2008/11/20

ビオイ=カサーレス『モレルの発明』 [5]



 隠れ場所(海辺の低地の茂みのなか)に戻って落ち着きを取り戻してから、「私」はまた手記を書きつける。
《おとといの夜、煌々と明りのついていたあの部屋で何を考えていたか、いまになって思い出した。あの闖入者たちは何者なのか、私と連中はどういう関係にあるのかを考えていたのである。
 いくつかの説明ができそうだった。》p87

「私」のひねり出した仮説を列挙してみよう。

(ア)自分は疫病にかかり、幻覚を見ている(=「連中」は妄想の産物)
(イ)変な食べ物をとっていたせいで、自分の体が「連中」からは見えないものに変質してしまった(ただしこれだと、蚊やねずみには自分が見えている点は説明がつかない)
(ウ)「連中」は宇宙人で、彼らの眼と耳は人間と働きがちがう
(エ)自分はいま、精神病院にいる(無人島に渡ったことじたいが妄想)
(オ)この島は煉獄もしくは天国で、「連中」は死人の一団である(そして自分も、彼らと段階はちがうがやはり死んでいる!)

 かなり頑張っていると思う。自分の知覚・実感さえ疑っている(しかも幾通りにも疑っている)のだから。そして、妄想なのかどうか、という以前に、このようにいくつもの可能性を思いついてしまうということじたいが、熱病に浮かされてでもいないと出てこない勢いであることはたしかだ。常軌を逸した「連中」を、自分に納得できる範疇に囲み込みたい「私」のほうもまた、常軌を逸しているのである。とりわけ(オ)の発想に導かれて、「私」は相当おかしなところまで踏み込んでしまう。
《こうして想いをめぐらしていること自体が、やがてまぎれもない幸福感をもたらした。私は、自分と闖入者たちとの関係を、たがいに異次元に属する人間同士の関係だと見なして、それを証明するものをいくつも積み重ねてみた。何かとんでもない災厄がこの島に襲いかかり、そこに住む死者たち(私とそしてこの島の生きもの)はそれを自覚できないでいる、そのあとで連中がここに侵入してきたということだってありえよう。
  私が死んでいるとしたら! そう考えるとわくわくした(まんざらでもないし、文学的ではないか)。》p90、太字は引用者

 ただし、ここまで奔放に想像を広げられる「私」にも、疑いを向けることのできない前提がある。“自分は罪を犯し、終身刑を宣告されて当局に追われている身である”、というのがその前提だ。「私」にとって、ここだけは揺るがない。無条件で受け入れていて、不自然なくらい確固としている。そのほかの要素は、上記の選択肢に見られるように、どんなふうにでも動くというのに。
 それは単に、この島に来る前のことだから「私」にとって疑いえない真実なのだ、という納得の仕方も一応は可能だが、以下のような内省を続ける人間にこちらが納得してあげることは、果たして可能なのかどうか。
《人生を振り返ってみた。夕方にはいつもパライソ遊歩道で遊んでいた、むしろ退屈な子供のころのこと。逮捕される以前の、今日とはまるで別人が送っていたかのような日々。長い逃亡生活。この島で暮した何カ月もの日々。死が私の人生に介入したかもしれぬ機会が二度ある。[…]p90

 自分はもう死んでいるのかもしれない。では、死んだのは人生のどの時点でだろう? この思索の進めかたは、どれだけ控えめにとっても、どうかしている。
《そんなことを長いあいだ考えつづけていたので、うんざりして、だんだん論理的ではなくなった。闖入者が現れるまえに私が死んでいたということはありえない。孤独を感じているのだから、死んでいるはずがない。私が生き返るためには、まず証人を抹殺しなくてはならない。みな殺しにするのは簡単だろう。私が存在していないのだから、彼らは自分が破滅させられるということに気がつかぬだろう。》p91

だんだん論理的ではなくなった」とあるが、そのあとがすごい。当人以外にはつながりがひとつも見えないことを、この語り手は言いつのるのである。
孤独を感じているのだから、死んでいるはずがない」という断言には、どこにも根拠がない。そこに続けて、一見正反対に見える「私が生き返るためには、まず証人を抹殺しなくてはならない」が来る。
証人」とは、読者には知らされていない「私」の罪の証人だと思われる。とすると、ここでの「生き返る」は、じつは肉体的な死からの復活ではなく、罪人からの再生、いわば“社会復帰”として受け取れる、比喩的な意味での「生き返る」だろう。ということは、やっぱり「私」は、自分が死んではいないと考えているのである。
 しかし、次の「私が存在していないのだから、彼らは自分が破滅させられるということに気がつかぬだろう」になると、「私が存在していないのだから」は比喩的にではなく、文字通りに自分が死んでいる・この世に居場所を持たない、という意味に変わってしまっている。だからと言って、どうしてそこから「(自分が死んでいるのなら)彼らは自分が破滅させられるということに気がつかぬだろう」とつながるのか、ここはまったくこちらの理解を越えている。
 
 こんな感じで無根拠・非論理的に雪崩を起こしていく推論をひと続きにして綴ることができるのは、語り手「私」が、自分で「精神が不安定だ」と繰り返しているからだ。
 手記というのは変なものだと思う。書き手が追い詰められればられるほど、その内側はやりたい放題に広がることができるのである。そしてこの小説には、“手記の外側”は存在していない。


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モレルの発明 第2版 (フィクションの楽しみ)モレルの発明 第2版 (フィクションの楽しみ)
(2008/10)
アドルフォ・ビオイ・カサーレス

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