趣味は引用
ビオイ=カサーレス『モレルの発明』 [3]

《思うに、不死性なるものがわれわれの手から失われてゆくのは、死への抵抗手段にいかなる進歩も見られなかったからである。》p26

(ここから、『モレルの発明』の中心にあるネタを書いていきます。この小説に興味を持ち、かつ、「自分でおどろきたい」と思われる方は、以下はお読みにならないほうがよいのかもしれません。もっとも、この小説を実際に読む面白さは、たんなるネタばらし程度ではびくともしないのはまちがいないと思う)

 奇妙な状況の只中に放り込まれている語り手「私」には、さらに次々と理解しがたい出来事が降りかかる。ある日、「私」は丘の上が無人になっていることに気付くのである。
《胸をどきどきさせ、何度かものかげに隠れたりしながら、博物館じゅうを歩き回ってみた。しかし、まるで孤独に覆われたかのような家具や壁を見ただけで、ここにはだれもいないと納得できた。それだけではない、いまだかつてここには人などいなかったのだとさえ納得できたのだ。》pp71-2

 20日前、「連中」が到着して「私」が逃げ出したときから、博物館のなかは何も変わっていない。そのとき食べかけだった食物はそのまま腐っており、ほかの人間が生活した形跡はいっさい見あたらない。
 とすると、彼らはやはり「私」の妄想だったのだろうか。上の引用のような記述は、いかにもそのことを告げている――とは、私には思えなかった。その反対だ。
 前回書いた分では、「妄想に見えないからこそ、妄想として読んでみると、かえって面白い」と私は考えていた。その読みかたが、このへんで無理になってきたと感じる。なんとなれば、いなくなった以上、彼らはいたのだ(=妄想ではなかったのだ)と確信されるから、である。ねじくれた推論のようだが、ああもはっきり「影もかたちもなくなった」と書いてあるのなら、このように読むほうがむしろ素直ではないだろうか。そして、このほうがきっと面白いはずである。
 つまり、私の読みかたは、「連中」を(a)「語り手の内部から外部に出てしまった、位置のずれた妄想として読む」から、(b)「妄想ではなく、実在のものとして読む」に変化した。
 しかし、これが小説を読んでいる最中の面白さだと思うのだが、(a)が(b)になったからといって読みかたはきれいに更新されず、(b)のほうを正しいと認めながら、(a)の印象もあたまに残したまま先を読むことになるのである。
 これは、(a)と(b)の折衷案をさぐりながら読む、というのではない。ぜったい折り合わないふたつの読みかたを共存させて読んでしまう(しかも、片方はどうやらまちがいのようだとわかっていながら、消去できずに読んでしまう)のであり、なぜなら、この小説のここまでの部分が、そんな未練たらしい・合理的でない・勝手な読みかたを、誘っているように感じてしまうからである。
 いや、それは単に、私が最初の読みかたを捨てられない意地っ張りだから、なのかもしれない。それでもいいのである。私を意固地にさせるきっかけがこの小説にはある、ということだし、そのせいで私の「連中」に対する想像はまとまらず、落ち着かない気持が引き延ばされるのだから。
「妄想なのか? それとも実在しているのか? ああもうどっちなの?」という宙吊りの感覚には、手放さないでいられる限り手放したくないスリルがある。「まだわからない」が、いちばんぞくぞくする答えなのはまちがいないだろう。そして、語り手「私」を追い詰めているのも、まさしくそのスリルなのである。

 とはいえ、『モレルの発明』は、実際に書かれていることからいえば、「わからない」のままうやむやに逃げ去ってしまう小説ではない。先回りしていってしまうと、「連中」の正体ははっきり説明される。謎には解答が与えられるという、これはそんな種類の小説である。
 私のしていた、矛盾するあれこれの想像のすべてをねじ伏せる格好で示される解答は、しかしそれでも、そこまでの想像のすべてを打ち消しはしない。解答に説得力がないのではなくて(そのうち引用するからおわかりいただけると思う)、それが出てくるまでに小説がはらんでいる、“こっちの想像力をざわつかせる感じ”が強すぎるのだ。
《ここに書きつけていることは本当であって、怨恨からでっちあげをしているわけではない……。水槽の部屋のとなりのあの緑の部屋から蓄音機を運び出して、男も女もベンチや草の上に坐り、あらゆる樹々を根こそぎ倒してしまいそうな暴風雨のまっただなかで、会話を交わしたり音楽を聞いたり踊ったりしているのだ。》p41

「連中」が姿を消してしまう前の一場面である。こんな短い文章に私の心は騒ぐ。ざわざわする。それは彼らが「妄想だから」ではないし、「実在の何かだから」でもない(だって、この時点では解答がない)。
 奇妙な状況が、「~だから」の理由がないまま描かれているというまさにそのことによって不穏な感触が生まれているのであり、それは解答から理由が与えられた時点で消えるものではない。だったら、このような場面のひとつひとつにも、そこからかき立てられる想像のひとつひとつにも、解答と同じ価値があるということになる。


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モレルの発明 第2版 (フィクションの楽しみ)モレルの発明 第2版 (フィクションの楽しみ)
(2008/10)
アドルフォ・ビオイ・カサーレス

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