そういうわけで、作中の現在時については「1960年代の中頃~後半のどこか・どこでもありうる」ということにして先に進むことにする。
 Lot 49 には、年代だけでなく不確定な要素がたくさんある。作品の根っこにかかわるような部分まで、人によって正反対の受け取り方をされてきたようだし、これからもされていくのかもしれない。
(この小説を論じるときによく用いられるお決まりの言葉は「曖昧さ」である。さっき自分も1回使ってしまった)

…続き

追記1:
 引用した「1964年」と断定する論文は、Pierre-Yves Petillon"A Re-cognition of Her Errand into the Wilderness"で、これはPatrick O'Donnell編の論集New Essays on The Crying of Lot49 (1991)に収められている。

追記2:
 2011年刊行の佐藤良明訳『競売ナンバー49の叫び』(新潮社)では、FSMともうひとつ、第5章で名前が出てくるVDC(Vietnam Day Committee)という政治組織に触れ、これが1965年に活動を始めたことから小説の舞台を1965年と確定している。これは、メキシコでバロ展があったのは1962年、というのと同じくらい確かな証拠であると思う。
その14」に並べた5つの出来事を収めつつ「現在」を1965年にするのは「難しい」とあのとき書いたが、ムーチョがDJになったのを1960年の後半、エディパがムーチョと結婚したのを1963年の前半とし、DJ歴が2年を越えているのを四捨五入して「2年」とカウントしていると考えればこれは可能になる。
 バロ展は1964年にも開かれているが、こちらを採るとさすがに数字を合わせるのは無理である。
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